大川原有重 春夏秋冬

人は泣きながら生まれ幸せになる為に人間関係の修行をする。様々な思い出、経験、感動をスーツケースに入れ旅立つんだね

独環境相、脱原発へ日本と協力 廃炉支援も

2013-03-13 21:00:35 | 原子力関係
独環境相、脱原発へ日本と協力 廃炉支援も


 【ベルリン共同】ドイツのアルトマイヤー環境相は11日までに、同国が進める2022年末までの脱原発に向け、スマートグリッド(次世代送電網)や蓄電技術の開発などで日本との協力を深め、省電力や再生可能エネルギーの普及を進める考えを示した。共同通信との電話インタビューで述べた。

 環境相は再生エネルギー関連の新たな産業を生み出すことで「ドイツからエネルギー革命を起こす」と述べ、脱原発の方針は揺るがないと断言。日本政府から要請があれば、東京電力福島第1原発の廃炉作業を支援する用意があるとも表明した。

2013/03/12 08:28 【共同通信】

第二部 安全の指標(1) 研究者の苦悩 福島の危機...緊急派遣

2013-03-13 19:00:00 | 原子力関係
第二部 安全の指標(1) 研究者の苦悩 福島の危機...緊急派遣

 福島市の福島医大。4月から長崎大に復職する副学長山下俊一(60)の自室には放射線に関する専門書が並ぶ。山下が長崎市から空路で福島空港に降り立ったのは、東京電力福島第一原発事故から1週間後の平成23年3月18日。以来、福島医大を拠点に放射線と健康に関する情報発信の最前線に立ってきた。
 「自分の知識を全て出した」。着任後、約2カ月間でこなした講演や対話は約30回に上った。1万人以上の県民と直接向き合い、放射線の健康リスクを伝えた。
 だが、ある時期を境に山下に対する風当たりが強まった。安全側に立ち過ぎている-。「御用学者」とのそしりも受けた。「放射線に対する世論がぼろぼろだった。国への不信感が全て自分に向いてしまった」と激動の2年間を振り返った。
 「3・11」当時、山下は長崎大大学院医歯薬学総合研究科長の職にあった。研究科は、長崎原爆の爆心地から南東に約500メートルほど離れた長崎市内にある。昭和37年に設立された原爆後障害医療研究施設を中心に、原爆による白血病やがんなどの後障害治療、放射線が人体に与える影響などを調査・研究してきた。
 山下自身、長崎原爆の被爆二世だ。長崎大医学部を卒業し、昭和61年に起きたチェルノブイリ原発事故の健康影響評価に20年以上携わってきた。世界保健機関(WHO)ジュネーブ本部で放射線プログラム専門科学官を務めるなど放射線医療の第一人者だった。
 原発事故直後、文部科学省の要請で長崎大から緊急被ばく医療チームの5人が本県に派遣された。山下と研究をともにしてきた「精鋭部隊」だった。千葉市の放射線医学総合研究所を経由し、14日に自衛隊のヘリコプターで本県に入った。15日から福島医大に拠点を構えた。
 山下が医療チームから報告を受けた福島医大の空間放射線量はピーク時で毎時10マイクロシーベルト前後だった。ただ、外部被ばく線量は建物による遮蔽(しゃへい)効果などで空間線量よりも低い。実際に医療チームが付けた個人被ばく線量計の値は1日当たり10マイクロシーベルトあったが、多く見積もった計算でも、発がんリスクが高まる100ミリシーベルトにすぐに達するような状況ではなかった。「100ミリシーベルト」は長年にわたる長崎、広島の被爆者の健康調査で導き出された数字だ。「慌てるようなレベルではない」。山下は冷静に受け止めていた。
 「福島医大が浮き足立っている。情報が交錯し、大変な状況です」
 3月15日、山下の元に電話が入った。長崎大の医師で緊急被ばく医療チームリーダーの大津留晶(55)=現福島医大教授=だった。
 当時、福島医大は震災の傷病者の受け入れに加え、東京電力福島第一原発で相次ぐ原子炉建屋の水素爆発で混乱を極めていた。応急処置を施す県内6つの初期被ばく医療機関のうち、震災と原発事故の影響で機能していたのは2病院だけだった。福島第一原発の作業員を含め、被ばく患者のほとんどは二次被ばく医療機関の福島医大に運ばれた。不眠不休で治療を続けるスタッフの精神状態は極限に達していた。
 この日、原発からの屋内退避が30キロ圏に拡大された。病院内では避難区域がさらに広がる最悪のシナリオを想定した対応も協議されていた。
 「緊張の糸が切れ、医療崩壊が一気に起こる可能性があった」。長崎大の医療チームは放射線リスクに関する情報発信が必要として山下に助けを求めた。
 だが、山下はすぐに福島に向かうつもりはなかった。
   ◇    ◇
 東京電力福島第一原発事故当時、放射線が健康にどのような影響を与えるかについての情報が少なく、県民は不安に駆られた。放射線リスクをめぐる専門家や政府の対応、甲状腺検査や内部被ばく検査、リスクコミュニケーションの現状などを追う。
(文中敬称略)

2013/03/13 11:51 福島民報

今を生きる 苦難乗り越え歩む 卒業前、町長に感謝の言葉 感謝の言葉を伝える池田君

2013-03-13 18:30:00 | 原子力関係
今を生きる 苦難乗り越え歩む 卒業前、町長に感謝の言葉 感謝の言葉を伝える池田君

 大熊中3年で生徒会長の池田慧生(けいせい)君(15)は卒業式を控えた12日、渡辺利綱大熊町長を表敬訪問し、全町避難の中で教育環境整備に力を注いでくれたことに感謝した。同校は、町役場出張所が置かれた会津若松市の旧会津学鳳高校舎の2階で、町役場とともに2年近く過ごしたが、4月に市内の別の場所に移転する。
 同校は東京電力福島第一原発事故の約1カ月後、町役場出張所の2階を校舎として再開した。しかし、手狭でグラウンドや体育館の利用に制限があるため、会津大短期大学部の隣接地に仮設校舎を建設して移転する。
 町長室を訪れた池田君は「(震災当時は)中学校がどうなってしまうか不安だったが、授業や部活、学校行事を震災前に近い形で行うことができた。再開してくれた先生、町、会津若松市、全国の人、そして町長に心から感謝します。これからの人生を、未来を見詰め、苦難を乗り越えながら精いっぱい歩みます」とお礼を述べた。
 これに対し渡辺町長は「思うような中学校生活を送れず申し訳なかった」と述べ「皆さんはそんな中でもしっかり頑張った。過去は変えられないが未来は自分たちでつくれる。会津で得た貴重な経験を糧に、夢を持って頑張って」と激励した。
 池田君は母親と市内の借り上げ住宅に2人暮らし。福島高専に進学するのに伴い、4月からは仕事でいわき市に住んでいる父の元に引っ越すという。幼いころから地震研究者になるのが夢で、震災後、その思いは強くなったという。「今も地震で亡くなる人は多い。災害を少しでも軽減させる役に立ちたい」と話していた。
 表敬訪問には小野田敏之校長、鈴木茂副町長が同席した。
 池田君は13日の卒業式でも卒業生を代表してあいさつする。

2013/03/13 11:25 福島民報

住宅除染の進捗3%にとどまる (福島県)

2013-03-13 18:03:28 | 原子力関係
住宅除染の進捗3%にとどまる NHK

原発事故を受けて自治体が進めている除染について、作業が終わった住宅は計画全体のわずか3%にとどまっていることがNHKのまとめでわかりました。除染で出る廃棄物の仮置き場が見つからないことが作業の遅れにつながっていて、住宅の庭先に埋めざるを得ない「現場保管」が急増しています。原発事故で拡散した放射性物質を取り除く除染は原発周辺の避難区域は国が直接行いますが、周辺の40の市町村では、国の費用で自治体が行います。
NHKのまとめでは現段階で除染が計画されている福島県内の住宅あわせて39万戸のうち、1月末までに作業が終わったのは1万2000戸あまり、割合にして、わずか3%にとどまっていることがわかりました。
除染が進まない原因として、汚染された廃棄物を一時的に保管する仮置き場が確保できないことを挙げる自治体が多く、必要な仮置き場を確保できた自治体は3割以下にとどまっています。
このため廃棄物を住宅の庭先に埋めたりする「現場保管」が急増しており、その数は都市部を中心に9の市と町であわせておよそ6000か所にのぼっています。
仮置き場の確保が進まない背景には、国が双葉郡に設置を計画している中間貯蔵施設や、県外につくる最終処分場の見通しが立たないため、住民の間に一旦できた仮置き場が固定化することへの懸念が強くあります。除染を進めるためには廃棄物の搬出先の設置に向けた早急な議論が求められます。

03月12日 20時05分

避難生活続ける小学生は (山梨県)

2013-03-13 15:50:00 | 原子力関係
避難生活続ける小学生は NHK

東日本大震災から2年となる11日、避難した人たちが山梨県内で最も多い中央市にある小学校では、全校児童が震災が起きた時刻に黙とうをささげました。
このうち中央市の三村小学校の体育館では4年生と5年生のあわせておよそ100人が卒業式の練習のあと、震災が起きた午後2時46分に1分間の黙とうをささげました。
小学校には被災地から避難して生活を送っている児童7人が通っていて、おととしの8月、福島市から家族で避難してきた5年生の佐藤来稀くんと双子の怜稀くんも黙とうに加わりました。
佐藤怜稀くんは「福島では夏でも長袖を着ながら外で遊んでいたが、山梨に避難してからは放射能のことを気にせず遊べています」と話していました。
また、来稀くんは「まだ福島の街には津波によるがれきなどが残っているので、早く復興してほしい」と話していました。

03月11日 23時22分

震災2年 県内避難820人余 (山梨県)

2013-03-13 15:40:00 | 原子力関係
震災2年 県内避難820人余 NHK

東日本大震災から11日で2年になります。
被災地から山梨県内に避難している人は820人あまりにのぼり、このうち86%が福島県からの避難者となっています。
県のまとめによりますと、東日本大震災で被災地から避難し、山梨県内の公営住宅や県が借り上げた民間のアパートなどで生活している人は、3月7日の時点で、826人となっています。
県内への避難者を県別にみると▼福島県が710人と全体の86%を占め、次いで▼宮城県が62人、▼茨城県が30人、▼岩手県が15人などとなっています。
一方、被災者を受け入れているのは21の市町村で、福島県にあった電子部品の工場が震災後、移転してきたことなどで▼中央市が239人と最も多くなっています。次いで▼笛吹市が110人、▼甲府市が105人などと、なっています。
東日本大震災から2年になる11日は地震が発生した午後2時46分にあわせ、甲府市の甲斐善光寺や身延町の身延山久遠寺などで追悼の催しが行われるほか、甲府市役所では、防災行政無線を使って市民に黙とうを呼びかけることにしています。

03月11日 12時04分

原発事故避難者 国と東電提訴 (千葉県)

2013-03-13 15:30:00 | 原子力関係
原発事故避難者 国と東電提訴 NHK

東京電力福島第一原子力発電所の事故で、福島県から千葉県に避難している住民20人が、国策として進められた原発によって生活の場が奪われたとして、国と東京電力に10億円あまりの損害賠償などを求める訴えを千葉地方裁判所に起こしました。
訴えを起こしたのは、福島県から千葉県に避難している8つの世帯の7歳から88歳までの住民あわせて20人で、11日午後、千葉地方裁判所に訴状を提出しました。訴えの中で住民たちは、原発は国策として設置が進められたもので、原発事故で生活の場が奪われた責任は東京電力だけでなく、国にもあると主張しています。
その上で故郷を失った精神的苦痛に対し、1人あたり2000万円の慰謝料や、福島県に土地と住宅を残してきた世帯におよそ3600万円の賠償金など、あわせておよそ10億3000万円を国と東京電力に支払うよう求めています。提訴のあと行われた会見には原告の住民たちが出席し、午後2時46分になると黙とうを捧げていました。
福島県浪江町から家族7人で避難している40歳の男性は「未来ある子どものため故郷を取り戻したいと思い参加した。この2年間は何も決まらず、何も進まないままあっという間に過ぎてしまった。国と東京電力は事故の責任を明確にしてほしい」と話していました。原発事故をめぐって国と東京電力に損害賠償などを求める訴えは、11日、東京地方裁判所や福島地方裁判所などでも一斉に起こされています。

03月11日 17時25分

震災2年で県式典 (茨城県)

2013-03-13 15:20:00 | 原子力関係
震災2年で県式典 NHK

東日本大震災から2年となる11日、犠牲者への追悼と大震災からの復興を願う式典が、水戸市の茨城県庁で開かれました。
県が開いた式典には、震災で家族を亡くした遺族や行政関係者らおよそ350人が出席しました。
会場の大型スクリーンに、東京の国立劇場で開かれた政府主催の追悼式の映像が映し出される中、地震が発生した午後2時46分、全員で1分間の黙とうをささげました。
そして、橋本知事が「未曽有の被害が生じた3月11日は永遠に忘れることができない悲しみの日となった。2年たっても原発事故の影響が色濃く残っていて、復興の道のりは道半ばだが、本格的な復興に取り組んでいきたい」と述べました。
続いて、鉾田市の県立鉾田第二高校3年の飯塚絢子さんが、復興に向けた誓いを行いました。
飯塚さんが所属していた鉾田二高の写真部は地元の被災した住民の話を写真とともにホームページで伝える活動を行っていて、飯塚さんは「互いに手を取り合って、少しでも前に進むことで再び元気な茨城県になると信じています。みんなで復興に向けてがんばりましょう」と呼びかけました。
そして、土浦市の土浦第二小学校の合唱団が、震災からの復興支援ソング「花は咲く」と、野口雨情が作詞した「七つの子」を合唱し、遺族をはじめ出席者ひとりひとりが献花を行いました。

03月11日 19時01分

福島からの避難者が犠牲者追悼 (茨城県)

2013-03-13 15:10:00 | 原子力関係
福島からの避難者が犠牲者追悼 NHK

福島県からの避難者、500人余りが暮らす茨城県つくば市では、震災と原発事故から2年の11日、各地で献花や黙とうが行われ、犠牲になった仲間を偲びました。
このうち、福島第一原発が立地する福島県双葉町が設けた「つくば連絡所」には献花台が設けられ、つくば市に避難している町民が次々と訪れては花を供えました。
双葉町から夫とともに避難している女性は「私たちはどうにか元気でいますけれども、亡くなった人はどんなに無念だったかと思います」と話し、手を合わせていました。
また、避難者が集まって暮らす住宅団地では、近所の10人余りが庭先につくった焼香台に集まり、地震が起きた午後2時46分、亡くなった人たちに黙とうを捧げました。
津波で知人を亡くしたという男性は、「原発事故がなければすぐに捜索に入れたはずだといまでも思っています。なくなられた人には申し訳ない気持ちでいっぱいです。これからも避難先で供養を続けていきたい」と話していました。

03月11日 19時01分

住宅除染ほとんど進まず (栃木県)

2013-03-13 15:00:00 | 原子力関係
住宅除染ほとんど進まず NHK

栃木県内で住宅の除染を計画している6つの市と町についてこれまでに除染を終えた住宅は、対象となる10万戸余りのうちわずか355戸とほとんど進んでいないことがわかりました。
栃木県内では那須塩原市や日光市など8つの市と町が国の財政負担を受けて除染作業を行う「汚染状況重点調査地域」に指定されています。
NHKが8つの市と町に除染状況を取材したところ、子どもが利用する学校や保育園、児童館などの除染は3月いっぱいでほぼ終了する見通しとなっています。
一方、生活の基盤となる住宅の除染は6つの市と町で計画していますが、これまでに終わったのは対象となるおよそ10万3700戸のうち355戸で全体の0.3%にすぎないことがわかりました。このうち那須塩原市は対象の住宅が市内のほぼ全域にあたる4万7000戸ともっとも多く、11日までに終えたのは155戸にとどまっています。
各地で住宅除染が進まない理由は、公共施設を優先的に行っていることや対象の世帯が多く、各世帯の意向を確認するのに時間がかかっているためで、いずれの市と町も作業を終えるメドはたっていません。

03月11日 17時47分

栃木県庁で復興の集い

2013-03-13 14:50:00 | 原子力関係
県庁で復興の集い NHK

東日本大震災では、栃木県でも4人が亡くなり、133人がけがをしました。
また、福島県などから県内に避難している人はいまも2900人に上ります。
県庁では11日、復興への誓いを新たにしようと「復興のつどい」が開かれました。
県庁の講堂で開かれた「復興の集い」にはおよそ150人が出席し、政府が主催して行われた「追悼式」の中継映像に合わせて、午後2時46分、全員で1分間の黙とうをしました。
そして、福田知事が、「震災と原子力災害を乗り越え真の復興をなしとげるには、さらなる取り組みが欠かせません。県民のみなさまのふるさととちぎへの強い思いがその原動力になることを確信しています」と述べました。
このあと、県庁の1階ロビーで県警察本部の音楽隊と鹿沼市の児童合唱団による「復興の集いコンサート」が行われました。
会場には、福島県から避難して下野市で生活している5人も招待され、最後に「ふるさと」の合唱になると涙ぐみながら口ずさんでいました。
南相馬市から避難している佐々木正教さんは「私たちは原発事故のため地元に帰りたくても帰れません。歌で『ふるさと』を思い出し、涙をこらえきれませんでした」と話していました。

03月11日 17時47分

被災地派遣職員が活動報告 (栃木県)

2013-03-13 14:40:00 | 原子力関係
被災地派遣職員が活動報告 NHK

東日本大震災から2年の11日、栃木県小山市から宮城県の被災地に派遣されていた2人の職員が活動報告を行いました。
小山市は、ラムサール条約に登録された湿地のある宮城県大崎市と交流があり、震災のあと、大崎市と東松島市に職員を派遣しています。
11日の報告会には職員などおよそ150人が集まり、大崎市で半年間、公共工事の現場管理をした菅沼勇人さんが「震災から時間がたっているにも関わらず、被災した公共の建物の半分以上で災害復旧工事が手つかずな状況に驚きました」と報告しました。
また、東松島市に3か月間派遣され、被災に関する税の減免措置などを受け付けていた片柳剛展さんは「震災特例による減免措置など、制度が複雑なことも申請を遅らせる原因の1つに思いました」などと話していました。
小山市は今後も被災地への職員派遣を継続することにしています。

03月11日 11時04分

原発避難の施設入所者が黙とう (群馬県)

2013-03-13 14:30:00 | 原子力関係
原発避難の施設入所者が黙とう NHK

原発事故で福島県から群馬県に避難している障害者たちが、地震が発生した午後2時46分にあわせて、黙とうをささげました。
高崎市にある障害者施設、「国立のぞみの園」ではおととしの原発事故で福島県富岡町の施設から避難してきた障害のある入所者と職員100人あまりが生活しています。
震災から2年となった11日、高崎市の施設には入所者や職員が集まり、県内でピクニックした様子などこの2年間に撮影した写真を見ながら、慣れない土地での避難生活を振り返りました。
そして、地震が発生した午後2時46分になると、全員で30秒間黙とうをささげ、入所者や職員たちは静かに目をつぶったり、手を合わせたりして、震災の犠牲者を追悼していました。
施設の職員の女性は「一時帰宅で家が荒れ果てていく様子を見たりすると、色々と思い出してつらいです。この2年間何も変わっていないので、とにかく一歩ずつでも前に進んでいってほしいです」と涙ながらに話していました。
施設長の寺島利文さんは「長いようで短く、短いようで長い無我夢中の2年間でした。福島にいつ戻れるかわかれば、みんなもっと明るい顔ができると思うので、早く戻れるように頑張っていきたいです」と話していました。

03月11日 19時43分

震災2年 避難者も黙とう (新潟県)

2013-03-13 14:20:00 | 原子力関係
震災2年 避難者も黙とう NHK

東日本大震災から11日で2年になりました。
福島を中心に5800人近くが避難している新潟県内でも震災が発生した時刻に合わせて各地で黙とうがささげられました。
このうち柏崎市の避難者のための交流施設では、浪江町などから避難している25人が集まり、2年前に震災が発生した午後2時46分、福島県の方角に向かい、目を閉じて静かに手を合わせました。こらえきれず涙を流す人もいて、震災から2年がたった今も被災者の心に残された傷が癒えていないことをうかがわせていました。
65歳の女性は「津波に流された友だちのことを思い出して思わず涙が出てしまいました。福島の復興が進んでいないので立ち止まっていることに悔しさを感じます」と話していました。
前の日に浪江町に一時帰宅したという71歳の女性は「2年もたったけれど、ふるさとは忘れられません。ふるさとを失うというのはこういうことなんだと、あらためて痛感しました」と話していました。
また、4歳の娘といっしょに避難し、仕事のため福島に残った夫と離れ二重生活を送っている31歳の女性は「復興はまったく進んでいないと感じるし、県外に出てしまうと情報もなかなか入らずもどかしいです」と話していました。

03月11日 19時17分

柏崎刈羽原発でも黙とう

2013-03-13 14:10:00 | 原子力関係
柏崎刈羽原発でも黙とう NHK

地震が発生した時刻には、東京電力の柏崎刈羽原子力発電所でも東京電力の社員らが黙とうしました。柏崎刈羽原発では、東京電力の社員およそ300人が集まり、地震が発生した午後2時46分に黙とうして、震災で犠牲になった人たちのめい福を祈りました。
このあと、横村忠幸所長が「2年が経過しても、事故によってたくさんの方が避難を余儀なくされていることをしっかりと受け止め、責任を全うしていかないといけない」と述べ、柏崎刈羽原発の安全性の向上に全力で取り組んでいくことを誓っていました。
震災で想定を超える津波によって大きな被害を受けた福島第一原発は、すべての電源が失われて水素爆発を起こし、大量の放射性物質が外部に放出されました。
このため、現在運転を停止している柏崎刈羽原発では、津波に備えて海抜およそ15メートルの高さの防潮堤を建設するなど安全対策を進めていますが、泉田知事は事故の検証が終わっていないとして慎重な姿勢を変えておらず、運転再開のめどは立っていません。
柏崎刈羽原発の横村所長は「国の新しい安全基準に適合しているかどうかが大前提であり、不足している部分についてはこれからも対策に取り組んでいきたい」と話していました。

03月11日 19時17分