日々精進生活

日々、自己反省をしながら、思うことを綴る日記。

次女に関してのインスピレーション

2006-04-18 14:01:18 | 普段の生活より
小学3年生の次女は、小さい頃から手のかからない育てやすい子どもだった。
2歳頃になると第一反抗期になると言われているけれど、次女は反抗期と思えるような行為がなかった。
その分、目に入れても痛くない存在で可愛いばかりだった。
それが、幼稚園を卒園する間際くらいから自我が芽生え始めたらしく、段々、反抗と思える態度を取るようになってきた。
それでも、まだまだその反抗すら可愛く思えていた時期だった。
しかし、娘は成長している・・・。
小1になり小2になり、自我や自尊心はどんどん膨らんでくる。
自分の思い通りにならなければ、かんしゃくを起こしたりすることもあるし、私に対して蹴ったり叩いたりすることもある。
俗に言う、「逆ギレ」状態。
でも、こういう事態にならない限り、大雑把で何に対しても気が付かない長女と比べると(比べちゃいけないけど)人に対して繊細な心を持っているし、よく気が付き、いろいろとしてくれたり、優しい言葉をかけてくれたりする可愛らしい部分もたくさんある次女。
そんな次女だからこそ、この「逆ギレ」状態にならないよう、どうすればいいのか、私の課題でもあるのだけれど。
そして、私が「私の課題」と思うことに落とし穴があったことに気付いた。
本来、繊細で優しい娘。でも、びっくりするくらい頑固さも持っている。

この頑固さをどう導いてやればいいのだろうか・・・。

そう思っていたら、突然、

「導いてやる必要はない。愛してやることが大事」

と心に言葉が浮かんできた。
私が導いてやろうと考えること自体、傲慢で驕っている気持ちを表しているものだと気付いた。
娘を導くのは、娘の守護霊の役目。私の役目ではない。
わかっていたはずなのに、また初心を忘れていた。

あぁ・・・。同じことの繰り返しだなぁ。

長女に対しても同じなんだろうなぁ。私が導こうと思う気持ちがあるから、私の心が苦しくなるんだろうなぁ。
はぁ・・・。反省。


心の声

2006-04-17 12:35:44 | 普段の生活より
「人間は、自分がどうすれば良いのか、ちゃんとわかっているけれど、言い訳をしてやらないだけ」
というような内容をシルバーバーチの霊訓で読んだことがあります。
(どこに書いてあったか覚えていないので、抜粋ができません・・・汗)

私は、最近、心の声(良心とでも言うのでしょうか?!)聞いていたのにも関わらず自分に言い訳をして無視してしまったがために後悔する結果になったことが何度か続きました。

今、覚えているのは2つ。

そのうちの1つは・・・

ママ友のKさんとメールでやり取りをしていた時のこと。
その日は小学校の参観日だった。私はメールに『今日は参観日だね』と打とうかと思ったけれど、「知っているだろう」と思って打つのを止めたのでした。
その後、学校に行ってみるとKさんが来ていない。
「参観日、来ていなかたけど忙しかったの?」とメールをすると、その日が参観日だったことを知らなかったと・・・。
どうやら子どもさんがプリントを渡していなかったらしい・・・。

あちゃ・・・。

何であの時、メールで打たなかったのか・・・。
私一人、ちゃっかりしっかり参観日に行ってさ・・・><

それから2つめ。

次女の担任が退任される時に、退任式に有志で花束を渡そうということになっていた。
そのまとめ役をしてくれた人が、退任式に来た人の人数で割ってお金を集金しようかな。と言っていたので、Tさんが退任式に行くとだけ伝えたけれど、花束の有志に加えて欲しいということを伝えていなかった。
『まとめ役をしてくれた人はTさんと面識がなかったらしく、顔がよくわからないと言っていたから、やっぱり、ちゃんとTさんも有志の仲間に入れて欲しいと伝えるべきかな』と思ったけれど、「Tさんも退任式に参加するから、当日、ちゃんとお金を割って計算してくれるだろう」と思ってズルズルと連絡をせず、そのままにしておいたのだった・・・。

当日・・・。

やはり、Tさんは有志の人数に入っていなかった・・・。

まとめ役をしてくれた人は、とっさに合計人数で金額を割るということに結びつかなかったらしくTさんが入っていない人数分のお金を集めた。
Tさんは当然、自分も入っているものとしてお金を出した・・・。

あぁ・・・。

自分の心の声に対して言い訳をし無視したことで、周囲の人に対し申し訳ない結果を招いてしまった。
本当に申し訳ない・・・><

これからは、心の声が聞こえたら、言い訳することなく即、実行しようと心に誓ったのでした。





今日の霊訓

2006-04-16 23:36:16 | 霊訓
今日も日曜日恒例?シルバーバーチの霊訓から抜粋をします~^^

シルバーバーチの霊訓1巻より

 ----------  抜 粋  ----------
 

自分が本質において永遠なる存在であり何事も修行であることを忘れぬかぎり、何が起きようと意気消沈することはありません。


 ---------- 抜粋 終わり ----------


永遠なる存在とは、人間は死んでも肉体がなくなるだけで魂は消滅することはなく、生き続ける存在であるという意味。
この世の人生を終えてもあの世がある。そして、またあの世からこの世へ生まれてくる。
その繰返しをしながら、未熟な部分を修行し乗り越えていく。

霊訓にも度々登場する言葉だけど、完璧な存在であるならば、この世に生まれてくる理由がない。
未熟だからこそ、この世に生まれてきている。
未熟な自分を悲しみ否定する必要なないはず。未熟なのだから。
そして、江原さんの著書にも書いてあったが、この世に生まれてきている人間はみな「どんぐりの背比べ」。
みんな未熟な存在であるのだから、誰が誰より勝っていて、誰より劣っているなんてない。
たいした差はないはず。
みんな未熟で「どんぐりの背比べ」なのだから。
だから、傲慢になることなく、いつも謙虚な気持ちを忘れないよう、そして、未熟な自分を認めつつ否定もせず、目の前にある山を登っていくことを頑張れば良いのだと思う。



遺骨(遺灰)について

2006-04-14 12:33:15 | 普段の生活より
先週、叔父の葬儀に関わって長女に遺言を残した。
(娘から、遺言とは紙面に残すものであって、口で言っただけでは遺言にならないよ!と指摘をされたのだけど・・・汗)

「お母さんが死んだら、遺骨は喉仏だけ取ってくれたら良いから」

実際は喉仏も必要ないと思うのだけれど、日本の風習から言って全く遺骨を取らないわけにはいかないと思うから・・・。

で・・・。

なぜ、こういう考えに至ったかというと。

まず、私の実家のお墓状況を今までみてきて感じたこと。
実家のお墓は少しだけ古い。天保○年だとか書いてある。
今のお墓と違って遺骨を納める場所が小さい。
祖母の骨壷が大きくて入らない。と言うか、骨壷を出し入れする扉が小さくて入らない!!
苦肉の策で、祖母の遺骨は、骨壷から少しだけ出して直接、お墓の中へ入れた(喉仏も一緒に)。
その後、残った遺骨をどう処理したのかは知らないけれど・・・。

「う~ん・・・。遺骨がたくさんあっても困るかも・・・。」
(叔父の葬儀の際に、骨壷に山盛り状態になっている遺骨を、係りの人がギューギュー押し付けるようにしてフタを閉めていたのを見たし・・・)

それから、叔父の遺骨の所在について。
叔父夫婦には、子どもが居ない。でも、新しくお墓を建てた。

一体、誰がお墓参りに行くの?!

叔父の兄弟、叔父の嫁の姉妹、甥(うちの旦那と旦那の兄)くらいまででしょう?!
我が家の長女も、6歳以来、叔父夫婦と会ったことがなく、次女においては、産まれてこの方、1度も会ったことがない人達だった。
こんな娘達がお墓参りに行くはずがないし、こんな娘達に強制して行かせるものでもないと思う。
と言うことは、私達の代でお墓に参る人は居なくなる。
そんなことがわかっていて何故、新しい墓を!!!

主人の父は、それがわかっていたので本家の墓(主人の父が入ることになっている)に一緒に入れて良いよと常々言っていた。
それにも関わらず・・・。

「あんなに溢れんばかりの遺骨が・・・」

それから私達の行方。
私達も娘二人しか居ないため、私達が新しいお墓を建てたとしても、後に入る人がいなくなり、いずれ、叔父と同じ状態になることが予想される。
このことを主人の父も理解していて、父と同じ本家の墓に入れば良いって言ってくれる。
主人の父は、入りたい人は誰でも入ればいいって言ってくれる。
とても有り難く思う。
なので、お言葉に甘えて、私達は本家の墓に遺骨を入れてもらおうと思っている。
となると・・・。
あの大きな骨壷、一体、いくつ入れることができるの????
既に、私が覚えている限りでも5人の名前が書いてある・・・。

「お邪魔させてもらうんだから、ちょこっと隅の方に置いてもらえたらいいから」

と、こういう経緯から、「喉仏だけでいい」に至ったのであった。

本来、宗教的に考えると「喉仏」は本願寺に持っていくのが筋のようだけれど(浄土真宗)、うちの実家も、主人の実家も、そこまでするほど熱心な檀家ではない。私達夫婦も然りである。
そして私は、スピリチュアリズムと出合って、「遺骨」について何の価値も思いも残らないもの(魂の存在になると物質に執着しなくなるらしい)だと知って、重要視していない。
けれど、お墓参りをすることであの世にいるご先祖さま達を思い出す?!ことは大事な行為だと思うので、お墓自体を軽視するつもりはない。
ただ、「大量な遺骨」は無意味ではないかとこの頃、思うようになった。

焼き場で骨壷に入りきらなかった遺骨は、どんな処理をされているんだろう?
土に埋める?燃えないゴミとして廃棄処分?遺灰って水に溶けるって聞いたよなぁ。水に溶かして捨ててる?
どっちみち、骨壷に入りきらなかった遺骨は、何らかの方法で処理されているんだろうし・・・。
という思いも、最近、芽生えてきた。

なので、私は「喉仏」だけで良いと思う。
(本心は遺骨って必要ないと思うけれど・・・)












1つ、スッキリ

2006-04-13 11:31:03 | 普段の生活より
10日(月)に行われた小学校のクラス役員を決めた時の不満。
悶々と自問自答を繰り返し、ようやく昨日、スッキリした。

クラス役員を決める時に、しきってくれた人が1人。彼女は自ら「私がしきりま~す!」と立ち上がった。
そして、彼女の友人なんだろうか?「じゃぁ、私、手伝いま~す!」と1人、前に出た。
この二人が進行していくことになったのだか・・・。
黒板の前でこの二人、とにかく二人だけの雑談とも思える内輪話が多い。
ごしょごしょと何やら笑いながら話をしている。
そして、この二人と仲が良いと思えるグループが既にあるらしく、そのグループに向かってとにかく話しかける。
そのグループに入っていない私達は蚊帳の外状態。

何だか嫌な感じ・・・。

結局、5人選出する役員のうち4人は早いもの勝ちで決めていき、残った1つを決める時になり、「この役員は幼稚園児以下の子どもがいる人には無理だから、幼稚園時以下の子どもが居ない人に・・・」と言い出した。

何だって???!!!

そして、それができるのは二人だけだと言う。
その二人のうち、一人は私。

はぁ~???!!!

立候補した4人を除き、役員になれる可能性がある人は残り全部で8人いた。
それなのに、何で進行役の2人の意向だけで、私を含む2人に矛先が向かうわけ???

不公平感が残る納得のいかない選出方法だった。
結局、もう一人の人が仕事もしていないから・・・と引き受けてくれだのだけど。

これは、終わったことなのでもういい・・・。

それよりも、このクラスのお母さん達の中に、すでにこんな人達のグループができあがっていることに対して嫌悪感があった。

こんな人達と付き合うのって嫌だなぁ・・・。

すぐさま思った私。

懇談会に出席するのをやめようかなぁ。参観日に来ているのに懇談会に出ないなんて、文句言われるかな。だったら、参観日自体、行くのを止めようかなぁ。

私の思考はすでにネガティブ方向へ・・・。

あ~、いけない。また逃げるところだった!!!

自問自答している間に、嫌なことから逃げようとしている自分に気が付いた。
これじゃ、いけない。
スピリチュアリズムを学んでいる意味がないじゃない!!

逃げちゃダメ!
参観日も懇談会も、出席できる限り、出席する!!
もしかしたら、仲良くなれるかもしれないし、仲良くなれなくても、私は私なりに頑張ればいい。
とにかく目の前の嫌なこと(困難)から逃げたらダメ!!!

危ないところだった。
また課題を持ち越すことになるところだった。
気付けてよかった。
せっかく、気付けたのだから精一杯、頑張ってみるよ。

今朝の顔は、昨日より、ちょっとスッキリした顔だった^^





顔が・・・

2006-04-12 11:31:22 | 普段の生活より
顔が怖い・・・。

今朝、ふと自分の顔を鏡で見た時に思った。

眉を濃く書きすぎ??
それとも、昨日、次女のクラスの役員を決める時に、不公平を感じる決め方をされたことに対する不満の気持ちから??(私は役員に当たらなかったけれど)

しばらく悶々と考えてみた。

確かに、昨日の不満は心に残っていた。
けれど、それだけではないようだ。
今月から大学生になった私は、仕事と家事・育児に追われる毎日なのに、更に勉強をするという負荷を自分にかけた。
毎晩、次女が寝た後、1時間弱、勉強をする。
毎日、日課のようにしていたネットを封印し、ドラマも見ない。
ゆとり・余裕のない生活。いっぱいいっぱいの生活。キツイ・・・。
そんな余裕のない心が顔に現れているのかもしれない。

でも、確かに眉、濃い・・・(笑)
明日から、眉を薄く書こうっと。

そして、最近、ため息(深呼吸に似た)をよくつくことに気付いた。
今日は朝からずっと胸も痛む。
やはり、溜め込んでいるものがあるんだろう・・・。

明日は、長女のクラスの役員を決める日。
明後日は、子ども会の総会。
今週末は、私が住んでいるアパートの総会。
4月は、バタバタと出掛ける機会が多い。
精神的にも肉体的にも疲れる・・・。

でも、もう少し頑張ればゴールデンウィーク!!

ゴールデンウィークで充電したいと思う。
それまでは、無理にでも笑顔を作って頑張ろうかな・・・^^





退任式

2006-04-11 12:17:28 | 普段の生活より
昨日は次女が1年生・2年生と2年間担任として受け持ってもらった先生の退任式に出席してきた。
先生は、今年30歳になる女性。結婚はされているが、まだお子さんはいらっしゃらない。
ご主人の転勤に伴って教師を辞職されることを決断されたとのこと。

とても人間的に素敵な先生だったので、教師を辞められることが残念でならない。

我が家の次女は精神的に弱い。
小学校に入学した当初、環境の変化からか、しょっちゅう腹痛を起こしていた。
その度に先生は我が家へ電話をしてきて下さった。
次女は、他の子が感じないような事にも感じてしまう気性らしく、その分、精神的に辛い思いをすることが多いでしょう。と先生に言われた。
そして、授業中でもよく腹痛を起こしていたらしく、先生は娘の気性をよく理解してくださっていたので、快くトイレに行かせてくれていた様子・・・。

こんなにも生徒のことを理解し、関わってくださる先生だったので、2学期の通知表渡しの時に、3年生になった時に娘のことをあまり理解してもらえない担任になってしまったら・・・と不安を先生に言ってしまった。

先生は、これから将来、社会に出たときに、いろいろな人と関わっていかなければならない。
いろいろなタイプの先生と関わることも、プラスになるでしょう。
と仰った。

娘が男子から心ないことを言われて傷ついたことがあった時にも、言われた本人も辛いだろうけれど、「自分の言動で傷つく人がいる」ということを言った子どもも気付くことが必要。
傷つき傷つけながら、子どもな人間関係を学んでいくものだから。
というような内容の話をしてくださったこともある。

とてもスピチリュアルな精神を持っている先生だなと思った。
こんな人が先生をしていらっしゃることを、とても心強く思っていた。

それなのに、こんなに早く若くして退任だなんて・・・。

私以外にも、先生が退任されることを惜しむお母さんはたくさんいた。
昨日は、そんなお母さんたちと一緒に涙しながら、先生を見送ったのでした。

が・・・。

一番、辛いのは先生本人だろうな・・・と思った。
先生本人が、教師を辞めたくないのに、究極の選択で一大決心をされたのだろうから・・・。
私達が残念な気持ちを思っている以上に、先生は残念で仕方なかっただろう・・・。

でも、あれほどのスピリチュアルな精神をもっていらっしゃる人だから、どんな道を選択されても、きっと大丈夫だろうと思う。
きっと、しっかりと大地に足をつけて人生を歩まれるだろうと思う。

素敵な人との別れは寂しいけれど、先生の今後の人生を応援したいと思う。

感謝感激雨あられ

2006-04-10 10:03:07 | 普段の生活より
先日、金曜日、それは起きた。
本当に雨かあられか嵐が起きるのかと思った・・・。

先日の7日金曜日。
主人は夜勤のため朝から家に居る。しかも前日6日(木)は叔父の葬儀のため仕事を休んでいたので、7日(金)の朝は仕事帰りでもないので睡眠はたっぷり取れている状態で朝から元気(笑)。
私はいつもの通り仕事へ出るために支度をバタバタとしていた。
そんな中、洗濯機の脱水が上手くできなくてエラーが何度も出て、洗濯時間が多くかかり、私が家に居る間に洗濯が終わらなくて、
「せっかく良い天気なのに、洗濯物が干せないよぉ~」とブツブツ言いながら家を出たのでした。
そして仕事が終わって家に帰ってみると、何と、何と、洗濯物が干してあるではないですか!!!!
長女は今まで自ら進んで干してくれたことなんてないので、どうしたものかと思って聞いてみた。
すると長女は干していないと言う。
まさか、次女がそんなことしてくれるわけがない。背だって届かない。
長女と二人で顔を見合わせて、

「ま・まさか、父さんが?????」

結婚してもうすぐ満16年。17年目に入るけれど、今まで旦那が洗濯物を自ら進んで干してくれたことなんて皆無!!今回が初めて!!!
えぇぇぇ~???!!何が起こったの~???もう、びっくり~~~!!!

夜勤に行くために夕方、起きてきた旦那に、「洗濯ものが干してあったね~♪」と言うや否や、機嫌の悪そうな顔で「お前が洗濯物を詰め込みすぎるから脱水が上手くいかないんだ!!気をつけろ!」と・・・。

まったく、照れくさいからってそんな怒ったようなふりをしなくても・・・(笑)

スピリチュアリズムと出合って、旦那に対する心もちを変えることができたからだろうか・・・。
こういうことが起こると、ますます頑張らなくっちゃ♪と思える^^

さぁ~、今日からまた頑張るぞ~♪♪


今日の霊訓

2006-04-09 23:35:26 | 霊訓
今日は日曜日♪
恒例の?シルバーバーチの霊訓からの抜粋です~^^


 ------- シルバーバーチの霊訓1より -------

常に上を向いて歩んでください。下を向いてはいけません。
太陽の光は上からさします。下からは照らしません。

   ------- 抜粋 終わり -------


「上を向~いて、歩こ~ぅぉぅぉ~♪涙がぁ~こぼれぇ~ないよぅぉ~に♪」

下を向いて歩いていたら前が見えない。
電信柱にもぶつかっちゃうし、前からきた自転車にだってぶつかっちゃう。
ちゃんと前を向いて歩かなくっちゃね^^

叔父・・・逝く

2006-04-07 11:13:02 | 普段の生活より
4月5日の明け方、主人の叔父が亡くなりました。
5日にお通夜、昨日、葬儀がありました。

主人の叔父は、約1年半前に「くも膜下出血」で倒れて以来、意識が戻らないままでした。

私は、今まであまり近しい人が亡くなったことがありません。

約3年半前に私の祖母(一緒に住んでいた母方の祖母)が亡くなったのが、一番近しい人だったでしょうか・・・。

それまでに葬儀に参列する機会はたくさんありました。

中学時代に父方の祖母が亡くなり、祖父もなくなり。
結婚して約10年前に主人の祖父(主人が一緒に住んでいた父方の祖父)が亡くなり、それから数年後、主人の母方の祖父が亡くなり、約4年前に主人の母方の祖母が亡くなり。

血縁関係では、こんなものでしょうか。

血縁関係以外でも、同じアパートのおじいさんやおじさん達の葬儀にも出ましたし、
いとこのご主人が2年前に亡くなったり、私の幼馴染も約2年前に亡くなったりと、若い世代の葬儀にも出ました。
それからその他、もろもろ、葬儀に参列してきました。

が・・・。

私は、何故か葬儀で涙が出たことがない・・・。

大好きだった祖母の時でさえ。
(祖母は101歳まで生きて、早くお迎えがきて欲しいと願っていた人なので、お迎えが来てよかったねという気持ちがあった・・・)

親族が泣いて悲しんでいる姿を見て、つられ泣きをする・・・。

つられ泣き・・・。

私は、スピリチュアリズムと出合う前から、何故か死んでもあの世があると思っていた。
なので、葬儀の最中はいつもぼんやりと
「お疲れ様でした。あの世でも頑張ってね・・・」
と、思っているのです。

昨日の葬儀の最中は・・・。

叔父は、子どもも居なく、とにかく夫婦でパチンコに通い、ゴルフ三昧に、飲み食い三昧・・・。
若い頃は、かなりチン○ラ風で喧嘩三昧していた時期もあった様子。
自分の好きなように、人生を謳歌していたようでした。
(その分、主人の父は苦労したようですが・・・)

そんな叔父は、意識が戻らないままの約1年半もの間、一体、何を思っていたのでしょうか・・・。
(身体をマッサージすると、顔を動かしたり、歯磨きをするために指を口に入れると、指を噛んだりという生活反応はあったらしい)
そして、魂が肉体から離れた今、何を思っているのでしょうか・・・。

そんなことばかり考えていました・・・(不謹慎?!)

あまり近しい人でないから、悲しくないのか、それとも、あの世があると思っているから悲しくないのか・・・。

どっちにしても私もいつか、この世を去る時期がくる。
その時に、思い残すことのないよう精一杯、生きたいと思う。