時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

時代の空気を伝える画家(3):オーウエルとラウリーの時代

2023年10月02日 | L.S. ラウリーの作品とその時代

George Orwell, The Road to Wigan Pier, Penguin books, cover


L.S.ラウリー(1887-1976)という画家は、優れてイギリス社会、そしてイギリス美術界に特有の風土を理解することなしには理解が難しいかもしれない。ヨーロッパ大陸、イタリア、フランスなどの絵画と比較して雰囲気がかなり異なる。例えば、ラウリーは、なぜ普通の画家なら画題とすることはおよそないような、黒煙を吹き上げ、大気を汚染し、青空が見えないような工場群、《産業の光景》(industraial landscapes)を描いたのだろうか。

そこには、この画家が生まれ育ち、愛する土地に住む人々の美しい環境が彼らの力及ばないところで、次々と破壊され、無惨にも変貌してゆく厳しい現実を描き残したいという画家の強い思いが込められている。「美」の対象は、人々が表面的に美しいと思うものだけではないと、この画家は主張している。ラウリーの数多い作品に親しんでいると、この画家を数点の作品だけで理解することは到底できないということが分かってくる。ひとりの画家でこれだけ画題が多面にわたる例は少ない。

イギリス北西部の社会文化を理解する
ラウリーの画題は多岐に渡り、作品数も2000点を超えてきわめて多い。その理解のためには作品を生み出したイギリス的な風土、とりわけイングランド北西部の風土への理解が欠かせない。言い換えると、単に描かれた対象ばかりでなく、画家が生まれ育ったイングランド北西部の地域の理解と、その地に住む人々への深い思いやりの心を共有することである。イギリス北部とロンドンなど南部の社会文化的差異は、想像以上に大きなものがある。

今日ではラウリーのファンはイギリス、そして他の国へと広がって、多くの愛好者がいる。しかし、画家の活動がほぼイングランド北西部、マンチェスター、サルフォード地域の労働者階級の多い地域に限られていることもあって、ロンドンなどの画壇や批評家の間には、ことさら画家の力量を軽視する動きもあったようだ。この点は以前にも記したことがある。マンチェスターでは、サッカーのシティのファンは圧倒的に労働者階級が多く、ユナイテッドとは明らかに一線を画している。

イギリスは世界で最初の産業革命を創始した国でもあり、その点からもこの画家の取り上げた画題の多くは、広く他の世界でも受け入れられる素地を内在している。

ラウリーとオーウエル
ラウリーの描いた《産業の光景》の画題のひとつとなったウイガンは、ジョージ・オーウエル(1903-1950:本名エリック・アーサー・ブレア)の『ウィガン波止場への道』の舞台として、著名である。ブログ筆者もイギリス滞在中に訪れてみたが、「波止場」pier というような情緒的、美的感覚を呼び起こすような場所は何もなかった。オーウエル自身が語ったと言われるが、内陸の汚れた川の渡し場を指した冗談のようなものであったらしい。ウイガンは彼にとって産業革命による工業化が生んだ醜さの象徴のようなものだった。

他方、ラウリーはオーウエルのような辛辣な見方を示したことはなかった。この画家が波止場や運河を画題とした作品を探してみると、いくつかの作品が目についた。そのひとつを紹介しておこう。


L.S.ラウリー《運河に浮かぶはしけ》油彩、板、39.8x53.2cm, 1941年
Michael Howard, LOWRY A Visionary Artist, Lowry Press, p.71

描かれた光景は決して手放しで美しいといえる光景ではない。薄暗い空を背景に、左手後方に黒煙を上げている煙突が見える工場地域に流れる運河に浮かぶはしけが描かれている。水面に映る情景からも、運河はそれなりの透明さを維持しているようだ。画面を斜めに横切る粗末な橋とはしけが巧みに構図の中心にありながら、配置の妙を示している。さらに橋の中央には男女二人の寄り添う姿も描かれている。普通の画家ならば、見過ごすような光景である。かなり複雑な構図ながら、工場地域の雰囲気を巧みに伝えている。


ラウリーとオーウエルはほぼ同時代人であった。ラウリーは生涯を過ごしたマンチェスター地域とそこに住む人々を愛し、その変貌を仔細に描いてきた。他方、名門イートン校に学んだオーウエルは、卓越した知性を持った左翼知識人の観点から産業化がもたらした惨状を辛辣に書き残した。1930年代、すでに強固なものとなっていた英国社会の階級的隔壁に鋭い批判を加えた。生まれ育った背景は異なるが、二人の間には工業化がもたらした自然破壊、環境の変貌への共通した思いが流れている。しかし、ラウリーの心情は、常にこの地域に生まれた人々への愛に支えられていたといえる。

〜〜〜〜〜〜〜〜
このところ、オーウエルに論及あるいは関係する記事をいくつか見かけた。単なる偶然かもしれない。イギリスは、2012年1月31日、EUを離脱した。現在のイギリスでは、再編に伴う新たな産業社会の転換が進行しており、その流れから取り残される労働者など、富の蓄積と荒廃が展開している。作家と画家という違いはあっても、二人の心情の底流にはなにか共通するものが流れているように思われる。
〜〜〜〜〜〜〜〜

現代の世界は資本主義の生み出した富と貧困の極度な偏在が、ウクライナ戦争の勃発と相まって、厳しい分断と対立の様相を見せつつある。オーウエルとラウリーという二人の異色な文化人の作品と生き様は、今を生きる我々にとって多くの示唆を与えてくれるのではないだろうか。

References
David Scarrock, “The road to Wigan Pier, 75 years on”, The Observer George Orwell, The Guardian, February 2011.
2011年はジョージ・オーウエルがイギリス北部の生活についての作品を描いてから75年目にあたるため、さまざまな回顧がなされている。

Stephen Armstrong, The Road to Wigan Pier Revisited, 2012/3/8

「現場へ!:パブでたずねた階級意識 オーウエルの道」『朝日新聞夕刊』連載 2023年8月21日

柴田元幸『こころの玉手箱』(2)「愛用のティーポット」『日本経済新聞』(夕刊)2023年9月20日。同氏はほぼ50年近くオーウエル流(A Nice Cup Of Tea で説かれている方法をほぼそのまま踏襲して紅茶を入れているとのこと。




上掲作品部分
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 8Kでも解けない《夜警》の謎 | トップ | 時代の空気を伝える画家(4): ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

L.S. ラウリーの作品とその時代」カテゴリの最新記事