201系電車と鉄道に関するブログ
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201系量産の年に高校入学。 当時、廃車が進む101系よりもこれからの201系を追ったほうが充実した研究ができると考え本電車をターゲットにしてみました。 |
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T119編成(Tc-14)廃車回送の情報
木曜日、廃車回送の情報です。
イナの独り言ブログの201系量産車『第8編成』廃車回送される(2007-7-12)で紹介されていますが、本日もとT119編成(旧H20編成)Tc-14ほか10連が廃車回送されました。
この編成の一番古い映像がこちらになります。
△クハ201-15
初期の量産車のクーラーはAU75D型が使われており、3社あるメーカーごとにスタイルが異なっていました。ほとんどは編成ごとにメーカーは統一されていましたが、この編成は三菱、東芝が混在しており、中でもこの車両の物はSの標記がZをひっくり返したような書体が異彩を放っておりました。また、運転台のNFBの部分の塗色が淡緑色だったことも特徴でした。
△中央本線の普通列車は新宿始発でした、そんな時代の写真です。この頃はH18編成を名乗っていたようです。
そして、この編成を一躍有名にしたのは、霜パン改造でした。
△AU75Dが並ぶ屋根上に2丁パンタを上げて走行するH20編成
八高線のピンチを救ったのもこの編成でした。川越~八王子を走行したそうです。
△返却回送の様子。
△分割運用から外れT119編成となりました。
△最近見つけたM’-24の床下の追加ブラケット、天文台踏切で撮影
本当にいろいろある編成でしたが、本日をもって廃車となりました。
イナの独り言ブログの201系量産車『第8編成』廃車回送される(2007-7-12)で紹介されていますが、本日もとT119編成(旧H20編成)Tc-14ほか10連が廃車回送されました。
この編成の一番古い映像がこちらになります。
△クハ201-15
初期の量産車のクーラーはAU75D型が使われており、3社あるメーカーごとにスタイルが異なっていました。ほとんどは編成ごとにメーカーは統一されていましたが、この編成は三菱、東芝が混在しており、中でもこの車両の物はSの標記がZをひっくり返したような書体が異彩を放っておりました。また、運転台のNFBの部分の塗色が淡緑色だったことも特徴でした。
△中央本線の普通列車は新宿始発でした、そんな時代の写真です。この頃はH18編成を名乗っていたようです。
そして、この編成を一躍有名にしたのは、霜パン改造でした。
△AU75Dが並ぶ屋根上に2丁パンタを上げて走行するH20編成
八高線のピンチを救ったのもこの編成でした。川越~八王子を走行したそうです。
△返却回送の様子。
△分割運用から外れT119編成となりました。
△最近見つけたM’-24の床下の追加ブラケット、天文台踏切で撮影
本当にいろいろある編成でしたが、本日をもって廃車となりました。
コメント ( 12 ) | Trackback ( 0 )
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確かにハイペースですが、201系の時は5社同時製作だったので、時期が集中したら今よりもっと忙しい状況だったかもしれません。
下一桁で見ると確かにそうなります。この番号は色が統一されている、というのを探して1~9まで見ましたが、全部色が混ざっています。
私もなぜかこの編成は出かけると出会うことが多く、印象に残っています。乗務員さんの中には、やはり鉄が好きな方が多いみたいですが、そうやって撮影されている方は珍しいですね。思い出の編成でこれが最後の運転、みたいな特別な事情があったのかも知れませんね。
私も仕事を休んでまで行くとなると面倒なので、できれば夏休みに見たいと思っています。このところT121はずっと編成を分割した状態で、訓練には使われているらしいですが、走行する姿を見ていません。もしかするとこのままかもしれないです。
保存車両の必要性の議論については難しいものがありますが、なぜ、こんなにたくさんSLが保存されているかというと、それを望んだ人が多かったからだろうと思います。東村山にも1両保存されていて、それに関する資料も図書館に保存されております、市教育委員会が書いています。
同じ鉄道ですが、現在の鉄道とSLの時代の鉄道とは大きな違いがあります。当時は国鉄あるいはもっと前は鉄道省でした。今と違って鉄道が唯一の大量輸送の手段だった時代ですから、国家の繁栄に、生活に欠くことのできないものとして、多くの人の生活を支えており、国民も鉄道をそういう機関として観ていただろうと想像します。
また技術的に見ても、そういう時代ですし国をあげての開発ですから、今の飛行機以上の価値があったのではないかと思います。そういうSLがわが町で活躍しているのは誇りだったでしょうし、そのSLが引退してわが町にやってくることを多くの国民が望んだのだろうと思われます。教育委員会の資料をみてもそういう時代が読み取れます。
今の鉄道も生活に欠くことのできない存在ではありますが、道路の発達や航空機関の発達もあり、いろいろな手段が選択できるようになって来ています。そういう変化があって民営化が可能になったのだと思います。
電車の保存は編成単位じゃないと意味がありません、確かにそうだと思います。それだけに、保存は難しいです。
おそらく、保存にかかる費用と場所を提供してあげればよろこんで3両といわず10両くらい保存してくれると思います。結局はそこに行き着いてしまう・・・。SLだって当時は各地で保存されたものの、いま現在完全な形で残っているものは極めて少ない状況で、いまになって解体処理されているものも珍しくありません。他人のものを保存するのってそれくらい難しい問題なんです。
秩父鉄道の101系、国鉄色各色に塗ったら、どっとお客さんがきそう、秩父鉄道に提案されてみてはいかがですか。
四季彩が現在の塗装になったとき、工場からの回送は真っ白でした。前回見ることができなかったので、いつか見てみたいと思っていますが、来年には廃車予定なので、そのままいってしまうことになりそうです。
AU75Dの編成はもともと多くはありませんでしたが、ここに来て急に少なくなってしまいました。