201系電車と鉄道に関するブログ
SINCE 2005-01-18
201系のブログ
特集:試作車七変化
廃車になった201系試作車を本日、大宮で撮影してきました。やっとスカイブルーの正面を見ることができました。
そこで、写真で試作車の顔の変化ぶりを見てみようと思います。
△オリジナルの試作車。運転台が茶色なので東急の車両です。運行番号はなぜか77Tでした。上下線で1面2線時代の国分寺です。カメラはまだポケットカメラ(110カートリッジのフィルム)なので、画質は最悪です。
△量産化改造後の試作車。運転台の量産化改造も行なわれ日車製のクモハが先頭に立つようになりました。運用はなつかしの特快運用51Aです。
△転属はしなかったものの、三鷹電車区の担当路線が緩行線になってしまったため、塗装変更までの期間誤乗防止ステッカーをつけての運用となりました。関連記事
△ようやく塗装変更、ぴかぴかのカナリヤイエロー姿になりました。
△一部車両の運行表示幕が黒幕化され、試作車の特徴であるグレーの枠がとても目立っています。同時期、103系1200番台でも同様の現象が見られました。
△JR化され正面にJRマークがつきました。側面は戸袋窓があるので窓の下につけられ、これもまた試作車の新たな特徴になりました。この後ATS-Pの工事が前倒しで急速に進められた結果、試作車は編成の中間に押し込められ先頭の顔を見ることはなくなりました。
△そして、これが最期の姿。三鷹から撤退することになり、京葉線のスカイブルーになって活躍しました。
先に回送された編成は早々に解体されてしまい、また、本編成も後を追うかのごとく回送されたためちょっと心配になってしまいました。まだ保存という正式な発表は一切なく、万が一このまま解体されるようであればとても残念なことです。
太っ腹のJR東日本さんなので、ここは4両まとめて大宮の博物館来場者輸送車として動態保存を・・・!?
またどこかで再会できることを祈りつつ。
そこで、写真で試作車の顔の変化ぶりを見てみようと思います。
△オリジナルの試作車。運転台が茶色なので東急の車両です。運行番号はなぜか77Tでした。上下線で1面2線時代の国分寺です。カメラはまだポケットカメラ(110カートリッジのフィルム)なので、画質は最悪です。
△量産化改造後の試作車。運転台の量産化改造も行なわれ日車製のクモハが先頭に立つようになりました。運用はなつかしの特快運用51Aです。
△転属はしなかったものの、三鷹電車区の担当路線が緩行線になってしまったため、塗装変更までの期間誤乗防止ステッカーをつけての運用となりました。関連記事
△ようやく塗装変更、ぴかぴかのカナリヤイエロー姿になりました。
△一部車両の運行表示幕が黒幕化され、試作車の特徴であるグレーの枠がとても目立っています。同時期、103系1200番台でも同様の現象が見られました。
△JR化され正面にJRマークがつきました。側面は戸袋窓があるので窓の下につけられ、これもまた試作車の新たな特徴になりました。この後ATS-Pの工事が前倒しで急速に進められた結果、試作車は編成の中間に押し込められ先頭の顔を見ることはなくなりました。
△そして、これが最期の姿。三鷹から撤退することになり、京葉線のスカイブルーになって活躍しました。
先に回送された編成は早々に解体されてしまい、また、本編成も後を追うかのごとく回送されたためちょっと心配になってしまいました。まだ保存という正式な発表は一切なく、万が一このまま解体されるようであればとても残念なことです。
太っ腹のJR東日本さんなので、ここは4両まとめて大宮の博物館来場者輸送車として動態保存を・・・!?
またどこかで再会できることを祈りつつ。
コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )
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あれほどたくさん走っていた103系ですら保存の話は聞かれません、そういえば、通勤形で保存されている電車は全国で一体何両あるでしょうか、身近で多量にも関わらずかなり少ないと思います。201系も国鉄技術陣の結晶ともいえる技術的に価値ある車両ですが、やはり花形車両ではないですからやむを得ないですね。