温泉にゃんこのネコ散歩

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行田☆大妄想劇場3

2009-05-26 15:20:00 | ノンジャンル
     『 れんげ草の記憶 』  ~第三話 逝き逝きてなほ… ~

 京香45歳の秋、もともと体が弱かったせいもあり流感にかかった数日後に、両親に看取られあっけない最期をむかえた。京香の旅立ちの日、急な訃報を聞いて日本橋からかけつけた光博は、ただ茫然と立ち尽くすのみだった。自分を責めているように見える光博の背中を見た京香の母は、
「おいかわの坊ちゃんのおかげで、京香はとても幸せな一生を過ごすことができたんですよ」と、そっと声をかけた。

        
 
 京香の細い足には、あの日、光博から贈られたれんげ草の刺繍の白足袋が履かされ、襟元にはあの文がすべり込ませてあった。それは京香の文机に、幼い日の光博の写真とともに大事に大事にしまわれていたものだった。それを聞いた光博の胸にはあの日の京香のはにかんだ様子がありありとよみがえり、さらに悲しみは深くなるのだった。大切なひとり娘をおくり出したことで肩の荷がおりたのか、京香の49日が終わるとその後を追うように70代になっていた両親も相次いで他界し、「よねや」はその長い歴史に静かに幕をおろした。

       

 日本橋で隆盛を誇っていた「おいかわ」も時代の流れにはあらがえず、光博が65歳をむかえた秋に店をたたむこととなった。これからは、長年苦楽を共にした秋穂とふたり、故郷に帰ってのんびりと過ごそうと思っていた矢先、秋穂が床につくことが多くなった。今までの無理がたたって疲れが出たのだろう、春になって暖かくなれば元の秋穂に戻ると考えていた光博に、秋穂は初めて病を患っていたことを明かしたのだった。半年後、秋穂は聖路加病院の病室から満開の桜を見下ろしていた。その桜が花吹雪となって街ゆく人々にふりそそぐ頃、光博に手を取られた秋穂は、
「私、あなたの妻でよかったのかしら?あなたのお役に立てたのかしら?」
と小さな声でつぶやいた。そんな秋穂を見つめ
「何を言っているんだ、おまえがいたからこそ私はここまでやってこられたんだ。もう頑張らなくていい、これからはふたりでのんびり過ごそう」
良かった…というひとことを残し、微笑を浮かべたまま秋穂は旅立っていった。

           

 その後ひとりで生まれ故郷の行田に戻った光博は、その余生を地域のために捧げ、商工会議所会頭など数々の役を勤め92歳でその天寿をまっとうしてこの世を去った。それまで京香の月命日に必ず墓前にあげられていた花も、その日から途絶えた。今そこには、淡いピンクのれんげ草の花のみが自然に咲くばかり。京香が見上げていた光博の家は、住人を失ったまま今もその地に変わらぬ姿で建っている。

        

 表通りに面した「よねや」は、あの後、秋穂の実家が買い受け、長い間使うあてがなかったにもかかわらず丁寧に保存されていた。近年そこは「よねや」の屋号はそのままに、お洒落な和カフェとしてよみがえった。秋穂の姪のしのぶの手による、極上の珈琲と手造りの抹茶ロールケーキが評判を呼び、今では週末に都内からここを目指してくる者も多い人気の店になった。太い梁を見上げながら、かつて帳場だったお座敷でゆっくりと流れる時を楽しむ若者たちは、この不思議な縁を知る由もない。ふと見上げると、セピア色になった写真が一枚。そこには、隆盛を極めた頃の「よねや」の店先で、七五三の晴れ着を着て両親の横に緊張して立つ幼い京香と、ちょっと間をあけて静かに微笑む光博の姿があった。(完)

       
 れんげ草の花言葉…あなたは幸せです わたしの痛みをやわらげてくれる

*この物語はフィクションであり人物名や店名はすべて架空のものです。
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