大倉草紙

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【京都】 北野天満宮・北野東向観音寺

2008年06月17日 17時05分48秒 | 旅 - 京都府
6月7日(土)
当日の行程:(JR二条駅) → (自転車) → 【二条城】【晴明神社】【北野天満宮】 → 【北野東向観音寺】 【平野神社】【北山鹿苑寺(金閣寺)】【龍安寺】【仁和寺】【妙心寺】 → 【退蔵院】【広隆寺】



【北野天満宮】


   
                   鳥居

          
                 影向松

大通りに面して、一の鳥居が建っている。
一の鳥居をくぐると右手に「影向松(ようごうのまつ)」がある。
初冬から節分までの間に初雪が降ると、天神さまが降臨し、歌を詠むという伝説があり、その期間に初雪が降った際には、硯・筆・墨をお供えして初雪祭を行うそうだ。


境内には牛がたくさん。
神牛像というようだ。

   
   
   
   
   
   
                              
北野天満宮の神使は牛。
その由緒を社務所でお尋ねしたところ、菅原道真公の出生年は丑年だからとのこと。


          
                 三光門

     
         日                    星

   
                   月

三光門(重要文化財)は、豊臣秀頼の寄進によるものとされる。
三光門の彫刻の中には、「日」、「星」、「月」があるというので探してみた。
二つの丸い形の彫刻はすぐに見つかったが、もう一つがなかなか見つからない。
このことも社務所で訊いてみた。
見つけた丸型の彫刻は「日」と「月」だと思っていたのだが、黄色く丸い彫刻は「星」で、「月」は拝殿側の兎の彫刻の間にあると親切に教えていただく。
発見!「月」は、二羽の兎の間にある三日月。


   
                   拝殿

  
       文子天満宮           北野天満宮の御朱印
     
拝殿(国宝)に向かい、修学旅行生が次々とお祈りしていた。
拝殿の裏手に、「文子天満宮」がある。
巫女・多治比文子(たじひあやこ)を祀っている神社で、多治比文子が、菅公の神霊から、自分を右近馬場(現在の北野天満宮の境内)に祀るように託宣を受け、北野天満宮が創建されたという。



【北野東向観音寺】


   
                   山門

          
                   本堂

北野天満宮の一の鳥居を入って左手に、北野東向観音寺がある。
本堂が東を向いていることから、東向観音と呼ばれるようになったようだ。


  
      土蜘蛛塚                 伴氏廟

          
            伴氏社(北野天満宮内)

土蜘蛛は、源頼光によって退治されたが、その蜘蛛が巣としていた塚が一条通七本松辺りにあったらしい。
明治時代、この塚が取り壊された時に、灯籠の火袋が見つかった。
これを持ち帰った家には次々と不幸が訪れたといわれる。
大正13年の土地整理で、「土蜘蛛塚」は北野東向観音寺の境内に移され、以後、祟りはないという。
伝説や歌舞伎の「土蜘」のイメージがあるので、この祠がどうも地味に思えてならない。

「伴氏廟」は、菅原道真の御母堂を祀っていると伝えられる。
ここにある五輪石塔は、かつては、北野天満宮の末社である「伴氏社」にあったそうだ。
北野天満宮の三の鳥居に向かって左手にある。
「伴氏社」の鳥居は、京都三珍鳥居の一つに数えられる珍しいもののようだ。


  
      白衣観音堂          北野東向観音寺の御朱印

北野東向観音寺にある白衣観音堂には、子供を抱いた観音像がある。
観音堂の傍らには、子授や安産を願う絵馬がたくさんかかっていた。

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