温泉にゃんこのネコ散歩

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桜色舞うころ…1

2005-03-31 23:12:38 | 音楽の話
大好きな中島美嘉ちゃんのアルバムが出た。タイトルは「MUSIC」。1曲目の「桜色舞うころ」を聴いて、ふと涙がこぼれた。彼女の歌声は、なぜこんなに優しく切ないのだろう。桜の開花情報も出て、もうすぐ街はピンク色に染まる。毎年桜が咲くと、2分咲きの誰もいない雨の桜並木をともに歩いた人のことを思い出す。

春雨の桜の下から始まったその人とのことは、暑い夏に向かい、お互い離れられないものになっていった。忙しい彼のことを、ひたすら待つ時間が続いた。そんな中でも、ずっと彼の和みの場となっていたかった。その人もなるべく長い時間会えるように努力してくれて、秋が過ぎ冬が巡って来てもふたりの時間は毎日のように続いていった。彼のそばにいるだけで、心は幸せで満ち足りていた。

2度目の桜の季節。また同じ並木道を手を繋いで歩ける幸せ、ふたりだけの静かな桜並木は、時に東山魁夷氏の「花明かり」のような桜の上に昇る月の情景を見せてくれたり、華やかなフィナーレのような桜吹雪を降らせてくれたりした。カメラが趣味であった彼と、その情景を一緒に撮り合った…。彼の仕事の関係でなかなか遠出をする機会には恵まれなかったが、浅間山を見ながら温泉に入り、その後大好きな軽井沢で過ごした秋の日は忘れられないひとときとなった。

永遠にこの時間が続けばいいと思っていたが、彼のことを気遣い過ぎたため、ネガティブなことやささやかな望みさえ全部自分の心の中に隠して過ごしていた私は、知らぬ間に徐々に壊れていった。眠れぬ夜に言い知れぬ不安感が襲って来るようになり、冬の訪れとともに限界がそこまで来ているのを感じ始めた。(つづく)

          「桜色舞うころ」

桜色舞うころ 私はひとり 押さえきれぬ胸に 立ち尽くしてた
若葉色萌ゆれば 想いあふれて すべてを見失い あなたへ流れた
めぐる木々たちだけが ふたりを見ていたの
ひとところにはとどまれないと そっと教えながら

枯葉色染めてく あなたのとなり 移ろいゆく日々が 愛へと変わるの
どうか木々たちだけは この思いを守って
もう一度だけふたりの上で そっと葉を揺らして

やがて季節はふたりを どこへ運んでゆくの
ただひとつだけ確かな今を そっと抱きしめていた…

中島美嘉HP→http://www.mikanakashima.com/



何しに行った?!宇都宮3

2005-03-30 22:24:20 | 旅のあれこれ
会員数2000人あまりの米山先生のファンクラブ、よねよね倶楽部であるが、
「都内ならまだしも、宇都宮じゃなかなか来る人いないよね~」
と思っていたら、知った顔を発見!都内のお嬢と新潟のお嬢だ。今回は、にゃんこが一番近かったということか(0^; オソルベシ、よねファンパワー☆せっかくなので、著書にサインをいただいたり、一緒に写真を撮ってもらったりする。先生、髪を切ってスッキリした印象ですけど、相変わらずデカイしマツケンに似てますね…。この翌日は、よね先生は日テレの生放送に出演の予定。週末の楽しみは続くのだ(^^v

ホテルのティールームで、よね友としばしお茶タイム。このホテル、川のほとりに建っていて、夜の帳がおりた後は、新潟の万代橋周辺か、はたまた小樽の運河沿いのような雰囲気。でもホテルなのに、コーヒーのお値段がお安いのが可愛いもの…。新潟市在住のお嬢と、イタリアンやラーメン、カツ丼の話で盛り上がる。
「葉加瀬太郎がコンサートで来た時に、イタリアンにはまったんだって」
「あれはさぁ、デブの心をとらえる食べ物だよね~(^^;」
よね友は行動派の方が多い。次はどこの会場で、どんな顔が見れるかな?

タクシーで宇都宮駅に向かう。運ちゃんに、お勧めの餃子店を聞いてみた。
「有名なのは、みんみんですかねぇ?でも地元にいると、餃子なんてそんな旨いもんか?って感じなんですけどねー」
なるほど、名物とは地元民にとってはそんなものかもしれない。しかし、みんみんはやはり人気店だったのね!花粉症でヘロヘロであったが、野生の勘?は鈍ってはいなかったようだ。宇都宮駅でふたりとお別れし、もう1軒くらい…と、賑わっている駅前の「宇都宮餃子館」に入ってみた。1000円のセットを頼んだら、何と餃子が、蒸し4個・焼き5個・チビ揚げ4個・チビ餃子スープ3個付いてきた。すでにおやつに12個完食している身。こんなに食べられねーよ(><; 蒸し4個とスープの3個、チビ揚げ2個と焼きを1個平らげて、あとは包んでもらった。ここのお味は、まあフツーでしたね。本日のトータル餃子個数22個?! 当分餃子君の顔を見たくないが、お土産に買っちゃったしなぁ…。

重くなった荷物を抱えて宇都宮線に乗り込もうとすると、ホームの立ち食い蕎麦屋さんに「ぎょうざそば・うどん」と書いてある。アリャリャ?今度試してみようか???走り出した電車の車窓には満月。折りしも、月と木星の大接近の夜だ。ずっと月を眺めながら過ごす。薄雲がかかっている瞬間には、ムーンボゥ(月の虹)のような月暈が現れた。
「今日もいい一日だったなぁ」
と幸せな気分で満たされていた。と言いたいところだけど、花粉も満たされてしまったようで、目はハニワ状態。翌日は、花粉の吸い過ぎでか、お熱まで出してダウンしてしまったのでした。皆さま、予防は大事みたいです。しかし、メインの目的はどっちだったんだろう?Dr米山か餃子か…自分でもわからない(おしまい)

米山公啓HP→http://www21.ocn.ne.jp/~yoneyone/
宇都宮餃子館→http://www.rakuten.co.jp/gyozakan/



何しに行った?!宇都宮2

2005-03-29 20:36:46 | 旅のあれこれ
ガツガツとけっこうな距離を歩き、目的のホテルに到着。郊外のホテルとは思えない、何とお洒落な館内でせう…(^^;今日は、ここで行われる米山公啓先生の講演を聴くのが、本来の目的だったのです。

振り乱した髪を直しコートと餃子をクロークにあずけて、何事もなかったように会場へ…。獨協医科大主催の脳疾患の講演会に、特別講演としてDr米山が呼ばれていたのだ。今日のお題は、
「脳卒中になってしまったら ~こんな病院なら安心してかかれる~ 」
1時間あまり、Dr米山のわかりやすく興味深い話が続く。Dr米山は、ホテルなどのサービスは飛躍的に向上しているのに、なぜ病院だけが変わらないのか?
「病院が、なぜ病院のままでなければいけないのか?」
と病院関係者に向けて訴える。そして、神経内科が専門の脳みそDrらしく、脳卒中になってしまった時に助かるためのポイントなどを、一般人向けに話してくれる。

脳卒中になったら3時間以内の治療開始が望ましいが、現状ではなかなかその条件をクリアできない。助かるために患者自身や周辺の家族がすることは、声を大きくしてハッキリと訴えをするのが大切だとお話される。我慢強い人、遠慮がちな人、おとなしい人は助からない。緊急の場合に自分の行きたい病院を決めておき、救急車でもそこに行きたい!と主張しろと言う。なぜなら自分の命だから、遠慮は禁物なのは当たり前。そして治療が開始されたら、疑問点は納得できるまでDrに聞けと言う。自分の命を一番守る努力をしなくてはいけないのは自分自身なのだから。そうなるためには、患者側も勉強が必要になる。一番いい関係とは
「Drと患者が、雑談さえかわせるまで分かり合えること」だと言う。

その他にも、院内に医師の顔を表示するとか、その経歴を検索できるPCを置くとか、病院側からの情報公開の必要性、そして患者側のプライバシーの保護などの問題にも話題が及び、1時間の講演はアッと言う間に終了となった。

その後、獨協医大の神経内科のDrによる「脳卒中の診断と予防」の話、脳外Drによる実際のオペ画像をまじえた「脳卒中の外科的治療」の方法の話、そして最後に自治医大の循環器内科の教授をまじえてのディスカッションなど、興味深い話が続いた。聴いておくとためになるお話ばかりなのに、参加者が少ないのが残念だ。これからは医局主催の会のPR方法なども、考えていく必要があるだろう。病院も医局も患者も、変わらなければ良い方向には進まないのだ。(つづく)

米山公啓HP→http://www21.ocn.ne.jp/~yoneyone/



何しに行った?!宇都宮1

2005-03-28 20:33:18 | 旅のあれこれ
バカッ晴れの中、宇都宮線に揺られて宇都宮を目指す。宇都宮駅に降り立ったとたん、空咳を連発(><)やっぱ日光が近いもんなぁ~。花粉量バリバリ。日光のサルも花粉症に苦しんでるのがわかる(0^;めげていても仕方がないので、強風の中、餃子屋さんを求め中心部に向けて歩き始める。

今回は時間が無くて予習していないため、何も予備知識がない。ん~、やっぱ渋い系のお店がいいよね。裏道に折れてみたら、14時を過ぎているというのに長蛇の列のお店を発見。まだ時間あるし、並んでみようかな~。お店の名前は「みんみん」。回転が速いので、10分足らずでカウンター席に案内された。メニューは、焼き・水・揚げ餃子とライスとビールしかない。正しいねぇ(^^ こういうところで食べたかったのよ!餃子はすべて1皿6個で220円。混雑の中、迷っている時間は無い。「焼き」と「水」を頼み、「焼き」と「揚げ」のお土産もお願いしておく。カウンターの中も店内も戦場であるが、白い三角巾のおばちゃんたちはプロフェッショナルで的確に注文をさばいていく。厨房のオヤジさんも無駄のない動きで、おお!壮観。ほどなく、羽付きの焼き餃子が運ばれてきた。

自家製ラー油をドップリと、お酢をチョビッと付けて食す。アチチ(××)でも、まいう~♪次に来たチュルチュルの水餃子。写真とか撮っているのでメチャよそ者とわかるようで、おばちゃんが食べ方を教えてくれる。
「同じたれで食べてね。中に入れて、スープみたいにして食べてもいいですよ。お好みでね!」
わかりました、やってみます(^^v 最初にたれをチョロリとつけて、後半は餃子スープにしてみた。美味しいしあったまるネ♪大満足で12個を完食しお土産を抱えて店を出たら、まだ列は長く続いていた。

満腹のお腹をかかえて、中心部をネコ散歩する。と…突然大きな鳥居が現れた。「二荒山神社」と書いてある。急な階段を上っていくと、解放的な空間に立派な拝殿が現れた。何と、下野の国の一之宮だそうだ。行き当たりバッタリの散歩で、こんな神社に出会うとはありがたい。先日は越後の国の一之宮である弥彦神社にお参りしたし、なんかついてるかも?その門前の「春木屋」という和菓子屋さんに、気になる大看板が…。
「 日 本 一 の 大 福 」
何だろう???とのぞいてみたら、ショーケースに巨大などら焼きが並んでいて、その横に「本日は、大大福は売り切れました」と書いてある。日本一おっきい大福なのね。見てみたかったなぁ…。

レトロな構えの喫茶店も気になるところだが、そろそろ時間も迫って来た。餃子12個のカロリーを消費すべく、早足で本来の目的であるホテルを目指して歩き出した。(つづく)

餃子のみんみん→http://www.minmin.co.jp/
宇都宮二荒山神社→
http://www.tochigi-jinjacho.or.jp/jinjalist/futaarayama.html



老いの風景in楽風

2005-03-27 18:03:12 | ギャラリー&カフェ
フォトジャーナリストの山本宗補氏の写真展が、大好きな「つきの宮神社」近くのギャラリーカフェ「楽風(らふ)」で始まった。数年前、浅間山の麓で育ったという山本氏と初めてお目にかかったのも、この楽風でだった。ひょっとしたら、大好きな浅間山が繋いでくれた縁かもしれない。その日は、スライドで紛争地域や貧困な場所の人々の「訴えかけるまなざし」が映し出され、山本氏の静かな語り口でその状況が説明された。
「知らないということ自体が、すでに罪なんだ…」
と、衝撃を受けた日だった。

山本氏は「アエラ」にも作品を提供しているフリーのフォトジャーナリスト。世界の紛争地域や貧困地域に行き、マスメディアには載らないその実態を発表している。海外での活動が主であるが、今回は初めての日本を撮った作品のみの個展で、小さな島に住むお年寄りたちの姿、京都の山村で診療にまわる老医師の姿、在宅ホスピスという道を選び逝く人、ハンセン病療養所で懸命に生きる人…各々の老いていくその姿を、モノクロの写真で追っている。

山本氏は世界各地で「死の現場」に遭う。その現場にいると、人間の「生」というものを深く考える。自身が51歳という年齢になり、人生の半分がとっくに過ぎ去ったことを思った時、その人の生きてきた人生の一部を切り取れたらいいと思ったという。「その人の人生の一端を残しておきたい」という思いで撮った作品の数々。そこにはその人たちの「かけがえのない時」が写し出されていた。

その会場で、思いがけぬ人と再会した。前出のネコ写真家の石橋照子先生の作品展でお目にかかったことのある、医師で写真家の寺島萬里子先生だった。63歳でカメラを始めハンセン病の方の姿を撮り続け、78歳になった今もカメラは手離せないという。51歳で折り返し地点をとっくに過ぎたと語った山本氏に向けての、
「人間、自覚して生き始めるのが20歳、そこから初めて人としての人生が始まるのだから、山本さんはまだ折り返しを過ぎたなんて言っちゃダメですよ(笑)」
というひと言が印象に残った。この寺島先生、とても透明な人…と感じる。にゃんこの敬愛する、佐藤初女さんと通ずるものがある。どうしたら、こんな風に静謐に歳を重ねられるのだろう…。

今回はいろいろなことを感じ過ぎて、とても伝えきれない…。ぜひ時間を作って、その作品に触れに出かけて欲しい。築100年以上の納屋の中で、きっと人それぞれ感じるものがあるに違いない。4月1日には2度目のスライドショーも行われるので、都合のつく方はぜひ。折りしも満月の夜、月の光に照らされながらいろいろな思いを抱えて帰路についた。

山本宗補氏HP→http://homepage2.nifty.com/munesuke/
写真展「老いの風景」→
http://homepage2.nifty.com/munesuke/photoexhibit-oi-part1-postcard.htm