表:アメリカにおける連邦最低賃金率にプレミアム加算をした州の一覧
最近いくつかの国で最低賃金の役割が見直されている。アメリカでは8月に入り、約9年ぶりに連邦最低賃金率を引き上げる動きが現れた。下院で連邦最低賃金率の引き上げと、金持ち優遇と批判される相続税軽減を抱き合わせた法案が可決された。
政治的妥協の産物
この背景には、中間選挙で低所得者の支持を強めたい民主党と、富裕層対策に余念がないといわれる共和党の思惑が一致したことがある。「動機が不純」との批判もあり、上院の可決を経て成立するかは微妙だ。しかし、今回このような動きが急速に浮上した背景については注目すべき問題がある。
8月4日の記事に記したように、アメリカでは景気拡大の恩恵が企業と富裕層に集中し、中産・低所得層の実質可処分所得が伸び悩んでいるという問題が指摘されてきた。
企業・富裕層の間では相続税が高すぎ、努力が報われないという不満がある。他方、中産・低所得層の状態は、改善の兆しが見えず、中流階級の凋落、ワーキングプアの増加などが問題にされてきた。
こうした共和党、民主党の選挙基盤のそれぞれに対応する目的で、こうした政治的色彩の濃い抱き合わせの法案が下院へ上程された。
民主党の武器:最低賃金引き上げ
特に最低賃金引き上げは、中間選挙を前に民主党が長らく考えていた対応である。連邦最低賃率は97年以降改正されていないことから、民主党は好調な企業や富裕層と比較して、中層・下層は恵まれていないとの批判が続出していた。そのため、この中層・下層の集票を期待する民主党にとっては、絶好の政策手段とみられてきた。もちろん、共和党にとっても最低賃金引き上げはある程度イメージアップの効果はあるが、同党は伝統的に政府介入を嫌い、最低賃金引き上げには阻止的であった。上院では98年以来、11回引き上げを拒んできた。
アメリカでは連邦最低賃金率に各州が状況に応じて上乗せしており、現在では18州がプレミアムをつけている。高過ぎる最低賃金は若年層の低熟練労働者の雇用を減らす可能性が高いといわれているが、これまでの実証研究はさまざまな問題を含み、評価はかなり難しい。
今回の法案がもし上院も通過すれば、現在5.15ドルの時間当たりの連邦最低賃金を今後3年間で2.10ドル引き上げ、09年6月までには7.25ドルとする。
形骸化著しい日本の最低賃金制
最低賃金制度を持たないドイツ*でも導入の可能性について議論されているが、日本では最低賃金制度の存在感がきわめて希薄になってしまっている。戦後、しばらく大きな政治的論争の焦点であったこともある制度だが、今日では自分の事業所のある地域の最低賃金額を答えられない事業主も多く**、労働者の関心も著しく弱まってしまった。制度の実効性が疑わしい状態といえる。
日本の最低賃金制は、大局観を失った関係者が制度を必要以上に複雑にしてしまい、透明度も大幅に失われた。財政支出を伴わないで労働条件を改善する効果が期待されるこの制度の意義を見直し、抜本的な変革がなされるべきだろう。イギリスのブレア政権成立に際して、全国最低賃金制度を大きな政治的スローガンにしたように、日本の場合も形骸化した制度を白紙に戻して再設計を行う構想も必要ではないか。
*ちなみに、ドイツは建設産業など一部の例外を除き、法定最低賃金制度を持たない国である。労働協約の一般拘束力があるためである。しかし、今年に入って最低賃金制度導入をめぐる議論が活発化している。EU加盟国25カ国中19カ国は最低賃金制度を導入している。
**ある調査では、正しい地域別最低賃金額を回答しえた事業所は、全回答事業所のわずか24%に過ぎなかった(労働政策研究・研修機構「労働政策研究報告書 日本における最低賃金の経済分析」2005)。
# 7月26日、アメリカ、シカゴ市議会は、大型小売店に従業員の時給を10ドル以上とすることを義務付ける条例を全米で初めて可決した。今回の条例は低賃金に批判が集まっている小売業最大手ウオルマート・ストアーズの出店をけん制する意味も強く、議論を呼んでいる。シカゴがあるイリノイ州の州法は、今回の連邦最低賃率引き上げ以前の段階で、6ドル50セント。この条例はおそらく違憲と推定される。
Reference
"November's $5.15 question." The Economist July 1st 2006.
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