原発事故関連死(14)限界の中見えた幻 「葬式やってもらった」
「お水をきちんと飲むんですよ」。郡山市の郡山養護学校で山本ハツミさん=当時101歳=を見送る双葉町の特別養護老人ホームせんだんの職員は、ハツミさんにペットボトルの水とおにぎりを持たせた。避難をともにした親類の入所者も見送りに出て来て「おめぇは(家族に引き取られて)いいよな」とハツミさんの手を握り涙ぐんだ。
東京都練馬区の篠美恵子さん(65)が、母ハツミさんの避難先である郡山養護学校に着いたのは3月18日午前0時すぎ。車に積んできた水とコメをせんだんの職員に託し、ハツミさんを車に乗せた。目に見えない放射性物質が怖かったのを覚えている。「母と再会した喜びを感じる余裕なんてなかった」
都内に向かう車中。ハツミさんは「(自分の)葬式をやってもらったんだ」と繰り返した。12日に緊急避難した際も、16日に郡山市総合体育館でスクリーニングを受けた際も、周りは白い防護服ばかりだった。美恵子さんは「初めて見た防護服が白装束に見えたんでしょう。心身ともに限界で生死をさまよっていたんだと思う」と振り返る。
深夜の4号国道を南下する間、ハツミさんは3度、便意をもよおした。「明治生まれの母は、避難以来ずっと我慢していたのでしょう」。美恵子さんは、せんだんの職員が「水を飲んで」と言っていた意味が分かった。
都内の自宅に着いたのは18日の朝だった。避難の連続でハツミさんは見るからに衰弱していた。美恵子さんは「正直もう駄目かな」と思った。
そのハツミさんが自分から「『純米』が食べたい」と言った。
懐かしい響きだった。ハツミさんは、雑穀や菜っ葉の入っていない白米だけのご飯「純米」が好物だった。美恵子さんが18歳まで過ごした双葉町での穏やかな暮らしと、若い日の母の笑顔が脳裏に浮かんだ。
だが「故郷も、母の命も失われようとしている」と考えると堪えられなかった。
ハツミさんは少し横になった後、美恵子さんが炊いた「純米」を頬張った。おかゆではなく粒が立ったコメに笑顔を見せた。
妹の関根八枝子さん(85)が富岡町から美恵子さん宅に先に避難していたこともハツミさんを喜ばせた。「八枝子ちゃんがいる」。再会は多少なりともハツミさんを元気づけた。
2013/03/07 11:54 福島民報
「お水をきちんと飲むんですよ」。郡山市の郡山養護学校で山本ハツミさん=当時101歳=を見送る双葉町の特別養護老人ホームせんだんの職員は、ハツミさんにペットボトルの水とおにぎりを持たせた。避難をともにした親類の入所者も見送りに出て来て「おめぇは(家族に引き取られて)いいよな」とハツミさんの手を握り涙ぐんだ。
東京都練馬区の篠美恵子さん(65)が、母ハツミさんの避難先である郡山養護学校に着いたのは3月18日午前0時すぎ。車に積んできた水とコメをせんだんの職員に託し、ハツミさんを車に乗せた。目に見えない放射性物質が怖かったのを覚えている。「母と再会した喜びを感じる余裕なんてなかった」
都内に向かう車中。ハツミさんは「(自分の)葬式をやってもらったんだ」と繰り返した。12日に緊急避難した際も、16日に郡山市総合体育館でスクリーニングを受けた際も、周りは白い防護服ばかりだった。美恵子さんは「初めて見た防護服が白装束に見えたんでしょう。心身ともに限界で生死をさまよっていたんだと思う」と振り返る。
深夜の4号国道を南下する間、ハツミさんは3度、便意をもよおした。「明治生まれの母は、避難以来ずっと我慢していたのでしょう」。美恵子さんは、せんだんの職員が「水を飲んで」と言っていた意味が分かった。
都内の自宅に着いたのは18日の朝だった。避難の連続でハツミさんは見るからに衰弱していた。美恵子さんは「正直もう駄目かな」と思った。
そのハツミさんが自分から「『純米』が食べたい」と言った。
懐かしい響きだった。ハツミさんは、雑穀や菜っ葉の入っていない白米だけのご飯「純米」が好物だった。美恵子さんが18歳まで過ごした双葉町での穏やかな暮らしと、若い日の母の笑顔が脳裏に浮かんだ。
だが「故郷も、母の命も失われようとしている」と考えると堪えられなかった。
ハツミさんは少し横になった後、美恵子さんが炊いた「純米」を頬張った。おかゆではなく粒が立ったコメに笑顔を見せた。
妹の関根八枝子さん(85)が富岡町から美恵子さん宅に先に避難していたこともハツミさんを喜ばせた。「八枝子ちゃんがいる」。再会は多少なりともハツミさんを元気づけた。
2013/03/07 11:54 福島民報