日本でも男性の看護師、介護士に時々出会うようになったが、未だ圧倒的に少数派である。しかし、フィリピンでは珍しくない。 偶然、BS1の番組 「介護士を目指す15歳の少年:僕とおばあちゃんのために」『アジアに生きる子供たち』で、その涙ぐましい苦闘の日々を見る。
フィリピンの小さな町カランバで、年老いて病いに悩み、余命も少ないおばあちゃんの面倒を見ながら、ジュニア看護師養成学校へ通っている15歳の少年ジェフリー君の毎日が映し出される。父親は15年前に家出、母親は海外出稼ぎに出たまま消息不明。20歳の兄デルフィンは、失業しており、おばあちゃんの介護をするつもりもない。
ジェフリーは漁師の手伝いや町のレストランで夜中に働き、学費と生活費を稼いでいる。介護士養成学校の制服を買うお金もないほどの貧しさだ。しかし、こうした貧困の極みの日々を過ごしながらも、おばあちゃんの面倒を見つつ、学校に通っている。その姿は実に感動的である。日本ではあまり目にしなくなったイメージである。
看護師養成学校の実習では、日本人が経営している高齢者向け施設で1週間を過ごす。実習生のひたむきな奉仕の姿が見る人の胸を打つ。時にいらだったり、わがままになる高齢者にもじっと耐えて、介護する若者の姿は感動的で言葉がない。将来、この施設で働くことができるようになったら、どんなに素晴らしいことかという彼らの思いが画面を満たす。
身よりもない環境の中で、やっと心を許せる友達となったマイケルの家も、姉ルースがクエートで介護士として6年間働き送金し、7人家族を支えている。一時帰国したが、まもなくサウジアラビアへ出稼ぎに行く。海外への出稼ぎ生活が多くの苦難を伴っていることはいうまでもない。しかし、この姉もその一端は口にしても、じっと耐えている。
国内に雇用の機会が十分ないフィリピンでは、多くの人々が海外へ出稼ぎに行く。肉親、家族から離れて見知らぬ地で働くことは良いことばかりではない。海外で働いている間に、家族と離散状態になってしまうことも珍しくない。逆境にくじけないフィリピンの人々の明るさだけが救いである。
しかし、一歩距離を置いてこの厳しい実態を見つめる時、果たしてこの状況を続けていていいのだろうかという思いがする。フィリピン政府は経済発展が軌道に乗るまでの間、海外移民に頼るといい続けてきた。大統領は「海外出稼ぎ労働者は英雄だ」とまで持ち上げる。しかし、この国はあまりに長い間、こうした状況を続けてきた。生まれ育った土地や国に、仕事の機会があることが基本的には望ましいことである。貧困から逃れるために海外出稼ぎを企てる過程では、ブローカーなどから多額の借金を負ったりもする。グローバル化の時代とはいえ、海外出稼ぎは次ぎの選択であるべきだ。そのためには、なにをしなければいけないのか。移民問題の原点がそこにある。
* 「介護士を目指す15歳の少年:僕とおばあちゃんのために」 『アジアに生きる子供たち』2006年11月23日 BS1