4月18日のBS1『きょうの世界』で「EUの労働市場の課題」として、アイルランドの外国人労働者問題をとりあげていた。
アイルランドは、1990年代中頃からEU加盟国の中で最高水準の経済成長率を続けてきた。かつてはヨーロッパでも指折りの貧困国であり、典型的な移民送り出し国であった。2月15日、このブログ*でもとりあげたことのあるフランク・マコートの『アンジェラの灰』 (Frank McCourt. Angela's Ashes. New York: Scribner, 1999)の舞台である。とりわけ知られているのは、19世紀の大飢饉により、アイルランド国民の約4分の1がアメリカ大陸を中心に海外へ移民したことである。この移民国アイルランドに1990年代に入って大きな変化が起きている。
1990年代中頃から経済成長率は急速に高まり、97年には10.7%を記録している。最近でも年平均4%以上の成長率を継続している。一人当たりGDPも1986年にはEU平均の61%に過ぎなかったが、1999年頃からはEU平均を上回っている。
理想と現実との葛藤
2004年以降、拡大EUでは、加盟国25カ国の市民であれば域内で自由に労働できることになった。しかし、大多数の国々が最大7年の猶予措置に頼って、労働者の受け入れを制限している。その中でアイルランド、イギリス、スエーデンだけは受け入れている。
アイルランドは人口約400万人の小国だが、ポーランドなどから来た17万人の外国人労働者が働いている。アイルランドはこの数年高度成長が続いたため、製造業などで自国民の労働者が不足するようになった。昨年は9万人分の仕事の機会が創出されたが、そのうち半分は外国人によって埋めている。今は経済発展の大きなチャンスである。
しかし、アイルランド政府にも誤算はあった。高い賃金率に惹かれて予想の5倍以上の17万人もの外国人労働者が流入したからである。アイルランド人の雇用が奪われる例も見られるようになった。ラトビアなどからの外国人労働者が、国内労働者の半分以下の賃金で雇用されていることをアイルランド労働組合などが指摘している。
少ない文化的摩擦
労働市場での問題はあるとはいえ、外国人労働者の増加に伴う文化的な摩擦は、今のところ起きていない。外国人労働者の受け入れ経験年数が短いアイルランドでは、大陸のフランスやドイツのようにトルコやアフリカなどからのイスラム系の国からの労働者が少ないことも、ひとつの理由であろう。受け入れ数の著しいポーランドは、アイルランドと同じカトリック教徒の多い国である。
アイルランド政府は、今後7-8年は労働力不足が継続するだろうと見ている。不況になれば外国人は帰国するだろうと楽観的である。当面、政府は査察官の数を増やしたり、EU新加盟の国からの労働者に向けての事前の案内などを行って対応してゆくとしている。
成功の秘密
コメントをした庄司克宏慶応義塾大学教授は、大陸諸国のように猶予期間を設定して、受け入れを制限しているのはナンセンスであると述べている。そして、アイルランドの成功の理由として、1)大陸諸国ほど解雇規制が厳しくない、2)労働市場が弾力的で採用・解雇は容易だが、社会保障などのセフティネットの支えがある点を指摘している。これは、時にFlexicurity(市場の弾力性Flexibilityと社会保障Securityを接合した造語)と呼ばれる特徴である。
確かに、大陸諸国では、フランスに代表されるように、解雇規制が強く、労働市場が硬直的であるとされてきた。結局撤回されたが、フランスのCPEの提案もその点を改善したいとの意図もあった。
アイルランドはモデルとなりうるか
しかし、アイルランドが直ちにEU諸国のモデルとなりうるかは、かなり疑問である。アイルランドは小国であり、島国でもあって地政学上も国境管理が容易である。受け入れ国側に転換したばかりで、移民受け入れの経験が浅い。フランスの国民投票の前にみられた、安い賃金で働くことを辞さない「ポーランドの配管工」がフランス人の仕事を奪うという問題も、杞憂であると一蹴するわけには行かない。現実はかなりグレーゾーンがあるからだ。
移民が定着し、人口の一定比率を占めるようになると、困難な問題が生まれるともいわれてきた。宗教、教育など文化的摩擦が表面化するためである。福祉国家としてのコストとベネフィットを考量すると、直ちにアイルランド・モデル採用とは行きがたい。現にEUレベルでの方向決定と各国との対応には大きな乖離がある。EUの統一移民政策はいわば「総論賛成、各論反対」の状況である。
グローバル化と国民国家
問題の本質は、グローバル化と国民国家の主権との対立の中に求めらべきだろう。労働市場の実態は、各国によってかなりの特殊性を持っている。そのため、労働市場の規制は、各国の問題でもある。簡単にアイルランド・モデルなりイギリス・モデルを受け入れられない事情が厳然としてある。しかし、グローバル化は国民国家とのせめぎ合いを超えて確実に進行する。きわめて長い未来を望めば、おそらく国境はさらに後退し、存在感を薄めるだろう。しかし、国境が国家の最後の砦であるかぎり、そう簡単には消えることはない。時間的にもかなりの行きつ戻りつは、必至である。答は、「多様性の中での統合」の可能性をさらに追求する中に見出されることになろう。
* 本ブログ内関連記事
http://blog.goo.ne.jp/old-dreamer/d/20050215