温泉にゃんこのネコ散歩

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行田☆大妄想劇場1

2009-05-24 12:59:00 | ノンジャンル
     『 れんげ草の記憶 』  ~ 第一話 わたくしのおにいさま ~ 

 歴史ある城下町にある老舗呉服店「よねや」の京香は、両親が結婚10年目にして授かったかけがえのないひとり娘。足袋の町として栄える行田には多くの足袋問屋があり、その中でも一番の大店である「おいかわ」の跡取りである光博とは幼なじみだ。5つ年上の優しい光博のことを「みつにいさま」と呼んで慕っていた幼い日の京香を、男兄弟だけの光博も妹のように愛おしく感じていた。足袋工場裏の空き地で夢中でれんげ草を摘んで遊んでいる京香に、一輪の花で指輪を作ってそっとその小さな指にはめる光博。そんな微笑ましい姿を見た双方の両親は、家柄も釣り合っているふたりを幼い頃から許嫁として考え、あたたかいまなざしで見守っていた。

        

 瞬く間に年月は経ち、光博23歳京香18歳の春。何ごともなければふたりは夫婦になっている年頃…が、未熟児で生まれた京香は通常の学校に通うのがやっとの状態で、大店の奥さまとしてやっていけるとは思えず、いつしか許嫁の約束は双方の親の相談の末に反故となっていた。東京の大学を終えて故郷に戻った光博は、海外貿易を学ぶための留学をひかえ忙しい日々を送っていたが、そこにあらためて縁談の話が持ち上がっていた。

 白羽の矢がたったのは、代々医業を営む地元の名士である医者の娘の秋穂。ドイツへの留学の経験もあり英語やドイツ語が堪能な秋穂は、これから大店を発展させていく定めを背負った光博にはまたとない相手だった。裕福な家庭でのびのびと育った秋穂は、その美貌を鼻にかけることも無く心根も優しい女性で、光博もこの縁談を断る理由などどこにも無かった。ただ気になるのは幼い頃から身近にいた京香のこと。同い年の京香と秋穂は友達であり、いつも秋穂はからかわれている京香をかばう役割りだっただけに、余計にこの状況を理解させるには忍びない…。(つづく)

*この物語はフィクションであり人物名や店名はすべて架空のものです。
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ラヴソングの匠の極み

2009-05-23 17:25:00 | 音楽の話
4年ぶりに、大好きな鈴木雅之のコンサートに出かけた。場所はソニックシティホール。埼玉で新型インフルエンザの陽性の人が出た翌日だったため、会場の入りはどうだろう?と思っていたのだが、ほぼ満席。が、会場内のお手洗いには、手指の消毒薬とうがい薬が用意され、マスク着用の人の姿が目立った。もちろん、臆病者のにゃんこもしっかりマスク顔。気になったのが、お客さんの年齢層。アラフォーからアラ還まで、かなり高い!そう言えば、マーチンももうアラフィフだもんね。ファンも一緒に年とってきちゃったということか(0^;

        

カップルで来ている人も多い。いけない恋の曲が多い彼のコンサートに連れ立って来るのは…やはり、イレギュラーな関係のふたり?とか思ってしまう。でも、そんな恋の最中のふたりで来たら、曲の世界と現実がシンクロして、嬉しいのか悲しいのか?←妄想族の勝手な想像(^^ゞ しかし、鈴木雅之の生の歌のなんと魅力的なことよ。シャネルズやラッツ&スターの時は全然気にならなかったのに、ソロになって「火曜サスペンス劇場」のエンディングテーマを歌うようになってから、彼の歌声のとりこになってしまったのよね~♪ 特にR&Bが好きだったわけでもないし、ナヨナヨ系が好みのにゃんこの理想とは真逆の、あのヒゲとモジャモジャ頭&黒い顔。でもでも、彼の表現する切ない世界に心鷲づかみにされてフォーリンラヴ。

~ あなたが今望むなら 今すぐ強く 抱きしめたい奪ってしまいたい ~ 
☆「恋人」(音が出ます・画像も濃いです!)→ 
http://www.youtube.com/watch?v=ROgBLEGluPU&feature=related

~ 君のことしか考えられない 流れる街の灯 心はちぎれて ~
☆「別れの街」(音が出ます・さらに濃い画像です?!)→
http://www.youtube.com/watch?v=HELnsKwnbp4&feature=related

オープニングで総立ちになった会場…が、年齢層が高いためバラードになるとすぐ座るのね(^^; 来年でデビュー30年になるマーチンが、今後も変わらず目指すのは「ラヴソングの匠の極み」だとか。ああ、これからも、エロい大人の歌で酔わせ続けて下さいませ(*^^*) 甘い歌声にドップリのみこまれていい気分で帰ったにゃんこ。お留守番のダーさまのディナーには、作る暇がなくてごめんなさいのレトルトカレーとツナレタスサラダを用意していったのだが…にゃんこが食べるのを楽しみにずーっととっておいた「八ヶ岳高原チーズカレー」が食べられておった(TT)これ、諏訪の恵美子ちゃんが特別に送ってくれたのよね~。ああ、ひとりで妄想族して遊んでいたバチが当たったんだろうか(××)そんな落ちがついてしまった、マーチンな夜でありました。チャンチャン!

おまけ。にゃんこが特に萌えるのは、この2曲 =^^;= (音が出ます)
☆ためいき  →http://www.youtube.com/watch?v=hkZTXpsYq30
☆路~交差点~→http://www.youtube.com/watch?v=0xXbMOWmx18

鈴木雅之HP→http://www.martin.co.jp/
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着物de行田蔵めぐり5

2009-05-20 20:28:00 | にゃんこ的グルメ
昔の印刷所では、珍しい木製の活字を見せていただきました。ほとんどは火事の時に焼けてしまったのだが、これは何かの下敷きになって奇跡的にひと箱だけ残ったものだとか…。

        

歩け歩け状態でたどり着いた「十万石まんじゅう」の本店。そう、あの「うまい!うますぎる!」の十万石。落ち着いた店内には、お茶を飲めるスペースがあり、スタンプラリー参加者には、おまんじゅうが1個ふるまわれていました。ああ、力が出るねぇ~(^^v 和菓子だけでなく、大ぶりのケーキ類も300円前後というリーズナブルさ♪ 今度また、買いに来ようっと。

        

カフェを併設した天然酵母のパン屋さんも、かつての蔵をうまく利用したもの。こういう、和と洋のコラボもステキね。最後はへこたれそうになりつつも、ダルビッシュ坊やにハッパをかけられて最後の2か所の蔵を目指す。奥貫蔵で最後の1個を押してめでたく完走(^^vやったね!

        

達成感100%で坊ちゃんと一緒に「カフェ閑居」に戻り、抹茶ケーキとコクのあるコーヒーでひと休み。いつもながら、ハイソなお味です。

        

予想通り着物グループは、1時間前と変わらぬ状態でありました(0^;

        

お留守番してくれていたダーさまへのお土産は、行田名物のゼリーフライ&フライ。カフェ閑居の裏にある喫茶店「憩」で、頼んでおいて大正解!最後は、スタンプラリー完走の賞品の可愛いお花をいただいて、行田の町を後にした。ああ、昨年にも増して楽しかったなぁ~☆ 行田という町、繁栄の歴史があるだけに奥深いですわ。(おしまい)

        

行田足袋蔵マップ→http://www.gyoda-cci.or.jp/tabigura/tabigura-top.htm
十万石まんじゅう→http://www.jumangoku.co.jp/index.html
カフェ閑居→http://www.cafe-kankyo.com/kk_index.html
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着物de行田蔵めぐり4

2009-05-19 14:57:00 | 旅のあれこれ
路地裏を堪能して着いたのは「足袋蔵ギャラリー門」の裏側の石門。ここは、NPOぎょうだ足袋蔵ネットワーク代表の朽木氏の建築事務所でもあります。

        

お隣のステキな洋館は「カフェ閑居」として営業されていて、清々しいお庭を眺めながら、オーナー夫妻がこだわって選び抜いた食材で作った、ランチやケーキがいただけます。妙に落ち着いてしまう2階のお座敷…着物姿で根が生えちゃっている人々(^^;

        

にゃんこもあやうく座り込みそうになるが、せっかく行田まで来たので蔵めぐりイベントを貫通せねば!と、再び町歩きへ。神社の裏手に姿を現す「イサミスクール工場」。昔のノコギリ屋根の足袋工場が、今は制服の工場として現役で稼働しています。門を入って右手には、こんな日本家屋が…役員室とかかしら?

        

イケメン歌舞伎役者の商標のイサミ足袋、看板と一緒に今回唯一のお子さま参加のダルビッシュ似の坊ちゃまを記念撮影(*^^*)おもむきのある緑に塗られた工場内には電気がつき、この日も何か作業が続けられていました。

        

あまりのステキさに、毎年撮ってしまう「ガソリンポンプ置場」。イサミから出たところでメッチャ目につく、鉄板焼きとビフテキの「おかざき」。そそられる店構えなれど、残念ながらもう営業はしていない感じ(TT)う~、また遅かったか…。

        

小江戸ものがたり編集長の藤井さんが、激萌えの「新町区自治会館」。この日は普段は入れない館内にも入れてラッキー!2階には、こんなお座敷が。

        

はぁ~、スタンプラリーはあと半分弱。ダルビッシュ坊やに励まされて、ピンク着物のにゃんこはまだ頑張るのです。(つづく)

ギャラリー門→http://www.i-kado.com/kd_index.html
カフェ閑居→http://www.cafe-kankyo.com/kk_index.html
行田足袋蔵マップ→http://www.gyoda-cci.or.jp/tabigura/tabigura-top.htm
詳細なレポは、お着物仲間の志織ちゃんのブログでご覧下さいまし!
http://shioring.cocolog-nifty.com/blog/2009/05/2009-ca1a.html
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着物de行田蔵めぐり3

2009-05-19 13:48:00 | 旅のあれこれ
お昼に向かう途中…何やら三味線の音が。「あねさんだよっ」って、小唄の深川じゃありませんか。蔵めぐりイベントに合わせて、風情のある建物の中でおねえさん達が粋につま弾いていらっしゃる。ああ、いいねぇ~と思っていても、食欲が優先されるのです。お蕎麦屋さんの前に群がる着物集団(0^;

        

ここ「忠次郎蔵」もNPOぎょうだ足袋蔵ネットワークが再生させた場所。ここでは絶品の手打ち蕎麦がいただける。香り高いもりそばは500円(通常は600円)、サクサクのかき揚げは100円(通常は200円)。こしがあるお蕎麦に、玉ねぎの甘味に牛蒡の香りがアクセントになったかき揚げがベストマッチ!この日お座敷では、こんな芸能も披露されております。

        

食べ終わる頃には、津軽三味線のおふたりが登場。お蕎麦食べながら生演奏聴けるなんざ、贅沢やねぇ♪ で、蔵の前では、揚げ立てのゼリーフライとなぜか信州りんごが並んでいる。りんごは詰め放題で500円だって!着物集団の約半分が詰め放題という文字に引っ掛かり、にゃんこもチャレンジ。数えてみたら…10個も入れておりました(0^;

        

満腹&満足な着物集団の目にとまったのが、忠次郎蔵のお隣のお宅。行田の資産家のおじいさまが92歳まで住んでいたという日本家屋は、さすがに小説に出てきそうな風情満点な構え。2年前からは空き家になっているとか…。ああ、こういうお家に住みたいにゃぁ~☆ 粋なお家の前で大撮影会をした着物集団は、こーんな猫道を歩け歩け(^^; 

        

猫道を抜けたところには、昔ながらの銭湯「柳乃湯」。昨年来た時に、めっちゃ気になっていた場所だ。その時は現役だったので、今回こそは入ろう!と意気込んでいたのだが…何とひと足遅く、廃業してしまっていた。後悔先に立たず(TT)田山花袋の「田舎教師」にも登場するというこの銭湯、120年の歴史を持っていたそうな。もう二度と入れないと思うと、無念感が増すばかり。出逢った時に、すぐやらなければ間に合わないことってあるんだなぁと、思い知ったのでした。…が、その裏手の路地にある、映画のセットのような理髪店は今だ現役!すばらしい!入口のガラスには「只今出張中」の手書きの張り紙が…在宅の人とかの髪をやりに行っているのかなぁ?ちと、微笑ましくなる光景に遭遇し、ブルーな気持ちから少し立ち直ってお散歩再開です。

        

☆「柳乃湯」の新聞掲載記事↓
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「田舎教師」の銭湯が閉店 市民の疲れ癒やした社交場
行田「柳の湯」 120年惜しまれつつ           (3月15日付)
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 自然主義文学の旗手、田山花袋(一八七一―一九三〇年)の長編小説「田
舎教師」にも登場した行田市内の銭湯が閉店した。同市忍二丁目、国道12
5号沿いにある「柳の湯」。明治二十年代の創業以来百二十年、隆盛を極め
たころの面影は今はもうない。明治から平成へと時代の趨勢(すうせい)を
見守り続け住民に親しまれた“社交場”が、その歴史に幕を下ろした。
◆40年働いた深井戸
 「釜・井戸の故障により閉店します」―。
 昨年十二月二十三日、店の入り口に廃業を知らせる張り紙が張られた。柳
の湯では深井戸のポンプから水を上げて風呂釜に入れ、重油や廃材を燃やし
て湯を沸かしていた。ポンプの寿命は通常十数年。柳の湯の井戸は四十年も
の間稼働し続けたが、とうとう壊れてしまったのだ。
 「なじみの客は高齢になって足が遠のき、修理するにもコストがかかる。
この辺が潮時かな」。三代目主人の堀越達雄さん(70)はやむなく廃業を
決意した。
◆小説のモデルに
 「田舎教師」に登場する柳の湯は、主人公・林清三が住む家の周辺の風景
として登場する。
 「家は行田町の大通から、昔の城址の方に行く横町にあった。角に柳の湯
という湯屋があって、それと対して、綺麗な女中のいる料理屋の入口が見え
る」(田山花袋『田舎教師』より)
 江戸時代に誕生した銭湯は、明治に入り都市化の進展と人口増加に合わせ
て繁栄した。市文化財保護課によると、柳の湯の建つ場所はかつて、忍城下
の武家屋敷と町人町の境目だった。「明治時代の忍城再建で、外堀の埋め立
てとともにいち早くできた銭湯なのではないか」(同課)という。
◆隆盛と衰退の昭和
 特に昭和二、三十年ごろは「すし詰め状態」の繁盛ぶりだった。まだ家庭
に内風呂を持つ人は少ない時代。近所の家族連れや学生、市内の足袋店に勤
める従業員らで毎日にぎわった。
 高校卒業後、家業を継いだ堀越さん。当時の燃料は石炭で、茨城県の炭鉱
から電話一本で調達した。列車で運ばれてきた三十トンの石炭(約六十日分)
を行田市駅で下ろし、荷馬車と七、八人の男たちで引っ張りながら運んだと
いう。
 昭和四十年代まで市内に十三軒あった銭湯も、その後は衰退の一途をたど
る。高度成長期で暮らしが豊かになり内風呂が普及した。客足はぐんと減っ
た。
◆閉店惜しむ声
 平成に入ると「スーパー銭湯」と呼ばれる大型入浴娯楽施設が進出、趣向
を凝らした浴場に人気が集まるようになった。「パッと栄えたり衰退したり。
これも時代の流れだね」と堀越さんは静かに語る。
 しかし、昔ながらの銭湯が消え行くのを惜しむ声は多い。「銭湯ごとにコ
ミュニティーができていて、常連客が一日の疲れを癒やしながら会話を楽し
む場所だった」と残念がる人も。羽生市で田舎教師研究会を主宰する宮内芳
子さんは「一九〇九年の『田舎教師』出版からまもなく百年。小説ゆかりの
場所が街から次々と消えていくのは寂しい気もする」と話した。

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忠次郎蔵そば店→http://www.tabigura.net/soba.html
「柳乃湯」掲載ブログ→http://blog.goo.ne.jp/gookomichi/e/dabbf3110ad1ffa25b7ecd01f41acf73
詳細なレポは、お着物仲間の志織ちゃんのブログでご覧下さいまし!
http://shioring.cocolog-nifty.com/blog/2009/05/20094-c528.html
http://shioring.cocolog-nifty.com/blog/2009/05/20095-ccf9.html
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