函館 あうん堂ホール↑
TOP画像はここからお借りしています。
函館に住んでいたころ
私はロックバンドのギタリストでした。
Voは私よりも年上で、残りのメンバーが同い年。
各メンバーの音楽性はバラバラで
私とVoとをつなぐ音楽はRCサクセションだったのでした。
(しかし当時の私はBlues付けの毎日だった気がします)
当時から音楽に懸けるメンバーの情熱はかなりなもので
毎月、あうん堂ホールというライブハウスでワンマンを行ったり
札幌から名前の売れたバンドが函館に来たときには
かならず対バンをやったり
日常生活をなげうってでも道内ツアーに出かけるような、そんなバンドで
世間のバンドブームと重なったおかげで
自分自身を勘違いしてしまうほど人気もあり
ステージに上がると
たくさんの貢物がマイクスタンドにぶら下がっていた記憶があります。
20年以上前はそんなバンド生活だったのでした。
そんな中で忘れられない出会い、というか
どうしてそうなったのかは今では忘れてしまっているのですが
ある男の子がバンドのボーヤとして無償で働くことになったのでした。
当時の彼は高校生。
それ以来、控え室からステージまでの間、ギターを持つことはなく
ステージ横でギターを渡され
弦が切れたらサブギターを使っているうちに
その男の子が弦を張っておいてくれて
ツアーでは運転はできないので助手席で寝ずに運転手の相手をする・・・
今考えると私たちのバンドの状況は
アマチュアのくせに生意気ですよね。
でもそんなんだったのです。
そのバンドを脱退してから20年弱。
自分のやりたい音楽(そのころはBluesでした)を奏でるために脱退したのですが
そのせいかバンドは空中分解。
いろいろとトラブルがありましたが
それぞれがそれぞれの道を歩むようになり
私は札幌に出てくるのでした。
当然、ボーヤをやっていた彼とも疎遠になり
15年くらい前でしょうか
そのころ独身で散らかり放題だった私の部屋に
ラッキーエッグバーガーを片手にひょいと遊びに来たことがあったきり
会うこともなく、それぞれの人生を過ごしていたのでした。
(ラッキーエッグバーガーはここで売っています。ラッキーピエロ)
画像はここからお借りしました。
それが今年の頭に
悪い知らせをお世話になった函館の方々に伝えなければならなかったため
ホーボーに電話をしたのですが
そのときに久しぶりに「彼」と電話で話をしたのでした。
長くなりましたが
その彼から昨日
「出張で札幌にいるから会いたい」
「今日中に函館に帰らなければならないけど」
と電話があったのです。
当然、仕事を途中で放り投げて
会いに出かけましたよ。
我が家のそばのあのカレー屋さんで夕飯を食するという名目で。
待ち合わせ場所には函館時代の別の音楽関係者も一緒にやってきて
ダブルで懐かし!
年をとったのは私だけではなく
彼もまた人生の荒波を乗り越えつつ年を重ねていました。
相変わらず、あのころのままのきめ細かな感性を持って。
相変わらず、あのころのままの人とのつながりを大切にしながら。
そして
体が千切れてしまうんじゃないかと思われるほど忙しい仕事の合間を縫って
しっかりと音楽を身近においていました(もちろんプレーヤーとしてです)。
彼の生活のこと。仕事のこと。函館の今の音楽の状況のこと。
ライブができる場所のこと。お世話になったあうん堂のこと・・・
話は尽きないのですが
いかんせんこの日のうちに函館まで帰らなければならないということで
後ろ髪を引かれるのは彼のほうですが
お互いそんな気持ちで次の再会を約束してバイバイしたのでした。
自分が音楽をやめていなくてよかったと思ったよ。
どうせやめられないけどね。
お前には「相変わらずあのころのまま」に見えたとしたら嬉しいよ。
でも成長しているから「まったく同じに見えた」のなら悲しいよ(笑)
今度は俺の歌っている姿を見に来てほしいな。
歌い手としての俺を見たことがないだろうからね。
それから、俺も函館に遊びに行くからさ
そのときはどこかの店で歌えるようにブッキングよろしくね。
仕事、忙しそうだけど、体には十分気をつけて過ごしたまへ。
今度は俺から連絡を入れるから。
じゃぁな。