時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

追悼ウイリアム・スタイロン(2)

2006年11月17日 | 回想のアメリカ

  11月1日に亡くなったウイリアム・スタイロンを偲ぶ論評がいくつか見られるようになった。この作家の作品は大変好きなのだが、読むたびに大きな衝撃を受け、いつも立ちすくむ思いがしてきた。

  スタイロンほど人間や歴史の深部、とりわけ暗黒部に深く切り込み、正面から立ち向かった作家はあまり多くない。ある弔辞が記していたように、人種問題やホロコーストなど、他の作家が避けて通るような重く難しい問題ばかり選んで対決して来たようなところがある。スタイロンの作品はかなり読んできたが、作家自身の人となりや人生の歩みについては、比較的最近まであまり知らなかった。
  
  若くしてその才能を認められたスタイロンは、作家として恵まれた出発をしたと考えられる。最初の小説『闇の中に横たわりて』"Lie Down in Darkness"が刊行され、大きな賞賛を受けたのは1951年、26歳の時であった。ヘミングウエイ、フォークナーを引き継ぐ作家として、期待されてきた。しかし、スタイロンは自分がフォークナーの継承者あるいは「南部派作家」として定型化されることをひどく嫌った。それにもかかわらず、スタイロンはさまざまに南部の精神的風土や問題と深く関わり合ってきた。作品の舞台が南部であっても、スタイロンが描いたのは「不信と絶望」が支配する現代社会なのだ。

  ヴァージニア州ニューポート・ニューズの造船所で働く父親を持った作家は、そこから離れ、距離を置いて南部を考えたいと願っていたようだ。そして、ニューヨーク郊外へと移り、1952年にはパリにも旅した。ヘミングウエイの人生とも重なり合いそうな部分もある。スタイロンは、第二次世界大戦で海兵隊員として軍務に服し、1945年には沖縄にいたこともあった。海兵隊員は前線で最も危険にさらされる軍務である。

  『ナットターナーの告白』(1967)は、文壇に大きな衝撃を生み、多大な讃辞の反面で、白人が黒人の心を描くことは出来ない、史実に不正確だなど、激しい批判の嵐にあった。それでも、ピュリツアー賞が授与された。この作品が出版されてから、およそ40年の年月が経過した今日、振り返ってみてもアメリカ文学史上大変重要な作品だという思いは強まるばかりである。アメリカという国の実態が少しずつ分かりかけてきた私にとっても、その理解を大きく深めてくれた一冊である。当時は、ヴェトナム戦争が展開しており、それと重ね合わせて、読者としても重い課題を背負った。

  この頃、私が在学した大学院宿舎で一時期ルームメートであった学生ジムは、アメリカ陸軍で軍役に服した後、除隊しヴェテラン(退役軍人)としての教育上の優遇措置を得て、大学院へ入学してきた。私より年上、30代のやさしい静かな男だった。しかし、彼も自ら語りたがらない過去を背負っていた。夜中に夢遊病者として歩き出してしまうほど、トラウマに苛まれていた。一般のアメリカ人学生とも離れ、ただ黙々と勉強していた。彼がその後どんな人生を送ったか、音信が途絶えてしまった今でも時々頭をかすめることがある。

  大学キャンパスには、ROTC(Reserve Officers' Training Corps:予備役将校訓練部隊)が置かれ、絶えず軍事訓練が行われていた。キャンパス内に軍服姿の学生を見るのはきわめて異様であった。アメリカにとって「正義のない戦争」という前線のイメージは、テレビや増える一方の戦死者などを通して、キャンパスへも次第に浸透してきた。ヴェトナム戦争で敗北したアメリカは大きな転換期を迎えたのだが、その後イラク戦争を始めたことで、さらに癒しがたいほどに自らの傷を深める道を今も進んでいる。

  スタイロンは作品テーマの苦悩と自らの苦悩を重ね合わせていたようなところがあった。作家はグスタフ・フローベルの言葉にならい、自らの生活を律することが、読者を大きく揺り動かす、ヴァイオレントで独創的な作品を創ることができると努力を続けていたらしい。

  60歳の時、それまで愛していた「アルコール」と決別する。その後、大きな欝が襲いかかった。最後の作品となった『見通せる闇』 Darkness Visible(1990) は、まさに「絶望の先にある絶望」についての作家自身の果敢な闘いともいえる作品となった。

  しかし、スタイロンの晩年の作品には絶望的な闇の中に、張り詰めた救いのなさをわずかに和らげるような人物やプロットが登場する。『ソフィーの選択』にナレーターで半ば傍観者として登場するスティンゴがそれである。アウシュビッツの苛酷な刻印を心身ともに刻み込まれたポーランド人女性ソフィーへの性的衝動に駆られているひとりのやや滑稽な青年の存在である。奈落へと進んで行くやりきれないストーリーを辛うじて支えている。しかし、結果としては何の救いともならない。破断の結末が待ち受けている。精神を病んだ1人の若者と彼を愛する心に深い傷を負っている美貌の女性。二人のどこまでが真実で、どこからが虚構や病んだ心のもたらす部分なのか、スティンゴには分からない。しかし、もはや癒しがたいまでに深く精神が傷ついている二人に先はない。女性だけでも救おうとするスティンゴの努力も徒労に終わる。

  スタイロン自身が1985年には自決を考えたという。しかし、それをまっとうするに適切な遺書の言葉が浮かばず、思いとどまった。この作家には自分自身と作品世界を重ね合わせたようなところがあった。世俗的な成功にもかかわらず、スタイロンは長年にわたり、心身ともに苦悩を背負っての作家生活を送ったらしい。厳しい作品を書くためには、自らを襲う苦悩にも、決してひるむことのない生き方をしようと苦しみ続けた稀有な作家であったであったようだ。

  
* "William Styron: As a writer, wilful and unrepentant." The Economist November 11th 2006.

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