温泉にゃんこのネコ散歩

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アントワネットさま伝説6

2015-01-30 16:12:00 | ノンジャンル
その間もアントワネットは、日本舞踊をやったり、ドイツ製の銀の馬車を乗りまわしたりと、ちょいバブリーな生活をしておりましたが、守ってくれるはずのオスカルもアンドレも現れず。フェルゼン伯ならぬ、お気楽な山男の伴侶になり、断熱剤も入っていない築45年の平屋に住んでおります。夏は42℃、冬は氷点下になるわが家…山男は過酷なこの時期、必ず南への仕事を入れて、寒さから逃げております。

       
その山男が、アントワネットと一緒になって驚愕したことがいくつか…。
1.洗濯機の使い方がわからず触れずにいた(要するに、洗濯をしたことが無かった)
2.納豆をかきまぜて怒られた(アントワネットは納豆が苦手でかき回すとダメ)
3.最後の1個は自分のものだと思っている(聞かないで食べたら怖かった)
4.ご飯茶わんとお味噌汁のお椀を逆に置くと、ものすごく機嫌が悪くなる
5.お料理はするが、洗い物は苦手でしない(これ、結婚当初から分担作業です)

そんなアントワネットは、今は体が弱ってしまった国王さま(ようするに父親)の靴下を履かせたり、着替えをさせたり、通院に付き合ったり、その他もろもろの用事(これ個人情報だから言えないの…)をする日々を過ごしております。子供がいないアントワネットは、靴下を履かせる時「母のマリアテレジアは大変だったんだなぁ~」と初めて実感したのでした。

というわけで、普段は1日に5つも6つも用事をこなしているので、疲れきってなかなかブログを書く気力がありません。もろもろの懸案事項が終息を迎えたら、以前のような生活に戻れればと思っていますが、それはまた流れにまかせようとも考えております。愛していたドイツ製の銀の馬車とは来月でお別れ、国王さまが乗りやすい他の馬車に乗り換えます。それもまた、流れの一部かと…。(やっとおしまい)

☆今の癒しはこれを観ること→
https://www.youtube.com/watch?v=5w9LkySEBD8
(が…セリフの「オスカル~!」のところを、隣に居る山男が「ラスカル~!ピョコピョコピョコッ!」と言うので、この華麗な世界がぶち壊されるのよね…)

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アントワネットさま伝説5

2015-01-30 15:26:00 | ノンジャンル
そんなわけで、根性も体力もついたアントワネットは、持ち前の正義感から警察官を目指すも、身長が基準に足りず夢叶わず…OA機器のサービス会社に入ってワープロ教室のインストラクターになるはずが、なぜか時代の流れで外回りをする羽目に。OA機器の取り付けと説明にひとりで看板車に乗ってお客様先を回る日々。㋳さんやラブホなどの危なそうなところは女の子なら大丈夫だろうと行かされ…。某お宅の玄関を開けたら、わかりやすい虎の剥製がドーン!コンセントを入れようとちょっとサイドボードを動かしたら、何かがガチャッと落ちてビビったら、親分さんが拾い上げて、シャラーンと日本刀を抜いて見せて下さいました(TT)オ、オ、オスカルさまじゃないのにね。でも、シロウトにはすごく紳士で優しかったけど。話が食い違って、営業とともに土下座させられたり、段ボール箱投げつけられたりと、いろんなことがありましたわ。

       
まぁ、いろ~んな経験をして、いろ~んな人を見て、最後は支社内のサービス促進部へ。外回りからは解放されたものの、ここもお客さまの故障対応や苦情対応、修理に行って治せないサービスマンからのヘルプの電話が入る部署で、謝る日々は続いたのでした。アントワネットなのになぜ…?心ボロボロなアントワネットの逃避先は、タカラヅカと歌舞伎、そしてひとり歩きの温泉巡り。それでも、いい加減続かなくなってきた時に、縁あってライターの仕事に転職。こりゃピッタリな仕事と思った矢先に家庭の事情でリタイアし、今度は大学病院での外来受付業務へ。時に、待たされ過ぎてキレた患者さんの怒りのサンドバックなんかにもなったりするアントワネット(--; 「これも施しですわよね」とか心の中で思いつつ…。(つづく)

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アントワネットさま伝説4

2015-01-30 14:46:00 | ノンジャンル
過酷なれど楽しかった小学校時代、その後は3Km以上先にある1学年18クラスもあるマンモス中学へ自転車で通うアントワネット。ここでは、人生初めてのいじめに遭遇。クラスの4名の女子グループに「あいつ気取っている」(多分、関東弁が気に入らなかった)と標的にされ、上履きの中に仕込まれた画鋲を踏んでかかとを怪我したり、自転車のタイヤに何本も画鋲を突き刺されてパンクさせられて、3kmも押して帰宅したりと、昔の大映ドラマさながらのわかりやすい展開に(0^; でも、そんなことも何もマリアテレジアには言わずに通い続けるアントワネット。救いだったのが、いじめていたのは4名だけだったということ。まぁ、これで根性もついたわけで…。

       
そんな中学時代の1年が終わる頃、ガラスの心を持った父も知らない土地での仕事に耐えかねて、埼玉へ戻ることになったのでありました。地元の中学に戻ったアントワネット、めでたしめでたしとなると思いきや、なぜか英語のジジィ教師にいじめられ、英語だけ成績がガタ落ち。そんなわけで、高校はチャリで通える距離にある公立へ。ここは「本さえ読んでいればいい」というゆる~い教育方針の校長の言葉通りに過ごし、たいして受験勉強もせず過ごして、中の下くらいの大学に入学。

一応法律を勉強するつもりが、新入生勧誘時にめっちゃ好みの顔をした男子に声をかけられて、なぜか体育会の硬式庭球部に入部。知らないものの怖さで、中学高校と運動部にも入っていなかったのにいきなり体育会に入り、上下関係の厳しさを叩き込まれ、しかも一緒に入った女子がみんなキツさに負けてやめてしまったため、最後に残ったアントワネットはやめるわけにもいかず1日8時間の練習にも、地獄のような合宿にも耐え(今でも人生で一番過酷だったと思う…)、何とか4年間をまっとうしたのでした←あっぱれ!(つづく)

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アントワネットさま伝説3

2015-01-29 23:44:00 | ノンジャンル
心病んだまま通っていた小学校でありましたが、やけに本を読んでいたせいか成績は常にトップ争い(たかだか小学校低学年だしね…)、そこに登場するのが、これまたひとりっこでパパが会計士のユカ。いわゆるライバル。ベルばらでいうところのデュ・バリー夫人ですな(0^; こやつ、親が裕福な上に教育熱心&日本舞踊とか習っちゃってて自信満々「ねぇ、うちのパパはいつも私と遊んでくれるのに、どうしてアントワネットのところはいつもいないの?」とか、言うことがいちいち気に障る。フツー、父親は働きに出てんだよ!

       
小学校4年まで続いたデュ・バリーとの熾烈な戦いも、アントワネットの転校で終止符を打つことになる。見知らぬ土地の静岡の海辺に移り住んだアントワネット、海に喜び富士山が見えることに感動したのも束の間、埼玉の小学校とのあまりの違いに愕然となる。登校は冬でも半袖短パンの体操服、小学校なのに50mプール、しかも真中の水深は2m。25m泳ぐのがやっとだったアントワネットは、プールの真ん中で溺れかかったところを、先生に竿で突っつかれる始末。冬恒例のマラソン大会は小学生なのに10Km、しかも砂浜が含まれているというハードさ。

埼玉で遠足と言えば、バスで楽しいところに行っていたのに、静岡での遠足はまさに遠足。何Kmも歩いて山に登らされたり、増水した安部川を渡って木枯らしの森という中洲に行かされたり、台風の後の久能山行きでは、台風の爪痕が残った景色が怖かったこと怖かったこと…。でも、わっこちゃんとしげちゃんという親友ができたおかげで、激烈な環境変化を何とか乗り切ったアントワネット。でもね、リアル田植えは本当にイヤだった(TT)今でもあのニュルッという感触は忘れられまへん。

静岡で唯一楽しかったのは、埼玉とは違う食べ物があったこと。今でこそ有名になった静岡おでんは、よくひとりで海辺の駄菓子屋の「いわらや」に食べに行ってたっけ。その他にも、生シラスや最初は衝撃的だった甘いコロッケ、天神屋のドライカレーおむすびなどなど。この頃からひとりでフラフラするのを始め、バスで30分かかる静岡駅周辺でショッピングしたり、12歳にしてひとりでジュリーのコンサートに行ったりと、ひとり好き好きモードは加速していくのであります。(つづく)

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アントワネットさま伝説2

2015-01-29 20:51:00 | ノンジャンル
ひとりっこのアントワネットは、遊び相手がいないゆえ、ひとり遊びor本がお友達の日々。おもちゃはいっぱい持っていて、ネオンブライトやらママレンジ(←これが一番好きで、よくホットケーキやお好み焼きを焼いてました)やら、人生ゲームやら、仮面ライダーベルト、ひみつのアッコちゃんのコンパクトetc…。仮想の相手を設定しての、坊主めくりやババ抜き等など。お友達のお母さんには「ひとりじゃ寂しいでしょ」と言われまくったが、本人は気楽な妄想暮らし。競争相手もいないので、お菓子はあるだけ食べ放題。何の寂しさも感じない、平穏な日々は続いていくと思われたのですが…。

       
時は流れて、小学校に入学。ひとりで気ままに過ごしていたため、集団生活に適応できず(^^;しかも、いまだに洋服やら靴下やらも着せてもらっていたため、ひとりでは何もできず。初めての挫折は、参観日にぶち当たった健康診断の日。今じゃ考えられないだろうけど、お母さん方が観ている前で、着替えをさせられたのですよ。ひとりでは何も着られないアントワネットは、つりスカートのどこに足を入れていいかもわからず、すべての人の笑い者になるという屈辱。「あたくし、こんなことはもう耐えられない。これからはひとりで生きていくのよ!」と6歳で決意し、翌日からはすべての手伝いを拒否して、悪戦苦闘しながら朝の支度をしたのでありました。

集団で長時間いるのが相当なストレスだったせいか、給食を食べた後には必ずこっそり吐いていましたが、先生にもマリアテレジアにもそれを知られることはプライドが許さず、何カ月もの間、そんな日々が続いたのでした。つらい時はひとり本の世界に逃げ、小学校に行くのを嫌がるそぶりも見せずに知らん顔して通学する毎日。ここから、他人行儀な親子関係が始まったのでございます。(つづく)

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