時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

30年戦争の中のロレーヌ(2)

2011年10月05日 | ロレーヌ探訪

 

没落の道をたどるロレーヌ:世界を見誤った君主たち

 

Charles IV, duc de Lorraine et de Bar.
Gravure, Paris, Bibliothèque nationale.
©Collection Boger-Violler

ロレーヌ公国シャルルIV世



 

 さまざまな危機をなんとか乗り切って17世紀にたどりついたロレーヌ公国だが、1622年にアンリ2世が死去すると、その後を強引に継承した甥のシャルル4世の時代に、公国の命運を定める大きな危機がやってきた。

策謀家シャルルのイメージ

 ロレーヌを版図に収めていた神聖ローマ帝国皇帝マキシミリアンの妻エリザベス・レナーテは、ロレーヌ公シャルルの叔母であった。フランス宗教戦争の間、この一族は戦闘的なカトリック連合を主導してきた。ロレーヌ公の座についたシャルルIV(1604-1675)は、1620年代に繰り返し、この連合に入ることを試みたが受け入れられなかった。

 若い頃から策謀家の噂が絶えなかったシャルルは、きっとフランスと問題を起こすだろうと拒絶されてきた。シャルルは人間としては快活な人物であったようだが、生来策略が好きで政治外交上の資質に欠けていた。ちなみに、写真がなかった時代であり、シャルルのイメージを想像するのは、いまに残る銅版画などに頼るしかない。シャルルの肖像版画はかなり残っているのだが、容貌魁偉なものから普通の貴族風のものまであり、いずれが実在した人物に近いか、判断が難しい。ここでは出所その他から比較的穏当なものを選んでみた(上掲図)。

 
シャルルが策略家であるとの噂はどうもその通りだった。まもなく状況が決定的に自壊する時が来る。その原因を作りだしたのは、やはりロレーヌのシャルルだった。公位についたシャルルは、反フランス(なかでも反リシュリュー)の考えを明らかに掲げるようになった。あのロレーヌの画家ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの画家人生に決定的な転機が訪れたのも、この時からだった。

 
他方、こうした状況で、皇帝マキシミリアンがシャルルとの連携を強めたのは、ほとんど統制がとれなくなっていた神聖ローマ帝国の実態に半ば自暴自棄になっていたためだったとみられている。

醸し出された不穏な空気

  シャルルがハプスブルグ側に加担したことで、ロレーヌはフランスとハプスブルグの2
大勢力間で、一触即発の場に化した。フランスにとって、策謀家シャルルの動きは、新たな戦争の火付け役になる危険性が感じられた。シャルルのフランスへの反発は、多分に王に代わってフランスを支配する宰相リシュリューに向けられていた。国王ルイ13世に代わり、強大な権力を発揮した宰相リシュリューを嫌う貴族や宮廷人も多かった。

 
実際、ナンシーにあるシャルルの宮殿は、反リシュリューの考えを抱く亡命者などの巣窟になっていた。その中には、あのシェヴルーズ夫人も後年(1937年)、パリから亡命、ここへ逃げ込んだ。

王座を狙う男たち

 
この反リシュリューのグループは、その後ルイ13世の王弟ガストン・ド・オルレアンGaston Jean Baptiste de France (1608-1660)が加わることで、大きな政治の台風の目となる。ガストンは、フランス王アンリ4世と王妃マリー・ド・メディシスの3男として生まれた。兄に後のルイ13世、姉にスペイン王フェリペ4世妃エリザベート、サヴォイア公妃クリスティーヌ、妹にイングランド王チャールズ1世妃アンリエットがいる。



Gaston d'orleans (image) painter unknown
painter in 18th century? 

 
  
リシュリューとそりの合わないガストンの存在は、スペイン王の着目するところになる。正統な王弟である以上、ユグノーの謀反者などと結ぶよりも、力になると考えたのだ。16316月、ガストンの母后マリー・ド・メディシスがブラッセルへ亡命するに及んで、ガストンも加わる。そして、主たる首謀者が1641年に敗北するまで、ガストンの存在は注目を集め続けた。

 
背景にはさまざまなことがあったが、ガストンはフランスにおいて、王権の奪取を含めて、もっと大きな権力を発揮することを求めていた。兄のルイ13世は1618年まで嫡子がなかった。ガストンは自分の結婚に反対する兄に反発していた。これはフランスの王座への潜在的な後継者になることを拒もうとする謀ごとだった。1632年1月ガストンは秘密裏にナンシーで、シャルル4世の妹マルゲリット・ヴォーダモンと結婚した。

 シャルルとガストンの組み合わせは最悪だった。双方がルイ13世とリシュリューに対決する考えであり、共に前後の見境いなく突っ走ってししまうタイプだったようだ。到底、老獪で百戦錬磨の宰相リシュリューの相手ではなかった。さて、ロレーヌはどこへ行く?(続く)。

  

 

 ★国家の命運が指導者の力量に大きく依存しているのは、今になっても変わらないようです。大国アメリカと中国の間にあって、衰退の色濃い日本。大陸と地続きだったらどうなっていたでしょう。

 

Reference 

Peter H. Wilson. Europe's Tragedy:A New History of the Thirty Years War. London:Penguin Books, 2010, 995pp.

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