上に掲げた図(拡大はクリック)を見てどんなことをイメージされるるだろうか。専門家でも一瞬ぎょっとすること請け合いである。この奇々怪々なもの?はいったいなにを描いたものか。現代のアニメの先端?のようだと考える人もあるかもしれない。それにしても、なんと奇怪で奇想天外な発想だろう。
実は、あの17世紀の天才銅版画家ジャック・カロの手になる『聖アントワーヌの誘惑』と題する作品のほんの一部分である。、作品といっても、原寸の大きさは 画面下の説明部分を除いたイメージは縦横 31.3 x 46.1cm)ほどである。しかし、そこに描かれた(彫り込まれた)内容の壮大さと複雑さは驚くべきものがある。ちなみに、この怪物は画面右下にルーペで見ないと分からないほど小さく描かれている。
ジャック・カロ『聖アントワーヌの誘惑』(第2作)
Jacques Callot. La Tentation de saint Antoine: deuxième planche gravée par Callot et tiree apres sa mori à Nancy, 1635 (I., 1416), (Musée des Beaux-Arts, Nancy) 35.6 x 46.2 cm
カロが制作に際して思い巡らした想像の世界は、奇想天外、現代人の想像の域をはるかに越えるものがある。この「聖アントワーヌの誘惑」(ラテン語:アントニウス、英語:アンソニー)と題する作品は、これまでブログで折に触れ見てきたような、カロが好んで制作したファンタジーでもなければ、残酷な戦争や貴族や貧民の描写でもない。聖アントワーヌをめぐる逸話をイメージにした作品である。
この聖人の逸話をめぐる作品は構図としては、一大劇場風の展開となっている。地上の善と悪の戦いが一場の光景として描かれる。聖アントニウスは構図の中では全体の片隅にいる小さな存在である。伝承によると、この聖人は、他の修道士たちの場合と同様、砂漠における禁欲生活の間に、さまざまな幻影にとらわれた。美術の世界では、それらは悪魔の恐ろしいあるいは性的な誘惑という形で描かれることが多かった。悪魔はしばしば野獣や怪物、そして魅惑的な女性の姿をもって現れ、アントワーヌの肉体を引き裂こうとするが、光に包まれた神が現れると、逃げ去ってしまう。カロ最晩年の作品である*。
この時までに画家は自らの故郷であるロレーヌそしてネーデルラントやフランスにおける大規模な戦闘を画家として記録する仕事も行ってきた。世の中の苛酷さ、貧富の格差のもたらす実態を体験しながらの画家人生だった。この『聖アントワーヌの誘惑』は、それらの体験が濃密に集約された作品といえる。
聖人アントワーヌは構図の右下に近い洞窟の入口で、襲いかかる巨大な悪魔に十字架をもって敢然と立ち向かっている。画面には当時伝承されていた聖アントワーヌに関する伝記を基礎に、それまでに作品化された他の画家ボスやピーテル・ブリューゲル(父)などの作品などの影響を受けてか、あらゆる悪を体現した悪魔や奇々怪々な怪物が描き込まれている。カロはその生涯でイタリア、フランス、ネーデルラントなどに旅しているので、これらの地でも先人画家の同じテーマの作品を見ていたものと想像できる。
前回の続きを多少記すと、フローレンスでコジモII世の支援の下で、活発な制作活動を開始したカロだが、パトロンであるコジモII世が死去すると、美術家たちを取り巻く環境も変化してしまう。有力な支援者を失ったカロは、帰国を決意し、1622年ロレーヌ公国のナンシーへ戻ってきた。ここはシャルルIV世の時代となっていた。ロレーヌ公国の混迷、衰退の因となったこの人物については、このブログでも多少記したことがある。
カロはフローレンスでは知られた画家となっていたが、故郷ナンシーは両親などの説得にもかかわらず、逃げるようにしてイタリアへ去ったいわくがある土地であった。それでも、画家として独立したからには生計をたてる道を探さねばならない。しかし、帰国(1621年)したロレーヌ公の宮廷から仕事の依頼はしばらくなかった。
そこでカロが最初に手がけたことは、当時の美術先進国イタリアにおける研鑽の成果を、ロレーヌの地で再現したり、作品をロレーヌ公に献呈したりすることで、その実績を故郷で認めてもらうことだった。前回、紹介したGobbi のシリーズ、そして『聖アントワーヌの誘惑』などの作品は、ナンシーで再彫刻された。その後少しずつ、カロの銅版画家としての力は宮廷筋でも認められるようになり、多額の恩給も給付されるようになる。
カロは銅版画家として、その後の人生をほとんどナンシーで過ごした。わずかな例外は1628年、オランダに招かれ、ネーデルラント軍とスペイン軍の戦争における『ブレダの包囲戦』 の全景を描写した作品を制作したこと、1629年に『ロシェルの陥落』 『レ島の攻略』 などの制作のため、パリそして戦地へ赴いたことなどであった。1630年にはナンシーへ戻っている。しかし、3年後ナンシーはルイXIII世の軍隊に占領され、1633年9月25日、フランス軍に降伏した。カロはこのナンシーの陥落を記念する作品を依頼されたが、故郷の悲劇であり、断っている。
こうして、カロは同時代人の間で有名であったし、フランス美術史上も忘却されることなく、ほぼ正当に評価されてきた。当然、作風を模倣する者も多かった。カロの作品の中で最も好まれた主題は、現在開催されている企画展*2でほぼ十分に見ることができる。
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* カロはこの主題で2つの作品を制作しており、ここに掲げたものは第2作(ヴァージョン)の構図である。第一作はカロがフローレンス滞在中に制作されたと推定されているが、その銅版から印刷された作品はほとんど見ることがない。銅版の摩滅など、なんらかの理由で印刷作品が残っていないようだ。この第2ヴァージョンはカロの没年に画家の生涯の友人として知られるイスラエル・アンリエが版元になって出版された。
*2
国立西洋美術館で開催されている『ジャック・カロ リアリズムと奇想の劇場』は、今のところ空いていて落ち着いて作品鑑賞ができる。銅版画は概して作品が大変小さいので、観客が多く、混んでいると満足できる鑑賞は期待しがたい。これまでにも近年の「アウトサイダーズ」展を初めとして、カロの作品は国内外の展示でかなり見てきたが、今回初見の作品もあり、新たな知見も得ることができた。ご関心のある方にはお勧めの展覧会だ。一枚一枚の作品が大変小さいことに加えて、経年変化も加えて、印刷インクの色が薄いことが多く、携帯ルーペは必携の品だ。残念なことは、作品の絵はがきがないことだ。必要ならばカタログを見ればよいのだが、絵はがきはそれ自体別の用途があり、折角の企画展なので惜しまれる。美術館所蔵の作品なので、いずれかの時に主要作品の絵はがきが発行されることを期待したい。