日々精進生活

日々、自己反省をしながら、思うことを綴る日記。

腹をくくって・・・

2009-11-29 23:17:06 | 普段の生活より
いよいよ12月。

引越し先の契約も終わり、1月に引っ越すことが決まった。
と言っても、やっぱり旦那は拒否したまま。

今日も説得を試みたが、一緒に行きたくない決意は相当固い。
養育費の話にまで発展。

もう、これは腹をくくるしかないようだ。

当面の間(娘たちが社会人になるまで)は、別居。
それ以後は、もしかしたら離婚になるかも。

どうしてこんなことになったのか考えてみた。

そもそも、結婚した時点から歯車は狂っていた。
お互いに、未熟すぎた。
私の未熟さに気付いた時には、もう取り返しがつかないところまでこじれていた。
(自分の未熟さに気付いたのは、本当に最近だもん・・・激汗)

今にして思えば、母親を求めていた旦那。
5歳の時に、母親と死別しているので、母親というものを知らない。

つい最近も、娘たちの話をしていた時に、
「子ども子どもってそればかり言って!!!オレが遊べないじゃん!!!」

私は絶句だった。

今でさえ、パチンコ・ゴルフ・たばこ・酒・・・
私から見れば、充分遊んでいる。
それなのに、まだこの後に及んで今以上自分が遊ぶことを考えているのか・・・

結婚して、最低1年は子どもを作らず二人の生活を楽しもうね。
と言っていたにも関わらず、その言葉を自ら破り、1年経たないうちに長女ができ、
口喧嘩の果て、大きなお腹をしている私の腰を蹴った行為を未だに忘れることができない。
長女が生まれた後も、独身の時と変らず、パチンコ三昧。

このとき、私は、
この人は自由気ままに生きてきた人だから(母親がおらず干渉されたことがない生活だったのだろうと思う)、束縛しては窮屈になるだろう。
小遣いの中で遊ぶのであれば、好きなようにさせてあげよう。
と思い、

娘をお風呂に入れてもらうのを旦那の役目にするのを止めて自分で入れれば、パチンコから帰ってくるのを待って腹を立てなくてもすむから。
と思い、

今のアパートに引っ越してきた時に(約18年前)、ご近所さん達との付き合いの中で起きた愚痴を旦那に聞いてもらった時に、
「お前はキ●ガ●か!キ●ガ●病院に行け!」
と、言われ、この人には愚痴も言えない、相談もできないのか・・・
と思い、

私がしている仕事等、何から何まで理解をしてくれることもなく非難ばかりされ、
旦那に絶望し・・・

まだまだ、この後もこういうことは続き、どんどん旦那に対しての気持ちが離れ、旦那に頼み事をすることがなくなり、
自分一人で解決することが当たり前になっていった。

私は私で、元来、気が強い私は今でこそ、そこまでギャンギャン言わなくなったが、当時はまだまだ若く未熟であったし(汗)、
だいぶギャンギャン言ってきた。

そんなこんなで、結婚後、早い時期から私達夫婦の歯車は狂い始め、
いつの日か、離婚まではいかなくても別居となることは感じていたように思う。

今回の別居に関しても、
旦那は、「私が勝手にやったこと」と言い張り、別居になったのは私が勝手に家を出ていく=私が悪い と言う。

私は、アパートを探していることも全部話をしてきたし、一緒に見に行こうと誘ってきたし、引越し先のメドがたったことも言ったし、
私が黙って勝手に決めてきたことじゃない。

確かに、旦那の同意も得ず契約をしたことは、私が悪かったと思う。

でも、どうやってもこのアパートから出たくない旦那。
嫌で嫌で仕方がないこのアパートを1日でも早く出たい私。

このアパートに居たらストレスで病気になりそうだという私の訴えを聞いてくれない旦那。

どこまでいっても平行線。

次女が来春、中学生になるこの機会を逃したら、引っ越すタイミングを失ってしまう。
強行突破で引っ越す事を決めた私。
ストレスで身体を悪くしても、きっと旦那は引越しに同意してくれないから。

だから、この別居は、なるべくしてなったのだと思う。
私の都合の良いように考えるならば・・・

こんな旦那だけれど、旦那には感謝している部分もある。

旦那と出会って結婚したということは、私も旦那と同類だったのだろう。

類は友を呼ぶ。

似た者夫婦。

旦那は、私の鏡。
お陰で、私の課題に気付くことができた。

優しい旦那だったら、今も気付くことなく、わがまま言いたい放題だっただろう・・・

旦那と結婚したことは間違いではなく、私の課題だったのだろう。
そう思えるので、旦那には感謝である。
これまで、ありがとう。

これからは、腹をくくって頑張る。

娘たちと頑張るよ。