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時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

遠からず来る時を前に(6): 1930年代「大恐慌」のイメージは?

2020年05月19日 | 特別トピックス

このたびの新型コロナウイルスCovit-19の蔓延による経済への大打撃は、1930年代の「大恐慌」the Great Depression 以来といわれることがある。確かに、このウイルスの蔓延拡大とともに、経済面への影響は急速に深刻化の度合いを強め、グローバル危機の様相を明らかにしてきた。

しかし、多くの人々が口にする「大恐慌」が、実際にいかなるものであったか、その現実を体験、あるいは記憶する人々は、きわめて少なくなった。このところ本ブログで数回にわたり記しているのは、「グローバル危機」といわれる世界史的危機が、いつ頃から発生したかという歴史的認識の確認である。その後、この範疇に入ると思われる世界的規模での経済不況の輪郭あるいは断片について記してきた。

「大不況」をいかにイメージするか
1930年代の大不況については、夥しい文献が蓄積されているが、それだけにその全容を、今日改めて視野に収めることはきわめて難しい。この大不況の終幕については、第二次世界大戦へのアメリカの参戦などにより、民需主体の経済政策の効果を確定することが困難に終わっている。アメリカを中心に行われた大規模な公共事業投資などの経済政策が知られているが、必ずしも共通な認識が得られているとは思えない。

こうした状況で、当時の経済、社会状況を体験しうるひとつの手段が映像、写真、絵画など、視聴覚に訴えるメディアといえる。前回、『LIFE』誌を援用し、その一端を記してみたが、今回も別の例を取り上げてみた。

巨大な造形美
この巨大な建造物の写真、アメリカ 、モンタナ州のフォート・ペック・ダム(Fort Peck Dam) である。このダムは、アメリカ・ ニューディール政策の1つの事業として、 ミズーリ川に建設された。雑誌 『LIFE』創刊号(1936年11月23日号)の表紙を飾った作品である。

この写真を撮った写真家は、マーガレット・バーク=ホワイト (1904 – 1971)
という女性であった。 ニューヨークで生まれ、大学卒業後、活気に溢れる産業都市クリーヴランドで工業製品の撮影を開始した。そしてごくありふれた工場の光景を力強く流麗な産業写真として表現し、大きな注目を集めた。『フォーチュン』誌などで評価を高め、1936年『ライフ』創刊号の表紙を飾り、以後同誌の中心写真家として活躍した。撮影対象も戦争や社会問題に積極的に取り組み、世界的なフォトジャーナリストとして、著名になった。日本でも作品集や作品展が開催されたこともある。

彼女がこの写真を撮影するためにダムを訪れた時、およそ1万人の労働者が建設現場で働いていたが、アメリカ経済は依然として不安定で先行きがおぼつかない状態だった。この写真はそこに働く労働者の力とそれが作り出す巨大な建造物によって、アメリカの当時の姿を象徴しようとしたものだった。

アメリカ経済の本格的な回復はその後の第二次世界大戦参戦による莫大な軍需景気を待つこととなる。太平洋戦争が起こり、連邦政府は見境のない財政支出を開始し、また国民も戦費国債の購入で積極財政を強力に支援した。1943年には赤字が30%を超えたが、失業率は41年の9.1%から44年には1.2%に下がった。しかしダウ平均株価は1954年11月まで1929年の水準に戻らなかった。

 

マンガ:『必要なのは新しいポンプ』
1935年近くの作品
ニューディールで政府は経済に呼び水を迎えるポンプを作るが、水は至る所に撒かれるばかりで、期待する効果がないと風刺。
Source: Alan Greenspan & Adrian Wooldridge, Capitalism in America: A History, New York: Penguin Press, 2018

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ペシミズムでもオプティミズムでもなく

2019年12月31日 | 特別トピックス

新年おめでとうございます。
私たちはどこから来て、どこへ行くのでしょう。

2020年(令和2年)元旦


ペシミズムでもオプティミズムでもなく
新年の予想あるいは見通しがさまざまに提示されている。いまだ実現していない近未来のことであるから、近い過去に引きずられることが多い。加えて、人間の常として、いまだ実現していない将来には少しでも明るい光景を期待したい。これまでは、戦争前夜など、いくつかの例外的時点を除いては、多くの場合、明るい楽観的な基調の見通しが提示されてきた。

急速に後退するオプティミズム
しかし、今年はかなり異なる印象を受ける。2020年の日本はやや例外で、オリンピック開催国として、ことさら明るさを前面に出しているかに見える。しかし、世界の多くの国々では、楽観、オプティミズムは急速に影を潜めている。地球温暖化、異常気象、人口爆発、核の脅威、米中対立、テロリズムの脅威、保守主義の抬頭、BREXIT、自国第一主義、政治的対立・紛争、長い経済停滞など、ペシミスティックに傾く要因は数多い。実際、前途についての楽観は影をひそめている。

元旦のNHK番組、「これからの10年が地球と人類の運命を定める」  
NHK :10 Years  After, 2020年1月1日

その流れの中でひとつの注目すべき点に気づく。近未来についてあえてひとつの方向性を提示することを回避し、現在を大きな流れの中での転換点と捉える動きだ。その代表的な例は、The Economist 誌(Christmas double issue, 2019)のように、「ペシミズム」と「進歩 」(pessimism v. progress)を対比し、現時点はそれらが交差する段階にあるという。(「ぺしみずむ」と「進歩」は対比概念では必ずしもないが、今は問わないでおこう。)

 

技術がもたらす負の側面への不安
同誌が指摘するように、過去においてはこうした時期には、停滞を破る要因として、新しい技術に期待がかけられてきた。技術は戦略的な閉塞打開の武器と考えられる。しかし、このたびは様子が異なる。いかなる技術も善悪双方に使用される可能性がある。なかでも最も恐ろしいのは、核技術あるいは遺伝子を扱う生化学だが、他の技術でも起こりうる。これまで社会メディアは人々を結びつけると思われてきた。例えば、2011年のアラブの春には、歓迎された。しかし、それはいまやプライヴァシーを侵し、時にフェイク・ニュースまで伴って、プロバガンダを広め、民主主義を破壊しているところがある。親たちは子供がスマートフォンに入り浸り、広い世界が見えない中毒・視野狭窄症になるのではないかと心配している。ネット世代の子供たちは、SNSの負の側面を知らないのだ。

過去においても長い停滞を打破すると期待された新技術について、手放しで明るい期待が込められていたわけではない。21世紀の最初の20年が過ぎようとしているが、次の10年を支配することがほぼ定まっている技術 AI (人工知能)は、これまで人類が開発してきた新技術以上に前途に不安な暗い影を落としている。

歴史軸上の産業革命
産業革命は蒸気機関、繊維機械などを中心に、多数の労働者が生み出された。1920年代 自動車産業の興隆期にそれが文明へ及ぼす影響について、その社会的費用をめぐり、単調労働、大気汚染などネガティブな受け取りが生まれたこともそのひとつの例だ。L.S.ラウリーが描いた世界でもある。多くの人の仕事を脅かし、専制的なルールを生む可能性も出てきた。莫大な富を数少ない富豪が手にする反面、多数の貧困な人たちが生まれ格差が拡大する。しかし、これまでは生活水準の向上など、光もさしていた。

健全な懐疑主義の役割に期待
現在進行している第4次産業革命では、スマートフォン、ロボット、ソーシャル・メディアなどが形成するペシミズムのムードが漂う。技術はエイジェントがない。結果は、それを使う者次第となる。廃絶が期待できない核技術への脅威、さらに遺伝子を取り扱う生化学については、神の世界へ踏み込み、冒涜することへの恐れがつきまとう。核技術が専制的為政者の手によって軍事力拡大のために使われる可能性も大きい。ペシミズムを生むものは技術それ自体ではなく、それが根ざす社会が抱く政治的ペシミズムと思われる。社会に根ざす健全な懐疑主義は、技術の無謀な利用、暴走を防ぐ重要な装置だ。それをいかにして育み、維持して行くか。2020年はその成否が問われる残された短い期間の始まりではないか。

 

コメント (1)
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早朝、千曲川の決壊を見る!

2019年10月13日 | 特別トピックス

 

 

惨状を伝えるTV画面

日本は災害列島と化している」とブログに書いたのは、わずか1ヶ月前の今日(9月13日)のことだった。自然の摂理が、どこかで壊れ始めている音が聞こえる。人間の傲慢さに鉄槌が加えられているのでは。地球と人間のあり方を考える最後の時が迫っている。

 そして今日、10月13日早朝6 時、TVをつけたところ驚くべき光景が目に飛び込んできた。長野市穂積地区で千曲川の堤防が決壊し、濁流が氾濫し、住宅に迫っている驚くべき光景がLIVEで映し出されていた。恐怖の中に一夜を過ごした住民が、朝を迎えた時に堤防が決壊し濁流が地域に滔々と流れ込んでいる。ほとんど目にすることのない光景である。岩手県には「特別警報」が出ている。

 あの美しい千曲川が朝日の光とともに決壊するという惨状は、「衝撃的」の一言に尽きる。

 TVなどメディアの発達で、惨状は瞬時に家庭へ飛び込んでくる。しかし、画面に映る濁流に今にも流されそうな家屋の2階などから、必死に救出を求める人たちの振る布切れなどが目に入っても、どうにもできない。歯がゆいことおびただしい。ヘリコプターのカメラが映し出す限り、被害の領域は極めて広範にわたっている。早急に救援の手が入ることを願うのみだ。

 同様な事態は規模の違いはあるが、台風19号が通過した地域のいたる所で報じられている。こうした光景を日本人はこれまで何度目にしてきただろう。自然の力に計り知れぬ畏怖を覚えながら、図らずも思い浮かべるのは、島崎藤村「千曲川旅情の歌」の一節だ。

「千曲川旅情の歌」     -落梅集より
                         島崎藤村            
[前略]
いくたびか栄枯の夢の          消え残る谷に下りて
河波のいざよふ見れば          砂まじり水巻き帰る

嗚呼古城なにをか語り          岸の波なにをか答ふ
過し世を静かに思へ           百年もきのふのごとし                  

千曲川柳霞みて             春浅く水流れたり
たゞひとり岩をめぐりて         この岸に愁を繋ぐ

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岐路に立つ資本主義:失われた企業倫理

2019年10月07日 | 特別トピックス


  去る9月13日の記事で大企業の責任について記した。資本主義については様々な定義が可能だが、その主導力となってきた大企業の行動については、近年の出来事に、言葉を失うほどの衝撃を受けている。大企業がさまざまな犯罪、違法行為の前面に出てきていることだ。日産自動車、日立製作所など、日本を代表する大企業に恥ずべき状況が露呈していることは、日本企業のかなりの領域にこうした倫理の劣化が浸透しているのではと推測するのも当然だろう。

 とりわけ、関西電力の贈収賄をめぐる出来事については、ここまで大企業経営者の道徳的倫理は低下しているのかと、唖然とせざるをえない。説明に当たる役員に罪悪感が見られず、世の中で広く行われていることが、たまたま見つかってしまったというような雰囲気さえ感じられる。推定3億円を越えると推定される金品を受け取りながら、現代の日本社会に残る中元、歳暮などの儀礼の範囲を出ていないという理解のように聞こえる。1着50万円の背広生地をもらっても、相当の品を返せば良いではないかという考えも筆者にはまったく納得できない。これらの例に見られる個々の金額、慣行が現在の日本社会にどの程度是認されているのだろうか。例のごとく、経営者が今や頻繁に目にすることになったメディアの前で頭を下げて落着させてしまえると考えているのだろうか。

 報じられている情報からすれば、贈収賄の当事者双方が互いに癒着している状況すら考えられる。一個人の判断と財力でこうした巨額な金品が動いているとは到底考えられない。

 仮に、このような慣行が大きなペナルティが課されることなく認められ放置されるならば、自分もそうしたグループに入りたいという好ましくない考えが、企業社会に浸透しかねない。社会的に納得のできる厳正な処罰が必要なことは言うまでもない。

 いかなる企業にもその企業が時の経過とともに受け継いできた「企業文化」ともいわれる環境がある。今回の事例のような行動が、当該企業において暗黙にも認知されているならば、経営に関わる当事者は、企業統治と企業倫理に関して、改めて深く反省し、自己責任の自覚の上で、今後のあり方に向けて改革・改善する必要がある。

 ひとつの例を挙げておこう。同じ電力産業の東北電力グループでは、企業倫理・法令の遵守に関する行動指針として、次のように公告している

[以下、当該企業HP上からの引用部分]
(2)企業倫理の徹底
経営の進め方や業務の処理等の企業行動の決定にあたり,常に企業倫理を徹底します。
特に,次の事項について徹底していきます。[以下、一部省略]

* 贈答と接待
* 役員および従業員は,社会通念上常識の範囲を超える取引先からの贈物および接待は受けません。贈物をする場合および接待する場合も同じです。
* 公私のけじめ
* 公私の区別に留意して行動します。特に,就業時間内における私的な行為,会社財産の私的目的での使用などは行いません。
* 業務外活動における誠実な行動
* 私的な活動においても,社会常識および公益事業に携わる者としての自覚に基づき,誠実に行動します。特に,飲酒運転など,社会に危険を及ぼし,会社の信用を失墜させるような行為は,絶対に行いません

 こうした問題の解決に向けては、企業統治(コーポレート・ガバナンス)の点でも多くの問題がある。会社法改正などの法的、制度的改正だけでは根源的解決は到底見込めない。例えば、今回の関電事件を見ても、社外取締役などの制度が全く機能していない。かつて、アメリカで話題とされた社外取締役はCEOの”お友だち”がほとんどだという指摘に近い。要するに、社外取締役も社内取締役もほとんど同質のグループになってしまう。この点については企業の存在意義、あり方についてのより根本的な議論が必要になる。


 言い換えると、本質的な問題は、「現代社会における企業とはなにか」「企業は何のために存在しているのか」*2という点に関わっている。世界の大企業が、多かれ少なかれこの問題に直面している。


*1
企業倫理・法令の遵守
東北電力グループ行動指針(2017年4月)

*2
“What are the companies for: Big business, shareholders and society ” 
The Economist August 24th-30th 2019

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岐路に立つ資本主義:問われる大企業の責任

2019年09月13日 | 特別トピックス

 

Joshua B. Freeman, BEHEMOTH, A HISTORY OF FACTORY AND THE MAKING OF THE MODERN WORLD, Cover      (BEHEMOTHとは聖書「ヨブ記」に出てくる巨獣、巨大で力があり危険な獣)

 

最近の日本は、さながら”災害列島”のように見える。千葉県や伊豆諸島での大停電の復旧作業の顕著な遅滞は、東京電力という企業の社会的責任が問われる問題であり、今後こうした災害に際しての企業、政府などのあり方が真摯に再検討されるべきだろう。数多い災害例を通して、日本人は今後の方向と対応する主体のあり方について、すでに十分すぎるほど多くのことを学んだはずである。

今世紀に入った頃、世の中にはかなり楽観的な見解、展望がみられたが、本ブログ筆者はリスクの多い「苦難の世紀」になるのではと思っていた。年を追うごとにその思いは強まっている。

前回に引き続き、”資本主義”あるいは”社会主義”の概念について考えてみたい。このブログを訪れる皆さんは、この言葉にどんな印象を持っておられるだろうか。産業革命がイギリスに始まってしばらくの間、あるいはその後も折に触れて、”資本主義”という言葉は、利殖を追い求めるためにはなんでもするというような ”dirty word” 「汚い言葉」として嫌う人もいた。現在では少数になったが、「資本主義」、「社会主義」の双方について、それぞれの立場で嫌悪する人々もいる。

資本主義を中軸において駆動させている主体は、企業、政府など多くのことが考えられるが、大企業、とりわけ巨大企業の存在が大きいことは、様々に立証されてきた。本ブログでも取り上げたきた「ビヒモス」(巨大怪獣)にも例えられる企業であり、世界規模で見ると、かつてはGM, Ford, クライスラー、USスティール、GEなど製造業に分類される企業が多かったが、近年ではマイクロソフト、GAFA(グーグル、アマゾン、フェースブック、アップル)などのIT企業が主流を成し、ジョンソン・アンド・ジョンソン、ロイヤル・ダッチ、トヨタなど製造企業も含まれる。これらの大企業の利益は、近年上昇している。

企業は儲かっている!
アメリカのグローバル企業の税引後利益(GNPに対する比率)の推移 

The Economist August 24th-30th 2019 拡大はクリック

資本主義・社会主義のイメージ

近年のアメリカ人について、一寸興味深い数字に出会った。”社会主義” Socialism” および”資本主義” Capitalism という言葉を彼らはいかなる思いで受け取っているかという問題である。

 "社会主義" "資本主義"という言葉への印象
アメリカ、年齢グループ順

 

The Economist August 24th-30th 2019 拡大はクリック

言い換えると、「非常に、あるいはどちらかというとポシティブ(前向き)な印象」を持っている人の年代別比率である。

Capitalism については、18-29歳層の50%近くがポジティブな印象を持っているが、歳をとるにつれて比率は上昇し、65歳層以上では80%弱がポジティブな印象を持っている。アメリカはさすがに資本主義の王国であり、大勢はCapitalism について否定的あるいは罪悪感のような受け取り方はしないようだ。

他方、比較のために”Socialism” 「社会主義」という言葉への印象をみると、18~29歳層のおよそ半数近くが前向きな感じを持っている。その比率は年齢が高まるほど低くなる。ちなみに65歳以上では40%弱だ。

長年、主として労使の分野の研究・教育に携わってきた筆者の印象では、時代と場面では、とりわけアメリカで、”I’m a socialist” 「私は社会主義者だ」と公言するのは、かなり勇気が必要だったように思う。とりわけ、米ソ対立が激しく、中国が「共産主義」Communismへの道を旗印としていた時代である。しかし、時代は移り変わり、アメリカでも socialismへのアレルギー的反応は前回の大統領選では、かなり減少した。代わって、中国の資本主義化は凄まじいの一言に尽きる。

社会主義化するアメリカ?

前回の大統領選で、バーニー・サンダース上院議員(民主党)候補が “I’m a socialist”というのは、無党派と若者にはかなり訴える力を持つていたが、今でも続いている。とりわけ、「経済格差の是正」の主張が大部分を占めるが、格差拡大の力に抗しきれない若者や無党派層には訴える力を維持している。最近では公然と社会主義者を掲げる若者も増えている


「米で拡大、社会主義に傾倒する若者たち」NHK
BS1 10:00 pm, 2019年9月12日 この番組の調査では、若者の「社会主義」支持は「資本主義」支持を51:49%で上回っている。

日本では同様の調査を見たことはないが、その歴史的経緯から「資本主義」「社会主義」の用語の双方にアメリカほどの強い忌避感はないと思われる。とりわけ後者については、政党名、イデオロギーとして掲げられてもきた。

他方、「資本主義」については、近年大企業の専横、横暴、無責任などの行動が問題を提示している。例えば、経団連は「すべての人々の人権を尊重する経営を行う」との原則を盛り込んだ企業行動憲章を掲げるが、その団体の会長企業が、外国人技能実習生制度に違反する行為をしていたとの記事が新聞一面を飾っている

技能実習制度が施行されてから、こうした違反行為に関する記事を一体いくつ見ただろう。到底数えきれない。この制度の沿革をたどると、当初から違反をするために(違反を隠蔽するために)生まれたようなところがある。

「技能実習 日立に改善命令」『朝日新聞』2019年9月7日
 
さらに、世界中で注目の的となったゴーン元日産社長のスキャンダル、そして現日産社長の違法報酬など、大企業にまつわる悪徳行為は絶えることがない。

このブログで時々取り上げている産業革命以降の歴史をたどると、その大きな特徴は企業は資本家(株主)の利益を拡大することを第一義的な目的として活動してきた。

それでも、多くの困難に直面している今日の世界を動かす行為主体は、政府、企業、市民、各種団体など多くのものが考えられるが、企業、とりわけ大企業に期待している人々が多い。

前回取り上げたアメリカの主要企業のCEOの団体 Business Roundtable, “ The Purpose of a Corporation,” August 19, 2019が、企業(会社)のあり方について、株主重視からステークホルダー重視へ方向転換の方針を提示したが、すでに長年議論されていることで、それ自体新味がない。

大西洋を挟んで同じような議論が行われている。1950-60年代にイギリス、フランスで、企業に有限責任が認められて以来、市民社会は代わりに何を期待できるのかという議論が続いた。イギリスでは、いくつかの経済誌*が取り上げている。資本主義という社会システムが生まれて以来、多くの悪徳が企業によって実行されてきた。それでも社会の改革を生み出す主体として、企業、とりわけ大企業の行動に期待する人々は多い。政府に期待する人々もいるが、その実行力に疑問を抱く人々が多い。

資本主義社会における企業、とりわけ大企業の責任はどうあるべきなのか。企業の本質そして企業に支配される社会(企業社会)のあり方まで切り込んで、議論をしない限り、事態は歳を重ねるごとに悪化するばかりだ。企業とは何か。何をすべきなのか。企業の責任とは何か。本質に立ち戻り考えるべき課題が提示されている。

Reference


*“What companies are for ” The Economist August 24th-30th 2019
Briefing: Corporate purpose, “I’m from a company, and I’m here to help you” The Economist August 24th 2019

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行方定まらぬ資本主義: 動揺する企業統治

2019年08月27日 | 特別トピックス

L.S. ラウリー 《工場街の風景》 1935  油彩・カンヴァス


会社とはいったい何なのか

最近、「会社とはいったい何なのか」「会社は誰のためにあるか」というテーマがアメリカ、イギリスなどで静かなブームを呼んでいる。会社(企業)が世の中に及ぼす影響は、想像以上に大きい。第一次産業革命以降、世界における会社(企業)の様相、社会的意義も大きな変遷を遂げた。そして、第四次産業革命とも言われる今、その実態は大きな変化の渦中にある。最近、議論の発端のひとつとなったのが、下に掲げるアメリカ「ビジネス・ラウンドテーブル」(アメリカを代表する主要企業350社のCEOの団体)の宣言である。

Business Roundtable, “ The Purpose of a Corporation,” August 19, 2019

「ビジネス・ラウンドテーブル」Business Roundtableは、8月19日、これまで金科玉条のように掲げてきた「株主第一」を見直し、従業員や地域社会などの利益を尊重する事業運営に取り組むと宣言した。トランプ政権下の税制改革で、企業の利益水準は押し上げられたが、賃金の伸びは鈍い。この議論は新しいものではなく、これまでも幾度となく繰り返されてきた。しかし、以前とは異なる点もある。

BRの会長はJ.P.モルガン最高経営責任者(CEO)のJ.ダイモン氏であり、その他アマゾン・ドット・コムやGMなど、181人の大企業責任者が就任している。同様な機構はアメリカ以外にもあるが、定期的に、コーポレート・ガヴァナンス(企業統治)原則を時代に合わせて公表してきた。

1877年、ラウンドテーブルは加盟企業の基本方針を変更した。かなり唐突だったが、経営と役員会の最大の義務は、企業の株主および彼らの活動に直結する事項におくと主張した。その後、アメリカのトップ主要企業の公式的考えは、株主の利益は、従業員、消費者、地域社会、そして社会全般に優先するものとされてきた。97年からは「企業は主に株主のために存在する」と明記してきた。それを改めるというのが今回2019年の宣言である。

21世紀に入っても、20年余り、アメリカの主要企業は「株価上昇」や「配当増加」など投資家の利益を、従業員、消費者、地域社会など他の全ての利害関係者(ステークホルダー)にまして最優先してきた。それだけに今回の基本方針の変更は、企業利潤の拡大の下で、現状の経営者たちが自社株買いなどで不当報酬を得ていることへの批判や不満を回避しようとする意図が働いていることもほぼ確かだ。大統領選挙がらみ、企業批判回避などへの配慮もあるとはいえ、注目すべき宣言である。

会社が生み出した光と影

アメリカについて改めて振り返って概観すると、ほぼ半世紀以上、貧富の格差など経済的な不平等が続いてきた。1960年代末までは、その間大不況、第二次大戦、朝鮮戦争などもあったが、所得は四世代近くまずまずの増加を示してきた。アイゼンハウアー大統領政権下の比較的平穏な時代、ヴェトナム戦争、その間のさまざまな社会的紛争なども含めても、比較的穏当な所得の成長を予想する人たちが多かった。社会の平等化は、ほぼ順調に進行するかに見えた。しかし、1968年頃から状況は一変した。

社会の経済的格差は激変し、新たな局面に入った。その状況を見るために、主要企業CEOの得る報酬と労働者層の報酬比率を見てみよう(下掲)。1990年代、リーマン・ショック(2008年9月)後に注意してほしい。それまでは30から60倍だった格差が、200-350倍と信じられないほどの比率になっている。

アメリカにおけるトップCEO経営者と典型的労働者の報酬格差推移

Source:Lawrence & Alyssa Davis, "Top CEOs Make 300 Times More Than Typical Workers。”Economic Policy、June 21, 2015, http://@erma.cc/MP6M-KXSF, figure A


リーマン危機後の過去10年間、アメリカの企業社会は回復を見せたが、中間層の縮減、上層・下層への2極化などの社会的問題に対決を迫られるようになった。背景のひとつには、次の大統領選を控えて、富裕者増税や大企業解体要求などを求める民主党系の声も高まっており、経営者層の危機感も強い。次の大統領が共和、民主のいづれになろうとも、主たる論争の場が企業に課せられた課題、そして来るべき社会のあり方になることはほとんど確実だ。

実態を見るほどに、現在のアメリカ、そしてヨーロッパなどの資本主義は、国民の所得・資産などの格差の拡大、貧困層の蔓延に十分な改善の手を差し伸べることができないでいる。

今回の「ビジネス・ラウンドテーブル」によるステークホルダー資本主義へ転換の旗印は、以前にも掲げられた。少なくも会社法学者や先進性を誇示したい企業経営者にとっては、格好のスローガンだった。しかし、実際には”株主資本主義”へとさらに傾斜するばかりだった。

アメリカの労働者の大多数の賃金は、ほぼ40年間にわたり押さえ込まれてきた。健康保険や退職に際しての制度上の配慮も劣化していた。他方、企業利潤は記録的に上昇し、多くはCEOを含む株主の報酬増加へと向けられてきた。大企業のCEOたちが一般労働者の賃金の300倍もの報酬を得ていても、当然のごとく受け取られてきた。トランプ大統領が当選したのは、こうした状況においてであった。

トランプ大統領による「アメリカ・ファースト」のスローガンは、自由貿易の流れに逆行し、高い関税率の壁で国内市場を守るかに見えて、実際は価格上昇をもたらし、アメリカをさらなる孤立化へ追い込んでいる。世界一の経済大国アメリカの資本主義は、このままでは有効な手立てがなくなり、内部破綻へと追い込まれることは必至だ。

足元揺らぐ資本主義

関連して、日本の状況について簡単に触れておくと、社会の上層と下層への2極化、中間層の分解など、議論はないわけではないが、アメリカほど国民的議論にはなっていない。これについては、いくつかの論点があるが、かつてブログ筆者は企業の組み立てが、”従業員管理型”ともいうべき、企業の最高経営者の多くが、従業員出身のいわば内部昇進者であることが、重要な意味を持つことを指摘したことがある。経営者と労働者の社会的出自が異なることが多い欧米企業の多くとは異なり、経営者と従業員が基本的にほとんど同じ社会的出自であり、ほぼ同質である。言い換えると、とりわけ、戦後の大企業では経営者は従業員からの昇進者が多く、両者の間に欧米のような隔絶がない。

こうした背景の下で、戦後の日本企業の統治改革corporate governance はアメリカ、ヨーロッパ諸国などからの圧力もあって、会社法改革でもステークホルダー重視などの表現を使いながらも、実質は従業員重視から株主重視へと向かって動いてきた。その結果、会社の実体はよく分からない名前だけの社外取締役配置など、実効性の薄い制度が作られる。

近年、会社法改革は頻繁に実施されてきた。なかでも2014年の改革(2015年施行)はよく知られているが、次の改革は早ければ2020年施行が予定されている。日本の場合、恒久的な労働人口の不足に直面し、突如多数の外国人労働者を受け入れ始めた。労働需要は逼迫しても、労働者の賃金は低迷して上がらない。アメリカほどの経営者・労働者間の報酬格差の拡大はないが、資本主義としてのダイナミズムは著しく低下している。最近では、「定年後2000万円必要」などの無責任な論議もあって、70歳までの定年延長など、一生を働き尽くして終わるような社会的イメージ形成の動きもある。人はただ働くために生まれてきたのではないはずだ。企業統治のあり方は、資本主義のあり方を定める。そして、そこに生きる人々の姿を変える。
(続く)


References
米経済界「株主第一」見直し『日本経済新聞』2019年8月20日夕刊
米企業「株主第一」に転機『日本経済新聞』2019年8月21日

桑原靖夫「日本的経営論再考『日本労働協会雑誌』1988年1月号

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「楽園」は期待し難い「仕事の世界」の近未来

2019年06月04日 | 特別トピックス

 

世界的な仕事の機会創出ブーム

The great jobs boom. The Economist May 25th-31st 2019, cover 

ここに雑然と描かれた職業は、製造業からITなど最先端ワーカーまで、あらゆる分野の仕事が含まれている。今日、世界で生まれている職種は、実に多種多様で機械で容易に代替できるわけではない。職業は一定方向で淘汰、創生されているわけでもない。人間の頭脳や手足が欠かせない職業は、ディジタル時代といえども数知れない。 


元号とは遠い現実
「令和」という新元号は、語感も含意も穏やかで、概して好感をもって受け取られたようだ。しかし、現実が元号を反映する形で展開する保証はどこにもない。あくまでそうあって欲しいという願望が込められたにとどまる。

これまでの記事でも記したように、世界には新たな冷戦の動きが展開しつつある。熱い戦争が勃発する可能性もないとはいえない。戦争とまでは言わずとも、今日の世界はかつてない激変と混迷が満ちている。連日のようにこれまで考えたこともないようなことが起きている。なにが起こるか分からない濃霧の立ち込めたような社会になっている。一世代前には、想像すらしなかった出来事が突如として起こる。

予想外の「仕事の増加」
そのひとつの側面は「仕事の世界」(労働市場)だ。米中対立で株価は低迷し、これまでだったら大不況の到来を思わせかねない環境の中で、先進国の雇用は多くの予想に反して「タナボタ」bonanza とも言われる活況を呈している。資本主義の衰亡が声高に叫ばれる中で、一体これは何を意味するのだろうか。

確かにアメリカ、日本、さらにBREXITで大混乱のイギリスを含め、EUの主要国では、労働市場の逼迫度を示す失業率(15−64歳層)は記録的な低さを示している。OECD加盟国の3分の2近くがかつてなく低い失業率を享受している。他方、イタリア、スペイン、ギリシャなどの失業率は依然として高い。アフリカ、アジア、中南米などの諸国に目を転じると、良い雇用機会は少なく、他国への出稼ぎが依然として大きな比重を占めている。フィリピンのように、長年にわたり看護師、船員など多くの自国労働者を海外に出稼ぎに送り出しながら、多数のIT技術者を中国などから受け入れざるを得ない国もある。

活発な雇用が支えるトランプ政権
アメリカでも雇用は全般に好調だ。トランプ大統領が、「アメリカ・ファースト」という極端な保守主義を掲げ、今日までなんとか続いているのも、国内の不安を強力な力で押さえ込んでいることによる部分が多分にある。自国民の隠れた自尊心をくすぐるような主張なら、多くの国民は受け入れてしまうのだろうか。
トランプ大統領がこうした自国優先主義を掲げていられる背景の一つは、マスコミでもあまり指摘されていないが、推定するに雇用不安が起きていないことにあるといえるだろう。かつてのように、失業が政治論争や社会不安の種になっていないのだ。実際、最近のアメリカの失業率は約3.6%、この半世紀で最低水準だ。しかし、中国などにITなど先端分野でも、技術的に追い越されるなど、息切れ状態が目立つ。保守的政策の反動が顕在化する日も近いことが予想されている。

かつてないほどの大幅な関税引き上げ、移民・難民に対する物理的壁の建設など、政策の適否は別として一般大衆が分かりやすい対応で、不満を押さえ込んでいる。現実には鉄やコンクリートの国境壁で、不法移民の流れを抑え込める訳ではないのだが、実態を知らない人は信じ込んでしまう。関税障壁を高めれば、アメリカの巨大な国内市場を目指してきた海外の輸出拠点も壁の内側へ移転せざるを得なくなる。輸出先の市場を守ることが必要になるため、「防衛的投資」*2ともいわれる。

混乱・混迷の中の雇用増
政治的対立、混乱は世界の至る所で発生しているが、幸い「仕事の世界」は予想を裏切るほど活気を呈している。OECD加盟国の多くで、画期的ともいえる雇用の増加が起きている。日本は、オリンピック関連需要などによって雇用創出が拡大し、労働力不足が急速に進み、確たる構想がないままに外国人の受け入れを始めてしまった。さすがに世論の反対で取り下げたが、一時は原発処理の分野にまで、外国人労働者を受け入れる予定だった。

日本人が選択しなくなった低熟練労働分野に外国人労働者を充当しようとしているが、現実は劣悪な労働を彼らに押しつけることで新たな下層労働を作り出している。

遠い魅力ある国の創出
 他方、AI社会の到来を目前にして、世界の主流へ対応できる高度な労働者は思ったほど増えていない。この分野ではアメリカが圧倒的な地位を占めている。AI社会への対応も手遅れで、こちらも高度な技能を持つ人材の不足が著しい。高等教育の立ち遅れで、他の先進国と比較して、AI社会に向けての人材が不足している。しかし、ここには優れた外国人は期待するほど来てくれない。大学、研究機関、企業など受け入れ環境がそうした人たちを誘引できるほどの魅力を持っていない。

技術変化=雇用減ではない
1980 年代には「ME (マイクロエレクトロニクス)革命」といわれた時代があった。労働力の質量の双方に関わる議論があったが、日本についてみると、そうした急速な技術進歩で労働力の数や質が大きく変化するようなことにはならなかった

現在進行しつつあるディジタル革命、第四次産業革命などの名で呼ばれている大きな変化でも、当時と類似した議論も行われている。ただ、今回の場合は省力化効果がきわめて広範に渡ることが予想され、自分の仕事自体が消滅してしまう可能性は極めて高い。しかし、ディジタル化が進んでもかなりの間は、新技術の進展を推進する人材は、一層必要とされるだろう。他方、複雑化する社会にはかなり高度な技術を持っても代替できない、心のこもった人間の手足や頭脳で対応することが求められる仕事は一定限度残る。看護・介護などの仕事は、ロボットが一部は代替しうるとしてもおのずと限度がある。

全体の労働力については、この高度な専門的熟練と低次の熟練の双方向へ分極化する傾向が予想しうるが、その展開の速度は人間の予測力を超え、容易にはコントロールできない。恐らく最も大きな影響を受けるのは、現在「中間的技能」分野ともいうべき、広範な技能を包含する労働者の層である。職場も製造業の工場からサービス業までありとあらゆる職種に及び、多様な形態をとって機械、ITによる代替が進むだろう。仕事の盛衰の実態は、格段に激しい様相を呈するだろう。今日あった仕事が明日はないという状況は、見慣れた光景になってゆくだろう。次の世代の直面する「仕事の世界」は、「楽園」とは程遠く、絶え間ない仕事の盛衰が支配するだろう。激動する世界を見通す「知の力」を身につけることはたやすいことではない。スマホを捨てる必要はないが、その「小さな世界」から離れ、近未来に何が起こりそうか、熟考すべき問題はきわめて多く多様だ。多くの職業は、チェスや囲碁・将棋の高段者が、スーパーコンピューターに支えられたロボットに敗北するように、瞬時に機械に代替・淘汰されるわけではない。仕事の生成・淘汰のプロセスはきわめて複雑で、かなりの時間も要する。AIの時代が多くの人々に、認識されるまでには長い時間が必要だ。

ブログ記事文頭に掲げたテーマ・カヴァーは、ヒエロニムスの《地上の楽園》(下掲、詳細はクリック)の現代版のように見えるが、現実は厳しい世界だ。と言っても、AI技術などの新技術が、人間の仕事を奪い、蹂躙するような《地獄図》とも思えない。「仕事の未来」は、未だ濃霧に包まれている部分が多い。いかなる仕事が将来を主導するか、不分明だ。「就活」は人生において大事な活動だが、それに失敗したとしても、挽回の機会は次々と現れる。重要なことは常に時代の赴く方向を考え、人生で何度か現れるチャンスを逃さないことだろう。

ヒエロニムス《地上の楽園》

 

* The great jobs boom. The Economist May 25th-31st 2019

*2 日本労働協会編『海外投資と雇用』1984年

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茨の道が続く『令和』の始まり:分裂・分断が進む世界

2019年04月20日 | 特別トピックス

 


『平成』から『令和』への改元は、日本社会に回顧を伴う大きな感慨と一抹の明るさをもたらしたかに見える。『平成』の時代は幸い日本の国土での戦争は免れたが、多くの災害(天災・人災)に襲われ、多大な被害を被った地域も多く、新時代へ続く地域の衰退、厳しい人口減など活力の減衰が既に始まっている。少し日が経って見れば、現在そして來るべき未来が到底手放しで明るいものではないことに気づくことになるだろう。

忘れられてはいけない問題
改元で政治経済あるいは社会面の深刻な現実が変わるわけではない。例をあげれば、「平成」の時代で最大かつ深刻な東北被災地の復興、とりわけ核燃料廃棄物の処理は半世紀近い未来まで続き、いつ終結するともわからない。かつてチェルノブイリの近くまで行ったことがあるが、福島の現場を見るとそれを上回る暗澹たる気持ちになる。そればかりか、改元直前の政治的諸課題が後退し「拉致」や「国民統計」をめぐる問題など、顛末がどうなったのか、甚だ危うい状態にある。

今はメディアの報道の大きな部分を占める東京五輪も、長い歴史の上では文字通り一瞬の花火のごときものだろう。他方、人口減少に伴う深刻な労働力不足は、既にいたるところに厳しい問題を生み出している。「外国人材」導入の名の下に検討不足の施策が打ち出されているが、拙速で政策間の整合性がなく、実現可能性に大きな疑問符がつく。助走距離のないままに幅跳びを迫られるようなものだ。

生まれる新たな下層社会
「外国人労働者」ではなく、「外国人材」という馴染みの薄い言葉が使われ始めてから日は浅いが、入国してくるのは労働者という人間であることはかねてから幾度となく強調されてきた自明なことである。しかも、日本人が就労しようとしなくなった分野に限って受け入れられる以上、その労働条件が劣悪なことは、多くの事例が示してきた。福島原発の処理作業まで、当初から外国人労働者を導入するまでになっていることは現実がいかに深刻であることを物語っている。国内労働者の下に外国人労働者を含む低賃金労働者層が作り出されることは目に見えている。

既に公式には受け入れの門は開かれてしまっているが、人材の給源の適否、受け入れ方法、訓練、日本語および人間としての生活に必要な対応など、すべてにわたって準備不足が目立つ。留学生に認められるアルバイト時間を大幅に逸脱し、学生なのか労働者なのかわからなくなっている「留学生」も多い。日本の教育の内容と誠実さが問われている。

日本で働く外国人研修生などの中には、過酷な労働環境に耐えかねて失踪する者の増加などが、以前から指摘されているが、改善されるどころか、増加するばかりだ。人間が入ってくれば、犯罪も増加する。海外に拠点を移し、遠距離から高齢者などを餌食とする詐欺なども多数報じられるようになった。犯罪の手口は日に日に巧妙になっている。「一人暮らし」が住民の3割にも及ぶ現実を直視すべきだ。

グローバルな変化
他方、世界の移民・難民の状況は、近年大きな転機を迎えている。移民・難民を希望する人数は増え、彼らが稼ぎ出す外貨送金の額も傾向的に増加しているが、その人流を妨げる障壁も次第に高まっている。トランプ政権の下では、内外の批判を受け、現在は一時的に停止しているが、ホンジュラスからメキシコ経由で不法入国した難民申請の親子を引き離し、親だけを国外退去させるなどの非人道的とも言える対応もとられた。想像を絶する苦難のキャラヴァンを続けても、難民として認定されるのは15%未満と言われる。

物理的な壁でも防げない
アメリカ南部のアメリカ・メキシコ国境はトランプ大統領の強権の下に既に物理的な壁が建造されつつある。こうした壁は確かに実態をよく知らない一般人には移民・難民の流れを阻止するに有効な手段と目に映るかもしれない。しかし、観光査証などで入国して、査証目的と異なった活動に従事することは広範に行われている。

ヨーロッパもシリア難民の増大などで、国論を引き裂く大問題となったが、今は小康状態といえる。しかし、夏の訪れとともに、地中海などをボートに満載されて、アフリカからヨーロッパへ辿り着こうとする移民・難民も増加するだろう。

既に世界で自分の生まれた国以外の地に住む人口は2億5千万人近くに達している。一般的には、これまでの経験を通して世界の多くの国々が移民入国の増加に反対し、同時に自国の優れた人材が他国へ移住することにも反対する傾向が見出されている。この傾向は細部に入るほどに複雑、流動的であり、地政学的な要因が強くなる。日本の周辺には、人口が大きく、政治的にも難題を抱える国々が多く、出入国管理、共生政策は周到な検討が必要になる。外国人受け入れは日本の命運を定める一端を担っているともいえる。『令和』の時代は、その語感とは異なる苦難な道となることは避けがたい。五輪後の世界をしっかりと見つめることが必要だ。

 

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複雑きわまりない壁?:英北アイルランド・アイルランド問題

2019年02月24日 | 特別トピックス

北アイルランド(英国)とアイルランド国境地帯

 

世界の国境地帯は、近年、大荒れ状態といってよい。アメリカ・メキシコ国境、ヴェネズエラ・コロンビア国境、竹島・韓国、北方領土問題など、数限りない。

今日はその中で最も厳しい政治的・宗教的環境にあると見られるひとつの例を見てみよう。BREXITの成否を決する英・北アイルランド(Northern Ireland; 中心都市ベルファスト)とアイルランド国境問題である。これまで幾度となく緊迫した状況を呈してきた国境地帯である。

しかし、多くの日本人にとって、その実態を正しく理解することはきわめて難しい。ブログ筆者自身、半世紀近く見聞してきたが、心もとない点が多々ある。

後がないメイ首相
ついに政治的に崖縁まで追い詰められた英国のテリーザ・メイ首相だが、その強靭な意志と行動力には党派とか思想を超えて、ひたすら感嘆する。彼女の本意はEU残留であったと報じられている。しかし、国民投票に基づき、ひとたび与党がEU離脱の選択をした後は、あらゆる手段を駆使してその道を貫こうとしてきた。サッチャー首相やアンゲラ・メルケル首相などのしたたかさに通じるところもあるが、当然ながら彼女独自の個性による部分が多い。これまでの度々の危機にも関わらず、保守党党首として不信任案も切り抜けてきた。BREXITをめぐっては、与党のみならず野党労働党にも賛否両論があり、議論は混迷を極めてきた。傍目にもよく今日まで首相の座を維持してきたと思う。メイ首相は今でもなお、離脱協定の議会承認を獲得しなくてはならない。

イギリスの欧州連合(EU)離脱をめぐる交渉で鍵となったのは、英・北アイルランドとアイルランドの国境問題だ。イギリスとEUは11月に離脱協定をとりまとめ、この国境の扱いについても合意した。その過程で「バックストップ」(安全装置)なる措置が登場する。バックストップは、英国がBREXIT後の移行期間にEUと包括的な通商協定をまとめられなかった場合、アイルランド国境を開放しておくための最終手段だ。

現在、北アイルランドとアイルランドの間で取引されるモノやサービスには、ほとんど制限が設けられていない。現時点では英国もアイルランドもEUの単一市場および関税同盟の一員なので、製品の税関検査もない。しかしBREXIT以後は、これが変わるかもしれない。

EUは再交渉の可能性を否定しているが、「バックストップ」(安全装置)はあくまでも一時的なものだという主張を、より明確に提示するかもしれない。双方とも、BREXIT後にこの国境に検問所などを置く厳格な国境管理は避けたい考えだ。アイルランドと北アイルランドは別々の関税・規制体系となるため、製品は国境で検査を受ける必要が出てくる。英政府はこれを望んでいない。EUも、国境管理を厳しくしたくないと表明している。しかし、英国が関税同盟と単一市場からの撤退を固持している以上、これは非常に難しい。



避けたいハードな国境管理 
「バックストップ」は、いわばセーフティーネットだ。BREXIT後、包括的な協定や技術的な打開策で現行のような摩擦のない状態を保てない場合、アイルランド国境に適用される。EUは「バックストップ」の担保がないままでは、移行期間の設置も、中身のある通商交渉にも応じないはずだ。北アイルランド・アイルランド問題の複雑さは、並大抵のものではない。ブログ筆者も実態を十分理解しているとはいえない。国民投票のキャンペーン当時は、全く注目されていなかった問題が急遽浮上したのだから。

「北アイルランド」とは、カトリック中心のアイルランド島の南部が1920年代にイギリスから独立するに際し、プロテスタントが多数派だったためイギリスに留まった北部6州を指す。植民したプロテスタント系のイングランド住民の子孫が多い地域である。北アイルランド紛争は、アメリカでの黒人公民権運動の盛り上がりに刺激されて1960年代に火がついた。当時、筆者はアメリカにいて報道されるニュースを読んでいたが、まさに「対岸の火事」のような印象だった。友人のイギリス人も事態を読みきれないのか、あまり説明してくれなかった。

内戦と化した対立紛争
紛争の構図を単純化すれば、イギリスに忠誠を示す多数派のプロテスタント勢力(=支配勢力)と、アイルランドへの帰属を望む少数派のカトリック勢力(=抑圧されてきた勢力)の対立といえるだろう。対立はほとんど「内戦」と化し、30年間で3500人もの死者を出す悲惨な展開となった。その後、ブログ筆者が滞英中も爆弾テロ、銃撃戦など、激しい事件が報じられていた。アイルランドへの旅を企画し、ベルファストまで行ってみたいと思っていたが、大変危険だからやめるように強く説得され、ほとんど素通りでダブリンなどに旅の重点を移した。「ベルファスト合意」が翌年に成立する前夜だった。もっとも、ダブリンはかねて行きたいと思っていた地であり、別の意味で大変興味深かった。

ベルファスト合意
それまで憎悪の極みのような状態が続いていたにも関わらず、1998年4月10日、和平合意(ベルファスト合意)が達成された。驚くべき決断だった。和平プロセスはその後、エリザベス女王が2011年5月にイギリス国王として100年ぶりにアイルランドを訪問し、両国の歴史的和解へとつながったl。

EUも、アイルランド島の南北の統合を促進するために国境を越える投資を積極的に進めてきた。その統合は、「ダブリンーベルファスト経済回廊」とも呼ばれるほどに進んでいる。

今回のBREXITの交渉過程で、イギリスはこの問題で二つの提案をしている。一つは、イギリスとEUがモノの貿易で「共通のルール・ブック」を採用すれば国境検査は必要がなくなる。「モノの自由貿易圏」が創設される、という提案である。二つ目は、北アイルランドだけをEUの制度に残すことは認められないとし、そうするなら、イギリス全体を暫定的に関税同盟に残すか、離脱後の移行期間(2019年3月~2021年12月)を延長することで時間を稼ぎ、その間に本質的な解決策を探ろうというEU提案への逆提案である。

この中で、移行期間延長という解決策が注目を浴びているが、英保守党内の強硬派が断固反対する姿勢を示し、八方塞がりとなっているのが現在の状況と理解している。

イギリスが香港やマカオ返還で示したお得意の「一国二制度」は認めないという主張は実際面より、国家が二つの「法的領域」に分断されることにより、イギリス本土と北アイルランドの紐帯が弱まり、北アイルランドがアイルランドとの統合へ傾いていくことを警戒してのものとみられる。

これは、独立機運がすぶるスコットランド情勢も含め、連合王国としてイギリスの将来の「国の形」の屋台骨を定める道でもある。

また、メイ首相率いる少数与党政権が北アイルランドの地域政党「民主統一党(DUP)」の閣外協力で維持されているという事情もある。DUPはEU提案に反対しており、その声に耳を傾けざるを得ないのである。実に複雑な現実だ。

最終の姿がどうなるか、もはや英国政府自身も、国民も分からないのではないか。親しいケンブリッジの元副学長をしたWBが、ほとんど破滅的状態と形容したのもうなづける。それは、国内に強敵を抱え込んだ難交渉は、最終期限ぎりぎりまで事態を動かせないということだ。交渉期限を余して妥協すれば、軋轢は急拡大し合意案は潰される。メイ首相に残された唯一の成功へのシナリオは、最後まで合意のカードは切らず、粘りに粘って時間切れのタイミングで「譲歩を勝ち取った」と勝利宣言し、合意案を強制することだろう。

この国境は政治的および歴史的な象徴になっている。「トラブルズ」と呼ばれた北アイルランド紛争では約3500人が犠牲になり、98年のベルファスト合意でようやく終結。合意に基づいてアイルランドとイギリスの国境が開放され、物と人が自由に往来できるようになった。

「見えない国境」は実現するか
鋼板などで国境を遮断する「ハード・ボーダー」への逆行は、和平合意に反するだけではない。国境付近に監視塔や軍の検問所が乱立して美しい風景が破壊され、かつて民兵組織の攻撃で多くの血が流れた日々を思い出させるのだ。ハード・ボーダー(硬い壁)は、数世代に及んだ紛争の象徴だ。

北アイルランドの大半の人はEUに残りたいと言っている。2016年の国民投票の結果は、北アイルランドではBREXITへの反対票が圧倒的に多かった。彼らは間違いなく、ハード・ボーダーが復活することを警戒している。政治的な理由だけではない。国境管理を厳格化すれば、一般の旅行者の往来やアイルランドとの商取引が遅延して、コストもかさむだろう。

他方、国境復活を避けるために北アイルランドだけにバックストップを適用し、イギリス本土をEUの関税同盟のルールから離す道もある。

政党の民主統一党(DUP)はメイ政権を閣外協力で支えており、彼らの協力なしに保守党は政権を維持できない。彼らはこの地域がイギリスのほかの地域と違う扱いを受けることには断固反対だ。

電子システム化は国境の消滅を意味するか
長期的には、テクノロジーに期待する見方もある。例えば、貨物が倉庫を出る前に、税関申告ができるシステムが開発されるのではないか。そこでX線検査やスクリーニング審査、車両番号の自動認識などを組み合わせれば、国境で物理的に止める必要はなくなる。

とはいえ、短期的な見通しは暗い。EUとアイルランド政府が「バックストップ」条項に関して譲歩の意思を示せば、英議会は離脱協定案を承認するだろう。メイ首相はEUとの再交渉に臨む方針だが、EUとアイルランドは、現段階で再交渉はしないという立場を崩していない。このまま「合意なき離脱」に至ることは、全ての人が恐れる悪夢だ。解きほぐす糸口の所在も見いだしがたい状態が続いている。

 

References
アレクサンドラ・ノヴォスロフ・フランク・ネス(児玉しおり訳)『世界を分断する「壁」』原書房、2917年(Alexandra Novosseloff/Frank Neisse, DES MURSENTRE LES HOMMES)

’The invisible boundary’, The Economist, February 16th 2019

 

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眠る二人の子供:未来を託す

2019年01月06日 | 特別トピックス

《眠る二人の子供》1612-13, 国立西洋美術館 Two Sleeping Children, ca.1612-13, oil on panel, 50 x 65.5 cm, The National Museum of Western Art, Tokyo, Japan
無邪気に眠る二人の子供はルーベンスの1610年に亡くなった兄フィリップが残したクララとフィリップではないかと思われる。ルーベンスは後年、この二人を別の作品でより大きなイメージで描いている。


ひと時、雑踏を離れて

バロック絵画をこの世に送り出した画家といわれるピーテル・パウル・ルーベンス(Peter Paul Rubenns:1577-1640)の展覧会も終幕に近づいている。この画家、全般に華やかな印象を与える作品が多いが、その生涯も華麗だった。当時のヨーロッパに広くその名が知られた大画家だが、外交官としても活躍した。62歳の生涯であったが、今に残る作品は十分調べたことはないが、500点を越えるのではないか。一説には2000点を越えるとの推定もある。東京展でもおよそ70点が出展されている。一体いつ、どうして制作したのだろうかと疑問を持つ人が多いのではないか。

とりわけ1615年から1625年にかけては繁忙を極め、その受注数は到底一人の画家の制作能力を大きく上回ったと推定されている。ほとんどが顧客からの注文であった。

ルーベンスの制作ジャンルは主として祭壇画などの形をとった作品を含む「歴史画」、「宗教画」の範疇に入るものがほとんどだが、「肖像画」や「風景画」まで驚くほど広い領域にわたっている。

「黄金の工房」の役割
この繁忙な時期にルーベンスを支えたのは「黄金の工房」といわれた工房(アトリエ)であった。常時数人の画家(職人)がルーベンスがチョークで描いたデッサンに彩色し、最後の仕上げ段階でルーベンスが筆をとったといわれる。いわゆる「工房作」なのだが、興味深いのはルーベンスが関わった割合で価格が定められ、工房の職人の誰がどこを担当したなどの記録が工房の台帳に記載されていたとされる。時には、ルーベンスが署名だけした作品もあるらしい。名実ともに売れっ子画家だった

この点、ロレーヌなどの地方画家のアトリエとは全く異なる。ラ・トゥールやジャック・カロなどの史料を見ると、親方画家と徒弟あるいは職人一人の工房がほとんどだった。

ルーベンスの作品で目立つのはその対象範囲が広いことだ。さらにヌードが多いことで、物議を醸したこともあるようだ。画集などでも時折、辟易することもあるくらいだ。それでもさすがにバロックの巨匠といわれるだけに圧巻の作品群だ。

ルーベンス・シティの思い出
ブログ筆者がルーベンスの作品に最初に関心を抱いたのは、この画家の生まれた地ジーゲン(Siegen 現在のドイツ連邦共和国、ノルトライン=ヴェストファーレン州)に、1960年代末の夏、友人の実家があり、しばらく泊めてもらったことから始まった。遠い昔になったが、ドイツ人の家庭生活というものかいかなるものか、初めて経験した。父子が大学教員という知的な家庭であった。曜日で母親の家事仕事が決まっていて、金曜日には、母親が大鍋でシーツや枕カバーなどを文字通り煮沸していたのを覚えている。洗濯機がまだ普及していなかったのだろう。昼食がディナーになっていて、父親が職場から家に戻り、食前のお祈りがあった。今ではほとんど失われた風習だろう。

画家ルーベンスは、まもなくアントウエルペン(現在のベルギー)に移ったが、ジーゲンは「ルーベンス・シティ」と呼ばれることもある。

未来を託して
ルーベンスはブログ筆者のご贔屓の画家では必ずしもないが、いくつか素晴らしいと感嘆する作品がある。それは肖像画であり、顧客の注文に応じたものが多いが、写真をはるかに凌ぐのではないかと思うほど、対象とした人物の特徴を捉えていると思う。

今回はそれらの中で、子供のあどけない様子を描いた作品を取り上げてみた。最初に掲げた作品は、国立西洋美術館が取得、所蔵するもので二人の子供の寝姿を描いている。ブログ筆者はこの作品が日本にあることを大変喜んでいる。

 

《サンゴのネックレスをかけたニコラ・ルーベンス》クリックで拡大
Nicholas Rubens Wearing a Coral Necklace, 1619, white chalk, black chalk, and sanguine on paper 25.2 x 20.2cm, The Albertina, Vienna,Austria

ルーベンスの息子ニコラの幼い姿を描いたこの作品、画家の愛情に満ちた筆致だ。首にかけた紅色サンゴの首飾りは、その美しい色で好まれてきた。それとともに、キリストの血を象徴するものとされてきた。ニコラはルーベンスとイサベラ・ブラントの次男でだった。穏やかな表情の子供で、ルーベンスは少なくも3度、この子を描いている。


* 今日においても、かつてはルーベンスの作品といわれたものが、弟子の手になるものではないかとの見直しも行われている。「かつてルーベンス 今はヨルダーンス?」『朝日新聞』2018年12月25日

上掲の《眠る二人の子供》を紹介、掲載したのは本年の1月6日だが、『朝日新聞』1月8日夕刊美術欄が掲載し、偶然とはいえ不思議な感がある。この小さなブログを開設してまもなく『ラ・トゥール』展もあり、以来、度々こうしたことが起きている。こちらのタイム・マシンが少し先を行っているのだろうか。

 

 

⭐️『ルーベンス展ーバロックの誕生 Rubens and the Birth of the Baroque』国立西洋美術館、2018年10月16 日〜2019年1月20日

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怪獣ビヒモスを追いかけて(7):「手織り工業」の経済学

2018年09月14日 | 特別トピックス

「19世紀末、繊維工場で働く子供たち」

Mill _hildren, children employed at Coat's of Pausley, in the late 19th century, The Rise and Fall of King Cotton, by Anthony Brown, BBC:1984


Homespun の経済学
ホームスパンとは何かご存知だろうか。今の若い人たちはほとんど聞いたことがないかもしれない。家庭内で行われる織物、家内工業のことを意味することが多いが、日本でも戦後しばらくの間、多くの家庭で母親などが簡単な機械で、小さな毛織物のまフラーなどを作っていた。ここではイギリスの産業革命の黎明期を考えながら、産業革命はどんな条件があればどこに起きるのかという問題を少しばかり考えて見たい。実は「ホームスパン」は、産業革命の発生に重要な意味を持っていることを記しておきたい。これまで何度か取り上げてきた繊維産業を例に、再検討し、覚え書きとして整理することを試みてみたい

考えていることは、イギリスで起きた「産業革命」後、やや安易に「第一次」「第二次」「第三次」「第四次」・・・と使われるようになった「産業革命」なる事象の根源への探索であった。近年、インターネット・テクノロジー(IT) の世界的な展開について第4次産業革命、デジタル産業革命、IT産業革命というようなさまざまな表現、定義がなされているが、その本質、実質的影響・効果については論者によって異なり、不明で納得したがたい点も多い。何が真に「産業革命」という言葉に値するものか。歴史的的出来事の根源に再度遡る必要があるのではないか。すでに長い研究史の上で答えが出ているかに思われる産業革命の意味を、あらためて考え直してみたいと思っていた。

折しも、The Economist 誌(August 4th, 2018) が、’Homespun economics’ と題して、「産業革命は現代の生産性に新たな光を当てるか」とのクイズを提示しているのに出会った。それによると、18世紀のイギリスの女子労働者は1日にどのくらいの量の糸を紡いでいるのかという問いを冒頭で提示していた。こういう問いは、経済史家にとっては、’’(猫に) マタタビ’’のようなもので、学界内ではたちまち大きな議論が始まると茶化している。答は多分1日当たり4分の1ポンドから1ポンドの間だろうとしている。しかし、産業革命の発生要因についての現代的問題は、それよりはるかに意味が深いという。世界経済にとっての重要な含意を持つのは、技術進歩の特徴に関わるものだとされる。なぜ当時高度な技術も備えていた中国やインドではなく、英国に産業革命は生まれたのか。

世紀を越える研究成果があるにも関わらず、産業革命については良く考えて見ると不明なことが多い。いつどこでなぜ起きたか。改めて問われると、答えにつまることが多い。

“Homespun economics” The industrial revolution could shed light on money productivity, The Economist August 45h 2018

出所:蒸気エッセイに付せられたコミック的挿絵
The Economist August 4th, 2017
 

これは単に歴史家の関心事ではない。生産性が低いことは人間の発想力が弱化しているためか。技術を経済成長に転化することに失敗しているためではないか。18世紀イギリスで起きたことは正確にはいかなることで、この問題に光を照射することはできるのか。

「高賃金仮説」
ヨーロッパ諸国の中でなぜイギリスだけが、産業革命に成功したのか。とりわけ最後の点には多くの議論があるが、最近は Richard Allenが提示した”高賃金仮説” high-wage hypothesis が有力になっている。

ロバート・アレンRobert Allen『世界史のなかの産業革命』を読んでみた。産業革命はなぜ最初イギリスで起きたのか、という大問題に対し、「イギリスは高賃金かつ低エネルギー価格で、機械化(労働力→エネルギーの転換)が一見単純だが唯一経済的に割に合う地域だったから」という、穏当だが説得力ある議論が丁寧に展開される。長い論争の一つの到達点でもある。

The British Industrial Revolution in Global Perspective (New Approaches to Economic and Social History)
by Robert C. Allen

アレンの研究は、産業革命当時の高賃金に関する議論の整理をした。きわめて要約しえて言えば、20年以上、アレンはイギリスの産業革命解明の鍵はそれに先立つ時期において、消費と貿易の拡大をしていた点にあると主張してきた。産業革命の初期、イギリスは石炭が安く賃金は高かった。石炭を燃料とする機械を使い、労働者の賃金を抑え込むのは当然ともいえた。

産業革命の黎明期、イギリスでは労働力は高価で、石炭によるエネルギーはきわめて安かった。この労働力には女性と子供が主力として加わっていた。こうした条件はフランスなど大陸ヨーロッパではあまり当てはまらなかった。イギリスの賃金は大英帝国の貿易の成功によって高かった。1780年時点でフランスの起業家にジェニー紡績機を組み立てる説明があっても、彼らは食指を動かさなかっただろうといわれる。
今日見ると工場でそれぞれに与えられていた仕事を忠実に行っていたように見える女性や子供たちの姿だが、改めて産業革命の原動力を考えると、彼女たちが背負っていた別の重みを感じるようになる。現代の感覚で、なんとかわいそうな低賃金労働者と割り切ってしまうのは早計なのかもしれない。

革新の源は高賃金
産業革命の黎明期、英国の労働力は高価であり、石炭エネルギーはきわめて廉価だった。ヨーロッパ大陸では必ずしもそうではなかった。貿易相手国の中国やインドではイギリスと比較し、労働力はさらに安くエネルギーは高価だった。 ホームスパンなどに使われる労働力を蒸気の力で代替することを考えた技術者たちは、どこかでこのことを考えていたのだろうか。彼らが目指したことは、労働生産性を高め、さらに大きな革命・イノヴェーションへ繋がった。工場で糸くずにまみれて働く当時の子供達の画像もその役割や重みを考えると安易には見られない。

 

Robert C. Allen
The High Wage Economy
and the Industrial Revolution: A Restatement
The High Wage Economy and the Industrial Revolution: A Restatement.— M.: Publishing House Delo RANEPA, (Working Paper: Economics).

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医師の世界の近未来:社会的公正をいかに維持するか

2018年08月28日 | 特別トピックス

公正な選考とは:「ブラック・ボックス」の世界にメスは入るか


このたびの医科大学における入試選考をめぐる不正は、他の領域でも指摘されてきた日本における男女格差形成の格好な事例として、世界中に広く報道された。ブログ筆者も一部のメディア記事を目にしたにすぎないが、なかにはかなり偏った報道もあった。当該大学名をそのまま外国語訳すると、事情を知らない外国人には、東京大学医学部との誤解を与えかねないのだが、外国メディアがセンセーショナルに取り上げるには都合のよいテーマとなった。他方、日本人の間でも必ずしも認識されていない深刻な問題も浮上した。

 今回日本で問題化した事例では、最初の入学者段階で一律に女子に不利な係数を乗じ、特定の男子には有利な加点措置を講じるというあからさまな差別的行為が働いたようだ。その主目的は背後にある男性医師の優位を維持するという隠された動機にあったとみられる。しかも、類似の行為は過去数年に渡って実施されたようであり、かなり明白な差別的意図が継続して存在したことを推定させる。今回の案件では、差別の行為主体(差別者)が誰であるかは、いずれ明らかになると思われるが、多くの場合、事案の性質からして特定化することはかなり難しい。


この問題の核心は、日本社会に根強い男女格差と、それを生み出し固定化する差別意識の存在だった。日本の医師でも数は少ないが女性の医師(通称、女医)が活動していることは、戦後の社会ではある時期から知られてきた。それにもかかわらず、医師は概して”男性の職業”という意識は、日本人の間ではかなり広範に存在していたのではないかと思われる。その証拠に「男医」とはいわない。この事件がなかったら、この医学部応募者の性別に関わる差別的決定については、そのまま見過ごされていた問題であった。多くの人々は将来の医師の教育・養成のための選考過程に、こうした差別的行為が働いているとは考えても見なかったのではないだろうか。


さらに、重要なことは、今回の日本の事件を大きく伝えた海外のメディアの中には、自国においても医学界で男女差別が執拗に存在し、現在でも存在することを報じているものがあったことだ。「差別」という事象を解明し、改善することの困難さを示している。日本の場合は性別格差がきわめて大きく、国際比較の観点からも、改善度の低い国にランクされてきた。

こうした状況で、医師は他の職業に比較して、高い報酬、社会的ステイタスなどが得られる専門的職業として参入の壁が高く、「占有」されてきたことを指摘できる。世の中の職業を性別比で分類すると、相対的に男子比率の高い職業、女子比率の高い職業が存在することは知られてきた。医師は「男子の職業」として暗黙裡に認識されてきた。一国の医療行政の観点からも、将来の医師のあり方に関わり、医学部の入学定員の決定自体、政策上の重要な論点となってきた。同様な例として、きわめて非生産的な結果を招いた司法試験制度改革をあげることができる。長期的に「男性の職業」といわれてきた分野への女性の参入が増加するにつれて、男性による「占有」が徐々に崩れ、他の職業との比較において、労働時間、報酬水準などに示される労働環境も厳しさを増すことは避けがたい。

この事件を契機に「公正な選考」とは、いかにあるべきかとの議論が進むことを期待したい。すでに2次試験として面接などを導入している大学で、女子の合格率が男子より低位にあることが指摘されており、こうした試験制度がいかなる役割を果たしてきたか、解明が求められることになろう。その実態にどれだけメスが入れられるか注目したい。

類似の問題は、かつて男女雇用機会均等法成立当時に指摘されていたが、その含意を理解した人々は少なかった。採用試験などの際に行われる質疑の内容に関わっている。なぜ、女子学生だけが面接試験などで、将来の結婚、育児、転勤、職業継続などについて質問を受けていたのか。これらの点から推定しうるように、医学部に象徴される教育や職業の入り口にある選考の過程は、かなりの「ブラック・ボックス」の世界なのだ。

今日、遅まきながら問われているのは「公正な選考」とはいかなるものであるべきかという困難な課題だ。選考のプロセスの公正化、透明化をいかなる形で実現するか。これを大学学内や病院内部を含む社会的次元で議論することは、かなりの困難を伴うことはブログ筆者もある程度認知している。筆者の知る限り、欧米の大学などでも、学部などの創設者、(巨額な寄付などによる)貢献者の子弟などに、通常の入学選考条件とは異なる優遇措置が付与されることがあることも聞き知っている。これらの問題を含めて「公正な選考」に必要な条件とは何か。改めて考える時かもしれない。

思考力を奪う酷暑の摂氏32度の世界に耐えかねて、16度の世界へしばらく移っていた。台風一過、爽秋の空が戻った時、将来この国を担う人々のために何がなされるべきか。冷静な議論が始まることを期待したい。



References

“Think sexism in medicine is unique to Japan? Think again” by Van Badham, The Guardian, 13 August 2018
「医学部入試の合格率:女子、7割強で男子を下回る:2次試験、影響大きく」『日本経済新聞』2018年3月27日「男子合格率女子1.2倍:医学部に文科省が81大学で過去6年調査」『朝日新聞」2018年9月5日
桑原靖夫「企業の人事政策はどう変わったか」『雇用均等時代の経営と労働』(花見忠・篠塚英子編) 東洋経済新報社、1987年



 

*2018年9月4日、端末入力の不具合による重複部分など、一部に削除修正をいたしました。

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医師は「男性の職業」ではない

2018年08月14日 | 特別トピックス

 

Mary Roth Walsh, Doctors Wanted: No Women Need Apply: Sexual Barriers in the Medical Profession, 1835-1975, New Heaven: Yale University Press, 1978, cover
M,R, ウオルシュ『医師募集:女性応募の要なし:1835-1975:医師の世界の性別障壁 』表紙


医学部・医科大学への進学は、最近ブームのような状況を呈している。先が見えないこの時代、医師は高度な専門的技能を持ち、高い報酬も期待できる安定的な職業として、若い人々の目には魅力的に映るのだろうか。もちろん、その動機は様々な病に悩む人々に救いの手を差し伸べたいとの人道的な理想に支えられていると思いたい。しかし、現実はそうした高い理想に応えるものだろうか。

このたびの東京医科大学の入試における、(1)許認可権限を持つ官公庁の一部官僚子弟(受験生)への特別な配慮要請と、それに対する大学側の不当な加点、(2)さらに、一般の女子受験者に対する合理的、説得的な理由のない差別的減点という事実が暴露されたことを知って、しばらく言葉を失っていた。多くの海外メディアも、このニュースを’衝撃的’と伝えた。

*例えば、’Toxic test-doctoring’ The Economist, August 11th 2018


およそあってはならないこと、とりわけ上級官僚といわれる人々が関与しているという事実には、深い失望と怒りを抱いた。大多数の公務員は、今では「公僕」public servantとは言わないまでも国民のために日夜、真摯に努力されていると思っている。だが。一部官僚が保身、地位確保などの私利私欲のため、あるいは自らが所属する組織の歪んだ政策を維持するために、研究者などにも不当な圧力を加えるなどの事例は、これまでの人生で、ブログ筆者も見聞・体験してきた。論点が多いので、今回はこのたびの医学部入試に関わる男女性差別問題に焦点を絞ろう。


改革の難しい医学界と是正への長い道程
実は今回の医学部入学に関わる性差別の問題は、アメリカやヨーロッパのいくつかの国で、はるか以前から問題になってきた。医師という職業は長年にわたり「男性の職業」と考えられてきた。社会的レスペクトも高く、報酬もよい職業の代表とされたのだろう。ハーヴァードのような名門校医学部でも、最初は男子の応募しか認めていなかった。女子の応募を認める大学でも関係者だけに秘匿される「10%ルール」など暗黙の差別的方針を少数の意志決定者が密かに維持してきた。こうした状況はアメリカでも20世紀後半まで長期にわたり存続した。例えば、20世紀初め、全米の医師約7000人の中で女性医師の比率は5%程度にすぎなかった。女子の高まる医師就業への願いに応えるために、20世紀末までには19の女子医師専門大学、9病院が設置されたが、医師の世界は依然男子中心で、彼らの職業的優位を維持するという高い壁は壊せなかった。

*ちなみに、アメリカで初めて女子 エリザベス・ブラックウエルが医学部に入学を認められたのは、1847年ニューヨークのGeneva Medical College であったとされる。


長い歴史を持つ医学生合否の実態解明

かねて労働や教育の場における「差別」や「平等」という問題に関心を抱いてきたブログ筆者は、40年ほど前に、この問題を分析したM.R. ウオルシュの名著#(上掲)を書評の形で紹介したが、医師の友人を含め、日本での関係者の関心は低かった。山積する研究の中で、ウオルシュの研究はバランスのとれた優れた研究であり、統計も当時としてはよく整理されていると高い評価が与えられていた。彼女は長い年月にわたり、医師が「高いステータスの職業」”high status occupation” として維持されてきた仕組みを明らかにしている。当時、医師は暗黙裡に男子が占有する職業と考えられていた。

*同じ問題を対象とした分析が多数、この時期に、刊行されていることは、この問題がアメリカにおいて大きな問題として認識されつつあったことを示している。例えば、
Elizabeth C. Patterson, Doctors Wanted: No Women Need Apply and the Hidden Malpractice, Scientist, vol.66, No.4, July-August 1978.


その後社会的圧力の高まりもあって、事態改善のため、名門校の多いボストン地域での1850年から1900年における医学分野での女性の進出に貢献したのは「(女権拡張運動という意味での)フェミニズムが、決定的な変数」であったことをウオルシュは認めている。こうした運動も影響して、その後広く支持されるようになった (1) 女性を医学分野から排除していた様々な教育上の障害と医師の認可に関わる法律など制度面の制約が撤廃されたこと、(2) 女性自身が医学分野でのキャリア追求を自発的に控えることが少なくなった、という点を評価している。それでも、20世紀には「(大学などの)医学関連機関は女性の医師の比率を意図して最小限に抑えることに影響力を傾注し、成功を収めた・・・。結果として、数少ない女性の医師は医学関連分野でいかなる影響力も発揮できなかった」と結論づけている。

 

男子を上回るまでになった女子医学部入学者:アメリカ
女性の置かれた不利な立場を改善しようと、1979年には女性権利行動連盟 Women’s Equity Action League が医科大学、大学医学部への集団訴訟を起こし、結果として、女性の医学界進出への大きな貢献をしている。女性の医学部・医科大学への入学率(matriculations) は、男女比で1950年には5.5%にすぎなかったが、その後急速に上昇し、昨年2017年には男子を上回り50.7% (21, 338人) になったと推定されている。医師を志願する女子の数は顕著に延びている。他方、今日では医師のみならず、医療関連技師、看護師、介護士などを含めると、医療分野は圧倒的に’女性の職業分野’になったとまでいわれている(Source:AAPA Annual Survey Report)。

こうしたアメリカの状況と比較すると、今回図らずも多くの人の注目を集めるに至った東京医大の入試で、女子、3浪以上の受験者に対する一律減点を行ったとされる事実は、その通りとすれば明らかに不当な行為であり、合理的、説得的な理由がない「明白な差別」overt disctimination といえる。

これまでの日本の国公立・私立の医学部の入試における合格者の男女比率を見る限り、一部の大学で、女子応募者への差別が存在した疑いは払拭し難い。しかし、今回の事案に止まらず、入学審査の過程における差別の有無の検証は、きわめて難しく、アンケート調査のような形では確認しがたい。最終的な合否を定めた原資料と最終意思決定者の判断内容の聴取が最低限必要になる。こうした差別的行為はしばしば明示されることなく、最終意思決定者の頭脳の中に留まり、入試要項などにも記されないことが多いからである。これは海外での多数の事例、訴訟判例などですでに明らかにされている。

医学部入学者の性別比を考えるに際しての留意点
ここで、日本の医学部・医科大への入学応募者採否の合理性を判定する上で留意すべき点をランダムに挙げてみたい:

1) 日本における女子の医学部・医科大学志願者も西欧諸国と比較すると大変遅れてはいるが、傾向的に増加してきた。

ちなみに、近代日本で最初の女性医師としての国家資格(医業資格) を得たのは、荻野吟子(1851ー1913)と言われる。1885年(明治18年)3月 - 後期試験を受験し合格。同年5月、 湯島に診療所「産婦人科荻野医院」を開業。34歳にして、近代日本初の公許女医となる。女医を志して 15年が経過していた。

こうした先駆者の努力の延長として、今日医師を志望する女子の数は次第に増加してきた。国公私立の大学間でかなり差異はあるが、概して合格者数全体のおよそ20-35%程度の女子比率となっている。

*吉岡彌生(1871-1959) 女史の創設になる現東京女子医科大学(女子のみ) 、東京大学(類別)など、特別の目的や構成を持つ大学もあり、同一の扱いはできない。

年ごとの男女性別比率の変動は別として、女子応募者の中長期的傾向から数値が統計的に有意でなく離反している場合は、その原因について特別の説明が必要となる。

2) 一部には、有名大学の医学部進学コースに合格することだけが目的になり、将来医師としての適性が疑われる学生が増加する事態も指摘されている。また、開業医の子弟が親の地盤継承・維持のため、自分の職業観が十分定まらないままに医学部を受験する例も多いといわれる。こうした状況を反映して、近年通常の筆記試験に加えて、論文試験や面接を導入するようになった大学も増加したようだ。一般に面接結果は合否に影響しないとするところが多いが、審査プロセスが公表されないので、本当のところは分からない。

医学部・医科大学における合否決定の中心となるいわゆるペーパーテストといわれる筆記試験では、平均的に女子が男子を上回ることが多いとされる。これも大学によって異なり一般化は現時点では難しい。この点の検証も必要だが、近年、若年層における女性医師は増加しており、医学部入学者に占める女子比率は約3割と推定されている。どうしても医師の道を選びたい女子は、女子比率が相対的に高く、選考に関わる情報を秘匿せずに公開している大学を選択することもよいかもしれない。

3) 今回の事例では、女子は入学後、結婚、出産などで退学、中途休学などで、医師不足の原因になるとの説明がなされている。しかし、産休、保育施設など教育、実務の過程での対応も進んでおり、これも直ちに男女の入学者数に差をつける合理的な理由とはみなし難い。女子入学者を増加するという対応の方が合理的という反論もありえよう。前掲のThe Economist 誌は、問題の根源は妊娠、出産、育児などの状態にある女性の労働環境そして対応が劣悪だから脱落者が多いと厳しく指摘する。

4) 一部専門分野への偏在
日本でもアメリカでも、皮膚科や眼科、耳鼻咽喉科、小児科、産婦人科、麻酔科といった診療科では女性医師の占める割合は高いが、外科や脳神経外科などの診療科では、非常に低いことが知られている。これらは分かりやすい例に過ぎない。実際には医学の専門化は、医師自身の想像を絶するほど専門化・分化している。こうした専門分野ごとの男女別偏在を理由に女子入学者の数を制限することは説得的でも合理的でもない。アメリカでも過度な専門化を是正し、より広範な領域をカヴァーする再編が必要との見解も出されている。入学前後の教育や医療技術の進歩などの力で、少しでも偏在を改善する努力が必要という。

図らずも、ブログの次元を逸脱するような問題に気づかされることになった。今回の不幸な出来事が、将来に向けての大きな改善の契機となることを祈りたい。現代の医療は多くの男女の専門家、エクスパートの協力なしに成り立たないことは誰も否定できないのだから。



References
*書評(桑原靖夫):M.R.ウォルシュ著『医師募集ー医療における性別障壁:1835-1975年』『日本労働協会雑誌」20(12)、1978年12月、pp.62-66
桑原靖夫「差別の経済分析」『日本労働協会雑誌』nos.235-236, 1978年10-11月
桑原靖夫「性差別経済理論の展望」『季刊現代経済』(日本経済新聞社)1980年

 

 

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逆行する世界:アメリカ関税引き上げ

2018年04月03日 | 特別トピックス

 

 

トランプ大統領が鉄鋼とアルミニウムの輸入について、高率関税を課すという動きに出た時、まず頭に浮かんだのは保護主義、時代錯誤という思いだった。かつてしばらくこれらの産業に自ら携わり、その盛衰を体験・観察してきた筆者にとって、こうした措置でアメリカの関連産業が活気を取り戻し、雇用が増加するとは到底思えない。世界経済全体が停滞する貿易戦争につながるばかりだ。

これらの産業は「ラスト・ベルト」*1 (Rust Belt: 錆びついた地帯)の中心的産業であった。この地域の鉄鋼、アルミニウム産業の実態については、やや執筆時点が古くなるが、本文下掲の調査、概観を参照してほしい。

*1 ラストベルト(英語: Rust Belt)とは、脱工業化が進んでいる地帯を表現する呼称である。この領域の南はアパラチア山脈の炭田地帯であり、北は五大湖で、カナダのオンタリオ州の工業地帯を含んでいる。

ラストベルトは、アメリカ経済の重工業と製造業の重要な部分を形成してきた。鉄鋼、アルミニウム、自動車などの製造業の多くがこの地域に立地し、発展してきた。しかし、このブログでも記しているように、これらの産業の多くは国際競争力を失い、老朽化が進み、衰亡の過程にある。映画「デトロイト」や「ヒルビリーエレジー」にも如実に描かれているように、地域の衰退の色は覆いがたい。確かtにかつては、US Steel, Alcoaなど鉄鋼、アルミニウム産業の本拠地であった。しかし、今やこれらの産業の中心は、中国や中東諸国など、エネルギーや労働コストで相対的にコストが安く、競争力のある地域へ重点移行している*2。例えば、アメリカがアルミニウム製品についての関税を10%引き上げたところで、エネルギーコストをはじめとする根本的な合理化がなされない限り、産業の再生は考えられない。

しかし、トランプ大統領を支持した白人労働者層はこの地域の衰退産業に長く雇用されてきた、時代を切り開く新産業に雇用されるための技能転換がきわめて難しいタイプの労働者である。彼らの支持を取りつけないかぎり、トランプ氏の政権存続は難しい。その点を背景に、この政策が構想されていることは明らかだ。トランプ大統領はすでに選挙運動の過程でこの関税引き上げ策を示唆してきたから、その意味では公約を実行に移したとはいえる。しかし、輸入関税の引き上げで一時的な「温室化」を図ったとしても、旧タイプの鉄鋼、アルミニウムなどの製造業をこの地で再生させ、雇用を増大することはほとんど困難だ。そのことは、実際に「錆びてしまった」工業(製造業)を訪れてみれば、直ちに明らかになる。

アメリカの産業政策が目指すべき方向は、この地域に芽生えつつあるアメリカの今後を支える可能性の高い新産業、液体水素燃料電池、ナノテクノロジー、バイオテクノロジー、情報技術および認識技術などへの転換を促進することにあるはずだ。この地域はエンジニアリング職の重要な供給源である。不幸にも衰退産業で働き、新産業への転換が難しい白人・非白人労働者には、彼らでも対応できるような中間的技能に基づく産業の支援、地域外の産業への自発的移動などを企画すべきだろう。

それではなぜトランプ大統領は、鉄鋼・アルミニウム製品への輸入関税引き上げという保護主義への逆行ともいえる後ろ向きの手段をとったのか。それは大統領選で支持基盤を維持するために、この地域の労働者に一見わかりやすい単純な方策を提示することで、中間選挙に向けて支持層をつなぎとめることでしかない。トランプ大統領の任期中にこの産業が再生し、雇用が復活する可能性はない。

 

*2 世界のアルミニウム(新地金)生産量についてみると、2017年の中国は31,870千トン、ロシア3,454千トン、カナダ3,209千トン、アラブ首長国連邦2,471千トン、インド1,909千トン,さらにオーストラリア、ノルウエー、バーレーン、アメリカ818千トン、ブラジルが続く。かつて世界のアルミニウム生産の最先端を走っていたアメリカだが、今は衰退の一方だ。ちなみに、日本はエネルギー・コストの上昇で、競争力を失い製錬業は完全に消滅している。
他方、アルミニウム消費量は、2017年時点で中国が31,645千トン近くで、第2位のアメリカの5,121千トンを大きく引き離している。さらに第3位のドイツ2,189千トン、第4位の日本1,742千トンと比較しても中国のシェアは突出して大きい。アメリカは原料のアルミニウム新地金のほとんどを輸入に依存する国になっている。これに対して高率関税をかければ、国内の製品価格は上昇せざるを得ず、消費者が負担を強いられることになる(World Metal Statistics)。

 

References
アメリカ鉄鋼業における再生の試みは、やや調査時点が古いが、下記の(奥田健二、故上智大学名誉教授)調査報告が詳しい。筆者も同教授夫妻と共に一部の実地調査に参加している(4-5章)。
http://db.jil.go.jp/db/seika/zenbun/E2000012614_ZEN.htm 

桑原靖夫「アルミニウム産業」『戦後日本産業史』所収(東洋経済新報社, 1995年

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映画『デトロイト』が語るもの

2018年02月04日 | 特別トピックス



アメリカの200年にわたる人権をめぐる騒乱と勝利の歴史
200年記念号、LIFE Fall Special 1991


映画『デトロイト』

街灯も少なく薄暗く、見るからに荒れ果てた街中。凄まじい暴動が展開し、市街戦のような緊迫した状況が冒頭から映し出される。観客は状況を把握する間もなく、その中へ投入されて行く。犯罪、ヴァイオレンス、そして殺戮につながる緊迫した状況である。あたかも自分が現場に居合わせた当事者のような感じさえ抱かせる。

1967年夏、デトロイトで起きた暴動。市街は瞬く間に危険に溢れた戦場のような状況へと変わって行く。ほとんど半世紀前に遡るが、ブログ筆者は、この年アメリカにいた。TVなどのメディアが伝える凄まじい光景を見ていた。最近話題の映画『デトロイト』を見ながら、記憶は瞬く間に蘇り、半世紀前のアメリカに連れ戻された。

暴動発生から2日目の夜、デトロイトの下町、アルジェ・モーテルの別館で一発の銃声が響いた。実際は銃弾の出ない発砲音だけのモデル・ガンだった。飲酒も手伝い、常軌を逸した黒人(African American)宿泊者の悪ふざけから事態は急展開する。銃弾が自分たちに向けられたと思った警察などは、狙撃者探しのために、手段を選ばない捜索、鎮圧活動に出た。デトロイト警察、ミシガン州警察、陸軍州兵、地元の警備隊などが次々に乗り込み、警官が狭い視野と偏見、目先の問題処理に人間性を喪失し、モーテルの宿泊客たちに不当な強制尋問を始めた。人間性を無視して暴力的に脅迫、自白を強要する。普通の人間なら目をそらす残酷な暴行が進む。これは映画なのだからと納得するしかないのだが、現実もこれに近かったのだろう。

複雑極まる人種差別の実態
基調にあるのは人種問題なのだが、単純な黒人対白人の構図ではない。黒人の警官もおり、黒人への差別的対応を嫌悪する白人もいる。人間ひとりひとりが何を考え、何をするかという複雑な心の内が見事に描かれる。極限状況に追い込まれた人間はどんなことになるか。事態は容疑者探しのための殺人行為にまでエスカレートする。そして犯罪隠蔽のための口裏づくり・・・。登場する人物それぞれの苦悩、怒り、悲嘆、悪意、煩悶・・・などが包み隠さず映し出される。

そして、お定まりのような法廷裁判の場面、多くの黒人傍聴者の怒りの表明にもかかわらず、被告の白人警官3人には無罪の判決。法廷の弁論過程をもう少し克明に写してくれたらと筆者は思ったが、アメリカではこれで十分なのだ。映画全体が、女性のビグロー監督の作品とは、思えない衝撃に満ちている。2時間近い映画に、これだけの内容を組み込んだ監督の力量には真に脱帽する。

’熱い夏’:ニューアーク
実は1967年という年は、都市暴動はデトロイトに止まらなかった。ほとんど同時期の7月ニュージャージー州ニューアーク, プレーンフィールドなどでも勃発していた。ブログ筆者は、暴動発生後10日くらいした時に友人と現場へ行き、一瞬にして言葉を失った。暴動の起きた街の一帯があたかも被災地のように瓦礫の光景に変っていた。暴動鎮圧のために戦車も出動した。砲撃、火災などであたり一帯は破壊し尽くされていた。そこは黒人の増加を嫌った白人たちが、別の地域へと移住した後に入ってきた低所得層の黒人たちの居住地域だった。この時、ニューアークは全米で最初の黒人居住者が最大比率を占める都市になっていた。しかし、市政を支配していたのは旧来の白人政治家たちだった。

警官に黒人を採用するという点でも抜きんでた都市でもあった。しかし、上層部は白人が掌握し、黒人の患部への昇進の道はほとんど閉されていた。当時はさしたる雇用の機会もなく、地域は極貧の世界であった。

こうした中で、デトロイトと同様、事件は2人の白人警官がジョン・スミスという黒人のタクシー運転手を不当に逮捕し、殴打するということから始まった。その後、黒人たちを中心として生まれた暴動は、一挙に拡大し、デトロイト同様に全米の注目を集めることになる。

市街地商店街での無差別な略奪、火炎瓶や道路の敷石、そして威嚇の銃弾が暴徒と化した黒人たちと警官の間を飛び交った。そして、ついに警察側の「必要とあらば発砲やむなし」との判断で、実弾が使われ事態は多数の殺傷者を生む最悪の事態へ突入した。

デトロイトと同様に、この暴動事件はその後1997年に小説化され、映画にもなった。1967年夏は「熱い夏」hot summer として記憶されている。

ニューアーク暴動、1967
mage ownership: public domain


現代アメリカを理解するためにも
このデトロイトやニューアーク暴動で起きた事態は、今なお形を変えて続いており、昨年だけでもかなりの黒人が白人警官に射殺されている。まさに映画『デトロイト』は過去の問題ではなく、現代アメリカの一つの縮図と言える。特にオバマ政権で、大統領を悩ました多くの銃砲による不条理な殺傷事件は、人種間衝突、地域問題、とりわけ警察と地域住民の関係が解消することなく、形を変えて今日まで執拗に続いていることを示した。そして、生まれたトランプ政権は人種問題を極めて倒錯した形で再燃させ、アメリカ社会を分裂の危機へと追い詰めている。

映画のテーマの一部を構成する人種差別問題。「差別」という現象はブログ筆者の研究課題のひとつとなってきたが、「差別」という現象が、単なる好き嫌いとか、考えの違いといった単純な要因から生まれるものではないことを改めて思い知らされる。1964 年公民権法の成立以来、進むべき方向が見えてきたようなアメリカであったが、トランプ政権となって、再び深い混迷の闇へと向かいつつあるかに思われる。人種、地域、教育など様々な点で、断裂と格差の拡大は進行しており、1967年のような暴動などが勃発する可能性も否定できない。アメリカ社会に深まる分裂をこれ以上進行させないために何がなされるべきか。現代のアメリカを理解する上で、多くの問題点を提示してくれる迫真の映画だ。
 


 LIFE誌は2007年廃刊になったが、ブログ筆者はいくつかの記念号を断捨離するに忍びなく、保持してきた。今回も記憶を新たにする上で大変助かった。

追記(2018/2/6) : 朝日新聞朝刊文化・文芸欄には「人種差別の闇 正面から描く。映画は社会問題 問う道具」と題して、キャサリン・ビグロー監督とのインタビューが掲載されている。

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