温泉にゃんこのネコ散歩

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東をどりで思ふ…2

2009-05-31 19:58:00 | ノンジャンル
開演前からドーパミン出まくりのにゃんこ =^^;= お前、落ちつけよ!幕開けは、長唄のご祝儀舞の「老松」。にゃんこも踊りの会で踊った曲なので、ぜひ見てみたかったのだ。尾上菊之丞氏の振り付けは、藤間流にいるにゃんこが習ったものとはだいぶ違っていたけれど、女舞と男舞が格調高く構成されていてステキ♪ ずらりと並んだ地方さんたちももちろん新橋芸者さんたちで、さすがに上手い!しかもキレイ!芸者さんって、すごいわぁ~。次の清元の「女車引」も、ストーリーがあって楽しい踊り。この振り付けは、花柳壽輔氏だ。さすが、一流どころが教えているのね…。花柳らしい、華やかな舞台に魅了される。

        

30分の幕間には、館内をうろうろとネコ散歩。ドンペリがのめるカウンターは、芸妓さんと同伴のおじさまでいっぱい。お茶屋の女将とおぼしき人の着物は…目が飛び出るようなきらびやかさ。ロビーではジャズシンガーの阿川泰子の姿なども見かけ、新橋花柳界の底力を思い知る。

        

第2部は西川左近氏の振り付けによる創作舞踊「春夏秋冬」。いわば、日舞のオムニバスといった感じで、春夏秋冬のイメージの踊りが早い場面転換とともに次々に繰り出される。端唄や小唄、民謡が多用されて、楽しいつくりとなっていた。中盤の「銀座懐古」では、若手の芸者さんが5人で登場し、その匂い立つような可憐さに目を見張る。やっぱ若いってことは、それだけで価値があるのね(^^; フィナーレの総踊りで幕となり、おじさまたちはきれいどころを従えて、夜の新橋に消えていった…。

        

祇園の「都をどり」でも思ったことだが、芸妓さんの芸のなんとしっかりしていることよ!舞も地方も、技量の高いこと高いこと。このお姐さんたち、これだけやっているんじゃなくて、お座敷でお客さんのお酒のお相手もしてるんだよね…すごいなぁ。日本文化って奥深い…と、こんなところでも感心しきりのにゃんこでありました。でもね…ひとつ悲しい発見も。主役はベテランのおねぇさんがとてもお上手に踊っているんだけど、やっぱどーしても若い子の方に目がいっちゃうのだ(^^;;; ビジュアルって大事、若いってそれだけで武器になるんだと思い知る。いつか「藤娘」と「道成寺」を大舞台で踊りたいと思っていたにゃんこだが、もうかなり手遅れかも(TT) (おしまい)

東をどり→http://www2.odn.ne.jp/shinbashikumiai/
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進まない (--;

2009-05-30 20:07:00 | 文学の話
「東をどり」で渡辺淳一先生のことなんか思い出しちゃったりしたもんだから、ついつい淳さまブログを覗き始めてしまったにゃんこ =^^;= 

=^^= あっ!事務所に作務衣姿でいることもあるんだ~♪ と萌え
http://ameblo.jp/m-walk/entry-10260144004.html
=^^= やっぱり「都をどり」に行ってたんだ~!「東をどり」も、4日間張り込みしてたら絶対に見かけたかも!とか…
http://ameblo.jp/m-walk/day-20090415.html
=^^= わぁ~、蓮台寺荘に泊まってるよ。露天付きのお部屋ね。ふたりで5万円かぁ…泊まりたい!だって同じ檜の露天に入れるじゃん←ストーカーか!
http://ameblo.jp/m-walk/day-20090202.html

明日締め切りの原稿があるのに、頭の中が淳さまモードになって、ちーーーっとも進まなくなってしまった(××)も~、ダメじゃん!

☆渡辺淳一楽屋日記→http://ameblo.jp/m-walk/
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東をどりで思ふ…1

2009-05-30 17:30:00 | ノンジャンル
金曜日、お稽古をすませた足でテコテコと東銀座にむかう。この日は「東をどり」の初日。祇園の「都をどり」は、よく見に行っているのだが、東をどりは今回が初めて。近いとかえって、見逃してしまうものなのよね~。会場の新橋演舞場のまわりは、華やかな空気に包まれております。

        

新橋の芸者さんたちが、年に1回大舞台で芸を競う「東をどり」は、なんと今年で85回目!ここまで続いているのは、きっと御贔屓の旦那衆の力も大きいのだろう。プログラムは「老松」をイメージした表紙に金の文字。いいねぇ~。

        

開演前のロビーやホワイエには、芸者さんがあちこちにいて華をふりまいております。御贔屓の御仁方にご挨拶している隙を射見つけてお願いしたら、サクッ!とポーズをとって下さいました。さすがプロですわ。

        

団十郎さまのオブジェにご挨拶して、そろそろお席へ。芸者さんたちのお手前でのお茶席も設けられていたけど、混んでいたので今回はパス。隙を見て、後姿もいただいちゃいました(^^;

        

今回のお席は、前から2列目のど真ん中。新橋芸者さんに知り合いがいるわけもなく、自前調達で6000円也。にゃんこの目の前の最前列は、もちろん関係者ばかりの玄人席。髪を高く結い上げたおねぇさん(←とはいえ、20代後半でしょうね)と、同伴のおじさまばかりが座っている…大好きな渡辺淳一先生がいるんじゃないかと桟敷席の方まで探してみるが、残念ながら遭遇できず(TT)しかし…なんだか知らない世界だよ。

かみ手の方には、京都からお祝いに来ていると思われる日本髪を結った舞妓さんや芸妓さんが並んでいて、そこここから、
「おおきにぃ~、よろしゅうおたのもおしますぅ~」という、鈴を転がすような声が聞こえてくる。ほぇ~ほぇ~と思うことばかり…開演前の待ち時間でさえも、妙に楽しくスペシャルなのであります。(つづく)

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行田☆大妄想劇場3

2009-05-26 15:20:00 | ノンジャンル
     『 れんげ草の記憶 』  ~第三話 逝き逝きてなほ… ~

 京香45歳の秋、もともと体が弱かったせいもあり流感にかかった数日後に、両親に看取られあっけない最期をむかえた。京香の旅立ちの日、急な訃報を聞いて日本橋からかけつけた光博は、ただ茫然と立ち尽くすのみだった。自分を責めているように見える光博の背中を見た京香の母は、
「おいかわの坊ちゃんのおかげで、京香はとても幸せな一生を過ごすことができたんですよ」と、そっと声をかけた。

        
 
 京香の細い足には、あの日、光博から贈られたれんげ草の刺繍の白足袋が履かされ、襟元にはあの文がすべり込ませてあった。それは京香の文机に、幼い日の光博の写真とともに大事に大事にしまわれていたものだった。それを聞いた光博の胸にはあの日の京香のはにかんだ様子がありありとよみがえり、さらに悲しみは深くなるのだった。大切なひとり娘をおくり出したことで肩の荷がおりたのか、京香の49日が終わるとその後を追うように70代になっていた両親も相次いで他界し、「よねや」はその長い歴史に静かに幕をおろした。

       

 日本橋で隆盛を誇っていた「おいかわ」も時代の流れにはあらがえず、光博が65歳をむかえた秋に店をたたむこととなった。これからは、長年苦楽を共にした秋穂とふたり、故郷に帰ってのんびりと過ごそうと思っていた矢先、秋穂が床につくことが多くなった。今までの無理がたたって疲れが出たのだろう、春になって暖かくなれば元の秋穂に戻ると考えていた光博に、秋穂は初めて病を患っていたことを明かしたのだった。半年後、秋穂は聖路加病院の病室から満開の桜を見下ろしていた。その桜が花吹雪となって街ゆく人々にふりそそぐ頃、光博に手を取られた秋穂は、
「私、あなたの妻でよかったのかしら?あなたのお役に立てたのかしら?」
と小さな声でつぶやいた。そんな秋穂を見つめ
「何を言っているんだ、おまえがいたからこそ私はここまでやってこられたんだ。もう頑張らなくていい、これからはふたりでのんびり過ごそう」
良かった…というひとことを残し、微笑を浮かべたまま秋穂は旅立っていった。

           

 その後ひとりで生まれ故郷の行田に戻った光博は、その余生を地域のために捧げ、商工会議所会頭など数々の役を勤め92歳でその天寿をまっとうしてこの世を去った。それまで京香の月命日に必ず墓前にあげられていた花も、その日から途絶えた。今そこには、淡いピンクのれんげ草の花のみが自然に咲くばかり。京香が見上げていた光博の家は、住人を失ったまま今もその地に変わらぬ姿で建っている。

        

 表通りに面した「よねや」は、あの後、秋穂の実家が買い受け、長い間使うあてがなかったにもかかわらず丁寧に保存されていた。近年そこは「よねや」の屋号はそのままに、お洒落な和カフェとしてよみがえった。秋穂の姪のしのぶの手による、極上の珈琲と手造りの抹茶ロールケーキが評判を呼び、今では週末に都内からここを目指してくる者も多い人気の店になった。太い梁を見上げながら、かつて帳場だったお座敷でゆっくりと流れる時を楽しむ若者たちは、この不思議な縁を知る由もない。ふと見上げると、セピア色になった写真が一枚。そこには、隆盛を極めた頃の「よねや」の店先で、七五三の晴れ着を着て両親の横に緊張して立つ幼い京香と、ちょっと間をあけて静かに微笑む光博の姿があった。(完)

       
 れんげ草の花言葉…あなたは幸せです わたしの痛みをやわらげてくれる

*この物語はフィクションであり人物名や店名はすべて架空のものです。
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行田☆大妄想劇場2

2009-05-25 15:53:00 | ノンジャンル
    『 れんげ草の記憶 』 ~ 第二話 それぞれの季節に ~

 婚礼の日取りも決まったある日、光博は特別にれんげ草を刺繍させた白足袋の中に文を忍ばせて京香にそっと渡した。
「僕は遠くに行くけど、京香がずっと幸せに過ごせるように祈っている。好きなことをのびのびとやって生きていきなさい」
大好きな光博からの手紙を大事に文机にしまう京香。その階下には、秋穂が婚礼でまとう豪華な内掛けがかかっていた。

         

 あと数日で婚礼という日、京香は秋穂に小さなつまみかんざしと共布で作った帯留めを手渡して、こう言った。
「秋穂ちゃん藤が好きだったから、京香のお着物をほどいて作ったの。京香のこと笑わなかったの、秋穂ちゃんだけだった。今までありがとね」
秋穂の目に、みるみるうちに涙が浮かんでくるのを見て、
「秋穂ちゃんどうしたの?お具合悪いの?お父さまに看ていただかなくちゃ」
と覗きこむ京香。秋穂はその京香の手を取って、
「京香ちゃん、私こそ京香ちゃんに教えてもらったことばかりよ。藤のかんざしと帯留めとっても素敵ね。お嫁にいく日、これ付けさせてもらうわね。そうすれば、京香ちゃんも一緒にそこにいてくれるみたいで心強いわ」
と、あふれ出す涙をぬぐおうともせず微笑みかけた。

         

 時は流れ、海外での生活を終えて帰国した若夫婦は日本橋に「おいかわ」の支店を出し、そこで海外での経験を活かした斬新な経営を続けていた。秋穂はその気丈さで出かけがちの光博に代わって店を守り、辣腕女将として日本橋でも一目おかれる存在になっていた。光博もその社交性を活かし人脈を広げ、いつしか「おいかわ」は皇室御用達の名店にまで上り詰めた。

 かたや行田の地で生きる京香は好きな日本舞踊を続け、京香なりに充実した日々を送っている。20代でその稀有な才能を見込まれた京香は、日本舞踊の師範として東京の家元にも声をかけられるほどであったが、東京に置くのは心配という親の言いつけを素直に守り、「よねや」の奥座敷に稽古場屋を作って近隣の人にやさしい踊りをわずかな月謝で教えている。そこはいつしか足袋工場で働く若い女工の集うところとなり、お稽古後にはお茶とお菓子が供され、朗らかな笑いが満ちる場になっていた。

         

 両親は優しく、近所の人もいたわりの目で京香を見守ってくれている。ある夏の夕暮れ、光博の生家の前にたたずむ京香の姿があった。かつて光博がいた2階の窓を見つめる京香、その心の中は誰もうかがい知ることができない。
「みつにいさま、京香、今でもみつにいさまにいただいたお文と一緒に、あのれんげ草の指輪と白足袋も大事にしまっているの」
茜に染まった西の空には秩父連山のシルエット、東の空には満月に近い大きな月が京香の心のように透明に輝きながら昇ってきた。
「みつにいさまは太陽、京香はお月さま。同じお空で並ぶことはないけれど、みつみいさまは、確かにそこにいるのよね…」 (つづく)

*この物語はフィクションであり人物名や店名はすべて架空のものです。
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