大川原有重 春夏秋冬

人は泣きながら生まれ幸せになる為に人間関係の修行をする。様々な思い出、経験、感動をスーツケースに入れ旅立つんだね

バリケード7カ所設置へ 22日、区域再編の葛尾村 (福島県)

2013-03-12 11:10:00 | 原子力関係
 福島県双葉郡葛尾村は9日までに、22日の避難区域再編に伴い、帰還困難区域に指定される野行(のゆき)行政区への立ち入りを制限するバリケードを7カ所に設置することを決めた。開閉式が2カ所、固定式が5カ所で9日に三春町で開かれた住民懇談会で住民に説明した。

 野行行政区を東西に走る県道浪江三春線の2カ所に開閉式を置き、同行政区北部の浪江町、南部の岩角、大笹両行政区との境界の村道の5カ所に固定式を置く。東側の開閉式バリケードは救急車の通行など非常用で、原則として村民の一時立ち入りには使用しない。

 また、村北部の国道399号や南東部の県道落合浪江線など浪江町との他の境界に、同町のバリケードが設置される予定のあることも説明があった。

(2013年3月10日 福島民友ニュース)

福島県の現状伝える 「福島を忘れない!」前夜の集い

2013-03-12 11:00:00 | 原子力関係
本県の現状伝える 「福島を忘れない!」前夜の集い


 ジャーナリスト下村満子さんが主宰する「下村満子の生き方塾」は9日、東日本大震災による被災者の鎮魂と復興を祈る「福島を忘れない!」前夜の集いをいわき市で開いた。

 10日に同市で開催する祈りの集いを前に、有識者や地元住民の講演などを通して、より多くの人に本県の現状を知ってもらおうと開催。約250人が参加した。

 下村さんは主催者あいさつで「福島は原発事故の後遺症という苦悩を抱えている。福島への関心が風化しつつある中で、復興について考えたい」と述べた。

 佐藤栄佐久前知事が原発事故の問題点や本県の今後の展望などについて解説したほか、警察、消防関係者らが震災時の惨状などを語った。また、浜通りの民俗芸能披露なども行われた。

(2013年3月10日 福島民友ニュース)

震災・原発関連映画を特集上映 (千葉県)

2013-03-12 10:50:00 | 原子力関係
震災・原発関連映画を特集上映 NHK

東日本大震災から2年となるのを前に、千葉県柏市の映画館で震災と原発事故をテーマにしたドキュメンタリー映画の上映が始まりました。上映が始まったのは、柏市の映画館で映画専門誌の出版社が、震災について考えてもらうきっかけにして欲しいとして企画しました。原発事故のあとの福島県南相馬市の姿を捉えた「相馬看花第一部奪われた土地の記憶」など4本のドキュメンタリー映画が上映されています。
上映にあわせて館内では、津波で大きな被害を受けた岩手県陸前高田市の被災前と後の様子を撮影した写真も展示されています。
また週末には、被災地を支援しようと被災者が刺しゅうを施したTシャツやコースター、それに布の切れ端を編んで作ったぞうりなどが販売されています。
訪れた人は、「映画を通して被災地の実態を改めて考え少しでも復興に協力したいと思います」と話していました。
特集上映は今月22日まで、柏市の「TKPシアター柏」で、行われています。

03月09日 19時24分

取手市で震災6千の灯篭点灯 (茨城県)

2013-03-12 10:40:00 | 原子力関係
取手市で震災6千の灯篭点灯 NHK

東日本大震災からの復興を願って、1万本あまりの手作りのとうろうを並べて光のモニュメントを作る催しが9日夜、茨城県取手市で行われました。
「ゆめあかり3・11」と名付けられたこの催しは、取手市の市民グループが大震災の記憶と復興への思いをとどめていこうと去年から始めました。
会場となった取手市の広場には市内の小学生たちが復興へのメッセージを書いた手作りのとうろうが並べられました。
また、訪れた多くの市民が復興への願いや犠牲者への弔いの気持ちをメッセージにのせたとうろうを作り、中に入ったろうそくにひとつひとつ火をともしていきました。そして、日が暮れると1万本あまりのとうろうに書かれたメッセージが暗がりに浮かびあがり、光のモニュメントができあがりました。震災で震度6弱に襲われた取手市は10人がけがをしたほか、原発事故で広がった放射性物質のため、いまも除染が続けられています。訪れた男性は、「たくさんのとうろうがとてもきれいだったので、来て良かったです。震災のころに抱いていた復興への願いや被災者への弔いの気持ちを思い出すことができました」と話していました。

03月10日 19時53分

震災後の子どもの心身を健康に 郡山でフォーラム (福島県)

2013-03-12 10:30:00 | 原子力関係
 郡山市震災後子どものケアプロジェクトの設立2周年記念フォーラムは9日、福島県郡山市で始まり、参加者が子どもたちの心と体を健やかに育んでいく環境づくりを考えた。郡山市の主催。

 開会式では同市のみどり幼稚園の園児が歌と踊りを披露、原正夫市長、菊池信太郎プロジェクトマネジャーがあいさつした。

 作家の柳田邦男さんらが絵本の読み聞かせを行い、震災被災地をとらえたドキュメンタリー映画「傍~3月11日からの旅」(伊勢真一監督)が上映された。「震災と放射線問題の風化と忘却の傍~子どもたちのこれからを考える」をテーマにシンポジウムが行われ、菊池マネジャーをコーディネーターに柳田さん、伊勢監督、慶応大医学部専任講師で小児科医の渡辺久子さんが意見交換した。

 同フォーラムは10日も同市のニコニコ子ども館、ペップキッズこおりやまで開かれる。

(2013年3月10日 福島民友ニュース)

シイタケ農家2割やめる意向 (栃木県)

2013-03-12 10:20:00 | 原子力関係
シイタケ農家2割やめる意向 NHK

東京電力福島第一原発事故の影響で、栃木県内では原木シイタケの出荷制限が続いていますが、出荷再開のめどがいまだに立っていないことなどから、農家のおよそ2割が生産をやめる意向を示していることが栃木県の調査でわかりました。栃木県は全国有数のシイタケ産地ですが、原発事故のあと原木シイタケから国の基準値を超える放射性物質が検出されたことから、21の市と町で現在も出荷が制限されています。
栃木県が去年9月からことし1月にかけて、原木シイタケの農家およそ600人にアンケート調査を行ったところ、「生産をやめる」と答えた人は、132人にのぼり、全体のおよそ20%を占めました。また、「生産規模を縮小する」と答えた人も10%ほどにあたる65人にのぼり、出荷制限が長引き、産地の衰退が進んでいることが明らかになりました。
このうち鹿沼市でおよそ30年間シイタケを栽培してきた福田カツさん(73)は出荷再開のめどが立たないことから去年の秋、栽培をやめました。
福田さんは、「体力も衰え出荷再開を待っていられなくなりました。しいたけを出荷する楽しみがなくなり、ただ寂しいです」と話していました。
県の林業振興課は「このまま出荷制限が長引けばやめる農家がさらに増える恐れがある。放射性物質の影響を受けない栽培体制を早急につくっていきたい」と話しています。

03月08日 19時25分

「中間貯蔵施設」現地調査開始 候補地に事前連絡せず (福島県)

2013-03-12 10:10:00 | 原子力関係
 石原伸晃環境相は8日の閣議後会見で、福島県内の除染で出た汚染土壌などを保管する中間貯蔵施設の設置をめぐり「現地確認という形で調査に着手した」と述べ、調査候補地で同日までに現地調査を開始したことを明らかにした。しかし、環境省は調査候補地のある大熊、双葉、楢葉3町に事前連絡せず、調査に入っていたことが判明。3町は同省の姿勢に反発を強めており、5月末の完了を予定する調査の先行きは不透明な情勢だ。

 同省によると、現地調査は今週から始まり、大熊、双葉、楢葉3町でボーリング(掘削)調査地点の選定などに向けた現地の確認作業を行った。受注業者らが車で回り、公道から9カ所の候補地周辺の写真を撮影するなどしたという。

 同省は福島民友新聞社の取材に対し、3町に連絡しなかったことを認めた上で「あくまでも作業前の準備段階。現地の場所を車で下見し、基本的な状況を確認しただけだ」(中間貯蔵施設チーム)と釈明、地元との認識の開きを露呈した。

(2013年3月9日 福島民友ニュース)

福島、放射線量1年半で半減 着実に減少と原子力機構

2013-03-12 10:00:00 | 原子力関係
 東京電力福島第1原発から半径80キロ圏内の空間放射線量(地上1メートル)が、2011年4月から昨年11月までの約1年半でほぼ半減したことが10日、日本原子力研究開発機構(原子力機構)の分析で分かった。原子力機構は「当初予測より早いペースで、着実に減少している」としており、将来の線量変化を予測する手法の開発も進めている。

 原子力機構は、ヘリコプターを使った文部科学省のモニタリング調査結果などを分析した。減少のペースが早いのは、雨で放射性物質が流された影響が大きいとみられ、建物やアスファルト道路の多い地域ほど減少傾向が顕著という。

2013/03/10 18:23 福島民報

福島県、放射線データを保存せず

2013-03-12 09:30:00 | 原子力関係
 東京電力福島第一原発事故で、福島県は平成23年3月12日に第一原発から約4キロ離れた大熊町の大熊中で可搬型モニタリングポストによる放射線量測定をし、データを保存していなかったことが9日分かった。県は「測定値は平常時と同程度だった」としている。
 県によると、23年3月12日午前5時ごろ、県と東電の職員が住民の避難先となっていた大熊中の体育館外側に可搬型モニタリングポストを設置した。測定値は通常、携帯電話の通信で即時に把握できるが、当時は通信回線が途絶して確認できなかった。半年後の9月14日にモニタリングポストを回収し、記録されていた半日分の測定値を確認したところ、毎時0・05マイクロシーベルト程度で平常時の値とほぼ同じだったという。
 県はデータの保存を試みたが、対応するパソコンのソフトがなかった。その後、南相馬市でモニタリングポストを使う必要があり、データを上書きした。職員による手書きの記録もなく、国に報告しなかったという。
 モニタリングポストで大熊中を測定した時間帯に、原発から4・9キロ離れた県原子力センターの常設モニタリングポストで測定した値は毎時0・04~0・06マイクロシーベルト程度。平常時の値と大きな変動はなかった。
 県原子力安全対策課は「データの保存を試みたが、ソフトがなく不可能だった。記録を残さなかった点は反省する」としている。

2013/03/10 09:05 福島民報

福島・2年)警戒区域解除で慰霊祭

2013-03-12 09:00:00 | 原子力関係
福島・2年)警戒区域解除で慰霊祭 NHK

去年4月に警戒区域が解除されるまで立ち入りが制限されていた福島県南相馬市の集落で、きょう、震災後初めて追悼式が行われ、慰霊碑の除幕が行われました。
南相馬市では津波で福島県内では最も多い636人が犠牲になりました。
このうち、21人が犠牲になった浦尻地区の共同墓地で、追悼式が行われ、「鎮魂」という言葉と、21人の名前が刻まれた慰霊碑の除幕が行われました。
浦尻地区が含まれる小高区は原発事故のあと警戒区域に指定され、去年4月に解除されるまで立ち入りが制限されていたため、浦尻地区で追悼式が行われるのは今回が初めてです。
住民はまだ地区に住むことができないため、それぞれの避難先から集まり、読経が行われるなか、慰霊碑の前で手を合わせ、犠牲になった人たちに祈りをささげていました。
そして、遺族を代表して、70歳の妻と43歳の息子を亡くした渡部克彦さんが(72)「これからも地域の心の絆を大切に希望を持って前進していきます。私たちを見守ってください」と追悼の言葉を述べました。
出席者の1人で、47歳の夫を亡くした松平かよ子さんは(41)「当時は水の中をはってでも夫を探したかったですが、原発事故のため避難せざるをえませんでした。子どもと2人で頑張るので、夫にはゆっくり休んで見守ってもらいたいです」と話していました。

03月10日 16時44分

企業の復興支援考える 仙台で経済同友会代表幹事の意見交換会

2013-03-12 08:30:00 | 原子力関係
企業の復興支援考える 仙台で経済同友会代表幹事の意見交換会


 東北地方七経済同友会代表幹事と主要同友会代表幹事による意見交換会は10日、仙台市のウェスティンホテルで開かれ、東日本大震災の復興について考えた。全国の同会や自治体首長ら約70人が出席した。本県からは福島経済同友会代表幹事の浅倉俊一ダイユーエイト社長、阿部隆彦とうほう地域総合研究所理事長、渡部世一福島民報社会長の3人が出席した。
 第一セッションでは、「東日本大震災からの復興支援活動~未曽有の災害との戦い」をテーマに岡本全勝復興庁統括官が震災から2年を経過した現状を報告した。意見交換で阿部理事長が「本県の人口流出が止まらない。住宅の除染が遅れている」と訴えた。第2セッションでは、「企業による復興支援活動について」をテーマに意見交換をした。
 11日は全国経済同友会震災復興部会主催の「東日本大震災追悼シンポジウム」が行われる。基調セッションのパネリストとして阿部理事長が参加する。

2013/03/11 10:07 福島民報

震災とエネルギー/政策見直しの原点忘れるな (福島民友新聞社説)

2013-03-12 08:00:00 | 原子力関係
 安倍晋三首相は、2030年代の脱原発を提唱した民主党政権のエネルギー・環境戦略の「ゼロベースでの見直し」を打ち出し、エネルギー政策の再検討が始まった。

 エネルギー政策見直しの出発点は、東京電力福島第1原発の事故だ。東日本大震災と原発事故から2年がたつが、新たなエネルギー政策を得ていない状況を本県としては憂わざるをえない。

 事故では、原発が相次いで制御不能となり、大量の放射性物質を放出、大災害を引き起こした。首都圏など電気の消費地では電力供給が不安定となり、不十分な説明の中での「計画停電」が社会に混乱をもたらした。原発に依存することのリスクとコストに多くの人が気づいた。

 事故後、多数の地方自治体や企業が自らのエネルギー源を手にすることの重要性を認識し、固定価格買い取り制度の導入によって再生可能エネルギー開発が活発化している。長く停滞していた省エネ投資や関連技術の開発も盛んになってきている。

 20年、30年後を見据え、長期的視野に立った再生可能エネルギーの導入目標と、脱原発依存に向けたロードマップを描き、日本が進むべき道を明確にすることが、政治の大きな責任であり、果たすべき役割であるはずだ。

 エネルギー政策は、今後の日本がどのような経済社会を築き、国際社会の中でどのような位置を占めるのかに深くかかわる重要なものだ。

 民主党政権は、エネルギー政策の在り方について各地で意見聴取会を開き、討論型世論調査なども行った。日本のエネルギー政策史上初めて、市民の意見を可能な限り反映させようとしたプロセスは評価に値する。原案に9万件近くも寄せられたパブリックコメントの大半が「原発ゼロシナリオ」を支持する意見だったこともしっかりと受け止める必要がある。

 一方、脱原発は無責任と批判してきた安倍首相は「10年以内に、持続可能な『電源構成のベストミックス』を確立する」との政権公約を堅持しながら、脱原発の見直しに着手し、再稼働にも前向きだ。

 太陽光や風力など再生可能エネルギーは、水力を除けば、全発電量に占める割合はまだわずかで、すぐに主要電源として利用できるわけではない。電力供給の不安定化や料金値上げなどで、わが国の経済再生や本県など被災地の復興の足を引っ張るようなことがないよう多面的な視点からの検討と議論が必要だ。

 原発事故後、多くの人がコンセントの向こう側にあるものを真剣に考え始めている。そのような人々の意見を十分に吸い上げて反映させながら、現実をも見極めた新しいエネルギー政策の再構築を急がなければならない。

(2013年3月9日付 福島民友新聞社説)

大震災2周年、東京で政府追悼式 1200人、冥福祈る

2013-03-12 07:30:00 | 原子力関係
大震災2周年、東京で政府追悼式 1200人、冥福祈る


 政府主催の東日本大震災2周年追悼式が11日午後、東京都千代田区の国立劇場で開かれた。岩手、宮城、福島3県の遺族代表、安倍晋三首相ら三権の長、天皇、皇后両陛下ら約1200人が出席。地震が起きた午後2時46分に合わせて1分間黙とうし、犠牲になった人たちの冥福を祈った。

 遺族代表はそれぞれ追悼の言葉を述べ、岩手県の高校生、山根りんさん(18)は「震災がつらい記憶ではなく、未来につながる記憶となるよう、被災地から若い世代が行動していきます」と語った。

 安倍首相は式辞で「教訓を踏まえ、全土にわたって災害に強い強靱な国づくりを進めていくことを固く誓う」と決意を表明した。

2013/03/11 16:34 福島民報

大震災2年、被災地追悼の祈り 不明者を集中捜索

2013-03-12 07:00:00 | 原子力関係
大震災2年、被災地追悼の祈り 不明者を集中捜索


 1万8千人を超える死者・行方不明者を出し、戦後最悪の災害となった東日本大震災は11日、発生から2年を迎えた。被災地では早朝から遺族らが、海に向かって手を合わせた。地震発生時刻の午後2時46分に黙とうをささげ、終日、犠牲者を追悼する祈りに包まれる。

 一部で災害公営住宅の建設が始まり、道路などは復旧しつつあるが、生活再建は道半ばだ。今も約31万5千人が避難生活を送り、人口減に悩む自治体も多い。東京電力福島第1原発事故では多くの住民が古里に戻れるめどが立っていない。

 安倍晋三首相は11日の衆院予算委員会で、原発事故に関し「より丁寧に復興を進めなくてはいけない」と述べた。

2013/03/11 12:16 福島民報