時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

回想の胡同

2005年05月04日 | 書棚の片隅から
加藤千洋『胡同の記憶』平凡社、2003年

激変する中国
  この連休を利用して、実は中国旅行を計画していた。やっと多少は自分の自由になる時間が持てるようになったので、久しぶりに旧知の友人を訪ねて北京・上海などを気楽にまわりたいと考えていた。ところが、予想しなかった規模の反日運動の勃発で、少し気分が萎えてしまった。せっかく懐かしい場所を訪ね、友人と旧交を温めるなら、静かな雰囲気の時にしたいという思いが強くなり、先送りにしてしまった。少なからず残念でもあり、複雑な気分となった。
  そこで、精神安定剤代わり?に書棚から引っ張り出したのが、著者にはなんとも申し訳ないが、以前に読んだ加藤千洋氏の書籍である。過去に訪れたことのある場所の写真が多く、懐かしくやすらぎを感じる。もともと題名に惹かれて読んだのが最初だった。これまで、加藤氏の著書のテーマとなっている北京へは10回近く旅したことはあったが、ほとんどが調査旅行などの仕事がらみで、日程も制約されていた。
  北京在住の友人T君の話によると、上海に劣らず、北京も急速に変貌しているらしい。北京生まれで今も王府井に住むT君も、留学生として日本にしばらくいる間に、生まれ故郷がすっかり変貌してしまったのに驚いたようだ。あまりの変容ぶりに、帰国後一時は日本へ帰ろうかと思ったそうだから、その激変ぶりが想像できる。高度成長期やバブル期の東京の変貌ぶりもすさまじかったが、近年の上海、北京もそれに劣らない。都市計画などの実行の速度、土地収用の迅速さなど、未だ強権力が働く中国ならではのことである。南京の大学で教鞭をとる友人F氏の話では、土地バブルがすさまじく、臨界点に近いのではないかという。

失われる伝統世界
  ほぼ3年ほど前に北京を訪れた時は、北京出身M君の勧めで、王府井に近い胡同の四合院を小さなホテルに改造した「好園賓館」という所に滞在した。近代的なホテルのように設備が整っているわけではないが、宿泊に必要な設備は十分整っており、快適な滞在が楽しめた。ここは、かつて華国鋒党主席が失脚後しばらく住んでいた所でもあったとのこと。私が滞在した時も、「ル・モンド」の北京支局長などが一角に住んでおり、外国人にとっても居心地のよい所であった。

  その当時から、市内もまた大きく変わっていた。市内いたるところで都市再開発が急ピッチで進行していた。加藤氏の著書の中心テーマである北京市民の生活の中心となっていた胡同、そしてその中核である伝統的な四合院といわれる低層の建物がいつの間にか目立ってなくなっていた。四合院は中庭を一棟三室、東西南北計四棟の建物が四方から取り囲む低層住宅で、伝統的な北京の住宅として長らく市民に愛されてきた。あたかもスペインのパティオのように、小さな門を入るとそこは別世界、数本の樹木が植わっており、鳥かごがつり下げられ、椅子が置かれて、団らんの場ともなっている。厚い塗壁と棟によって外界から遮断された四合院は、小さな別天地を形成している。
  しかし、市場経済化の波はこうした伝統的な地域を容赦なく取り壊し、ホテルやマンションなどの近代的な建物に建て替えていた。北京に生まれ育ったM君には耐え難い動きのようだった。こうした歴史的建造物を古いからとか、非能率的だからといって破壊する動きについては、北京市民の中にも反対するグループは存在するが、現在の市民の大多数は北京以外の地から移り住んだ「新市民」が大半であり、北京の歴史や伝統には愛着がないとのこと。伝統擁護派の影響力は目に見えて低下しているようだった。戦後の日本も同じであったから、北京のことを批判する資格はないが、日本人の私の目でみても残念な気がした。「好園賓館」のあたりも再開発の対象らしいので、どうなったことやら*。

進む近代化
  反面で、建物や街路の近代化は目覚ましく進んだ。たまたま、前回はクリスマスを北京で過ごしたが、西欧化の影響を受けた若い人々を中心に、市内の有名レストランは予約で満員、北堂、南堂などの天主堂(教会)も入りきれないほどの混雑であった。市街は天安門広場、王府井、北京駅など、美しくイルミネーションで飾られて、都市の夜景という点からすると圧倒的な迫力であった。とりわけ、新しく開設された道路の幅の広さ、直線的に果てしなく続く街路の立派さは印象に残る。王府井などの目抜き通りも段差がない広い舗道が完成し、そこだけを見ると、商品も豊富で日本とまったく変わらない状況である。加藤氏の著書にも登場する東安市場などの大店舗も出現しており、市場経済化の迫力には圧倒された。中国の経済専門家に云わせると、今の中国はほとんどすべてが供給過剰であり、価格が低下し、デフレ気味でもあるとのこと。確かに、競争を反映して物価は安く、一般労働力も過剰である。

教育への強い関心
  こうした供給過剰経済の下で、唯一需要過多なのは教育である。大学を始めとして教育への需要は高まる一方のようだ。とはいっても、大学数も急増して、かつてのエリートの座はもはや保証されないといわれている。
  滞在した「好園賓館」に近接する「史家胡堂小學」は北京市きっての名門小學校とのことだが、四合院が両側に立ち並び、車のすれ違いすら困難を覚えるような狭い道に朝夕、一杯に並んだ高級車の列に驚かされた。これは、児童の出迎えをする「お受験ママ」の車とのこと。高級官僚を始め、富裕層の子女が多いとのこと。
  中国の変化がいかなる行方をたどるか、おそらく指導者たちにもはっきり見えてはいない。中国社会の格差拡大は、実態を聞くかぎりわれわれの想像を絶するものがある。将来への期待と不満が同時に渦巻いているような社会となっている。それだけに、今回の反日デモのような突発的出来事には、両国の指導者は冷静に対応してもらいたいと思う。今日はたまたま「五・四運動」の記念日だが、政治が反日を作り出すことだけはあってはならない(2005年5月4日)。

*5月11日、NHK・BSの「地球の片隅」で、取り壊されてゆく四合院の実態を報じていた。王府井のあたりは再開発の中心であり、ほとんどがなくなってしまったようだ。
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