あの車両を訪ねて

全国の保存・放置車両を訪ねています。

天照らす鉄路の残り香を探しに~高千穂鉄道高千穂線廃線跡巡り~

2019-01-01 | 宮崎県
2005年9月、台風14号による五ヶ瀬川の氾濫によって壊滅的な被害を受け、全線が廃止となった悲劇の路線「高千穂鉄道高千穂線」。

風光明媚な路線を襲った悲劇の日から14年が経った今、高千穂線の跡地はどうなっているのか。

2016年にのと鉄道能登線の跡地を巡ったメンバーで訪問した、高千穂線の「今」をお届けします。

前回に引き続き、各駅へのリンクも設けてありますので、どうぞご覧下さい。

なお、各駅の紹介は「延岡駅側から」の掲載となり、訪問順ではありませんのでご了承ください。

西延岡駅跡

行縢駅跡

曽木駅跡

上崎駅跡

早日渡駅跡

槙峰駅跡

日向八戸駅跡

第三五ヶ瀬川橋梁

吾味駅跡

日之影温泉駅跡

深角駅跡

高千穂橋梁

天岩戸駅跡

高千穂駅跡

※合わせて訪問した物件に関しましては、通常形態の記事にて随時ご紹介して行きます。

・はじめに

高千穂線は、1989年4月にJR高千穂線を転換して開業した高千穂鉄道の路線です。延岡~高千穂間50.0km(!)を結び、19の駅が設置されていました(起終点含む)。

車両については別記事で紹介しますので、ここでは割愛。

さて、成田国際空港を早朝に出る便で発った一行は、宮崎空港に10時前に到着。そのままレンタカーを借り、一路西延岡駅へと向かいました。ここから高千穂方面に向かいつつ、駅や周辺の物件を巡った次第です。

なお、今回は高千穂線の訪問に2日間を要したため、駅訪問のタイミングは必ずしも設置順でないことをご理解の上ご覧ください。

西延岡駅跡

起点かつJR日豊本線との乗り換え駅であった延岡駅は既に撤去済みとのことだったので、西延岡駅からの訪問となりました。



西延岡駅は、延岡駅から4.1kmの所に設置されていた駅です。1面1線の棒線駅でした。



駅跡は待合室こそ撤去されているものの、それ以外はほぼ現役当時の姿を留めていました。



駅名標も残存。下部が若干壊れている様に見えますが。。



高千穂方に線路が数百m伸びている様で、物寂しい風景ではありますが、現役の頃を偲ぶことのできる遺構でした。

行縢駅跡



続いては、起点から6.8kmの所に設置されていた、行縢駅です。

跡地はすっかり整地され、痕跡らしきものは見当たりませんでした。上の画像で言うと、樹木の生えた構造物の間に線路とホームがあり(ホームは右側に、線路が左側に設置されていた)、こちらも1面1線の棒線駅でした。



画像左側、構造物が途切れている部分がお分かりになるかと思いますが、その部分にホームに上がる階段が設置されていた様です。

隣の細見が昨年夏に撤去されてしまったそうなので跡地を見ながら通過。どうやら道路工事の支障となるために撤去された様で、脇にあったガーダー橋も撤去済みでした。また、その隣の日向岡元は早い段階で撤去されており、今回はスルーしました。更に、吐合は立ち入ることができない位置にあるためこちらもスルー(何度かアタックしましたがダメでした)。

曽木駅跡

上記3駅を抜けて、たどり着いたのは曽木駅跡です。



曽木駅は、起点から14.6kmに位置する駅です。1面1線の棒線駅で、駅舎のみが現在も残されています。



駅名標も掲げられていますが、全体的に地味な雰囲気。中にも入れましたが、駅であったことを示すものは残されていませんでした。



駅舎の裏手はこんな感じ。左にあるのがホームへ通じる通路、その脇にはトイレも残されています。

隣の川水流駅は撤去済みのため、一つ飛ばして上崎駅まで進みます。

上崎駅跡



上崎駅は、起点から19.9kmの位置に設置されていた駅です。ホームは五ヶ瀬川に面しており、延岡方には対岸を通る国道218号線(通称「神話街道」)から分岐してこちら側とを結ぶ上崎橋がそびえています。ちなみに、上崎の集落は国道沿いに広がっており、現在運行されている代替バスの上崎バス停も国道沿いに設置されています。



線路こそ撤去されているものの、駅設備はほぼ現役当時のまま残されていました。



こちらも駅名標が残存しています。イラストが楽しいですね。

早日渡駅跡



延岡より24.9kmの所に設置されていたのが、早日渡駅です。ちょうど路線の中間辺りにあった駅になります。画像は残されている駅舎。



駅舎内には、ホームに設置されていたものを移設したと思われる駅名標が。撮影はガラス越しとなりますが、残そうと言う気持ちが嬉しいですね。



駅舎の裏にあったホームは跡形もありませんでした。だいたいこの辺りにあった、と言う場所を記録して撤収しました。

早日渡~槙峰間は線路が宙吊りになるなど台風被害が大きく、現在もその痕跡が残されている様です。

槙峰駅跡

橋梁が流されるなど被害の大きかった延岡~槙峰間に比べ、槙峰~高千穂間はまだ復旧できるレベルであった様です。高千穂線の廃止は二段階に分けられ、延岡~槙峰間が一次廃止対象に、またそのタイミングで槙峰~高千穂間は休止となりました。これは高千穂線の存続を模索した結果でしたが、最終的には全線が廃止となってしまったのはご存知の通りです。

そんな槙峰駅は、現役当時の姿を色濃く残しています。



延岡から29.1kmに位置する槙峰駅。1面2線の交換可能駅でした。



駅舎脇の階段を降りると、すぐに広がるこの光景。線路が無い以外は完全にそのままの姿で佇んでいました。



今まで触れていませんでしたが、駅名標が残っている駅は隣に時刻表も一緒に残っています。1~2時間に1本の運行で、延岡方面に時刻表には延岡駅で接続するJR日豊本線の列車まで記載されています。
なお、「トロッコ神楽号」と表記のある列車は、トロッコ型車両であるTR-400形を使用して運行されていた観光列車です。2003年に導入されたTR-400形でしたが、2年後には路線が台風被害に遭ってしまったため、高千穂鉄道での実働はわずか2年でした。その後、JR九州に譲渡され、キハ125形400番台に改造された上で特急「海幸山幸」で使用されています。



高千穂方を見る。

全線が廃止となってしまったのは残念ですが、まあ…ここから高千穂方だけで路線が成り立ったかは、正直分かりませんね。。。

日向八戸駅跡



槙峰の次は、起点から31.5kmの位置に設置されていた、日向八戸駅です。地域公民館を併設していた駅舎は現在も「八戸黎明館」として現役です。屋根のオレンジ色が眩しいですね。



駅舎脇のホームは現役の頃の姿を残しています。高千穂線の駅は割と残っているから楽しいですね。



駅名標も健在です。

第三五ヶ瀬川橋梁

さて、日向八戸駅の次は吾味駅を紹介したい所ですが、ここで駅ではなく橋梁を一つ紹介したいと思います。



日向八戸~吾味間で五ヶ瀬川を渡る橋梁、それが第三五ヶ瀬川橋梁です。



高千穂線は終点高千穂までに間に何度も五ヶ瀬川を渡りますが、橋梁の形状は様々です。その中でも、この第三五ヶ瀬川橋梁は、非常に迫力のある外観をしており、高千穂線の廃線跡を代表する建造物の一つと言えるでしょう。ちなみに私も、この橋梁の写真に魅せられて今回の旅行を企画しました。笑



吾味方面から。この橋梁、現在は遊歩道の一部となっており、上面は舗装されています。



日向八戸方より。先には吾味駅の特徴的な駅舎が見えていますね。では、先に進んでみましょう。

吾味駅跡



起点より32.9kmの所にあったのが、吾味駅です。第三五ヶ瀬川橋梁のたもとにあるこの駅は、三角屋根の待合室が特徴的な駅でした。



駅名標や時刻表も元のまま残されています。線路跡は道路に転用されており、この駅の手前で遊歩道となっている線路跡と生活路とに分岐しています。



駅前は廃道が通っており、全体的に暗いイメージのある駅でした。。。

日之影温泉駅跡

ここで断りを入れなければならないのですが、実は日之影温泉駅の画像は1枚しかありません…というのも。



こちらにはTR-100形を利用した「TR列車の宿」と言う宿泊施設があり、我々もここで一晩を過ごしたのですが…その際車両に気を取られすぎて、残存している駅施設の写真を撮るのをすっかり忘れました。苦笑
そのため、文章のみで失礼します。

日之影温泉駅は、延岡より37.6kmの場所に設置されていた駅です。日之影町の中心地であり、1面2線の交換可能駅で、駅舎には駅名の由来となった日之影温泉の日帰り入浴施設が併設されていました。
2005年9月の台風14号の被害は当駅でも大きく、前後の区間の線路が曲がり、バラストが流出しました。その後も駅施設は残されていましたが、2010年になって「TR列車の宿」がホーム上及びに片面の路盤上に設置されることとなり、ホーム上の構造物はは駅名標と電灯を残して撤去されました。

現在は護岸工事(?)が行われており、また風景が変わろうとしています。工事が完工した頃にでもまたちゃんと取材に行きたいところ。

さて、隣の影待駅は訪問ができないとのことなので、飛ばして深角駅へと向かいます。

深角駅跡



起点より44.0kmの位置に設置されていたのがこちら、深角駅です。



正直…この駅は一体どうして存在しているのか?と言うのが、素直な感想でした。と言うのも、周りに本当に何も無いんです。いや本当に。
国道218号線から分岐して一気に斜面を下りた先にある駅なのですが、その道がまず分かりにくい上、そこからどこかへ行ける訳でも無い…至極アクセスが悪く、本当にどうしてこんな所に駅を設けたのか全く理解できませんでした。。。



とは言え、駅施設自体は線路も含めて残されており、線路上には何やら不思議な物体が置いてありました。待合室内に飾られた写真を見ると、春は桜が綺麗に咲き誇る様ですね。そんな時にまた来てみたい…かもしれません。



個人的に、雰囲気としては訪問した中では一番好きでした。

高千穂橋梁

先ほどに引き続き、橋梁の紹介です。



高千穂線を全国的に有名にしていたのが、この高千穂橋梁でした。それもそのはず、この橋は水面からの高さが鉄道橋としては日本一であり、その高さはなんと圧巻の105m!



下に回り込んでみると、その大きさに圧倒されます。訪問時は曇りでしたが、その天気が逆にこの橋梁の荘厳さを際立たせている気がします。



渓流沿いを進むと、この橋を下から一望できるポイントを見つけました。この写真を見ていだたければ、その高さを実感できるのではないでしょうか。



更に直下から望めるポイントへ。あまりの迫力に言葉を失う一行なのでした。

天岩戸駅跡

先ほど紹介した高千穂橋梁のたもとにあるのが、天岩戸駅です。



延岡からは47.9kmの所に有り、高千穂駅の一つ手前の駅です。現在は、高千穂あまてらす鉄道が「スーパーカート」が当駅を経由して高千穂橋梁まで運行していることから、駅構内には立ち入ることができません。



駅名標や待合室も残っており、他の方の訪問記を見るに待合室内には時刻表も残されている様です。

高千穂駅跡

さて、いよいよ高千穂線の終点、高千穂駅まで来ました。



最初にもお伝えしたとおり、高千穂線は全長がちょうど50.0kmであり、もちろんこの高千穂駅は起点である延岡から50.0kmの場所にあります。



駅自体はホームが1面のみの単純な構造ですが、構内には車庫が併設されており、運行拠点としての役割も担っていました。



現在は高千穂あまてらす鉄道が駅構内を管理しており、営業日には中に入ることもできます。また、車庫内には高千穂線で実際に使っていた気動車(TR-101、202)が保存されています。



今までの駅跡に残されていた駅名板はイラスト付きでしたが、こちら高千穂駅の駅名板は沿線の観光名所等の画像を印刷したものになっています。近年交換された様ですね。

ちなみに、高千穂駅は市街地から一段下りた場所に設置されています。そのため、上部にある県道から駅までの通路が設置されています。



現在も「高千穂鉄道 高千穂駅」の表記が残る入口。ここの階段を降りると、先ほどの掲載した駅舎の前に出ます。



駅を跨ぐ県道からは、構内を一望することができます。左に見えるのは、高千穂あまてらす鉄道が運行している「スーパーカート」。現在は客車1両を機関車2両で挟むプッシュプル方式の列車が運行されており、その姿はかつての高千穂線の車両を彷彿させます。

さて、いかがでしたでしょうか。高千穂線は今でも多くの駅や遺構が残されており、非常に巡り甲斐のある路線でした。
しかしながら、昨年8月に細見駅が解体撤去されてしまった様に、廃止から10年以上が経つ現在においても撤去の動きは続いています。また、亀ヶ崎や影待の様に訪問すること自体が困難となっている駅もあり、今回ご紹介した駅もいつまでその姿を見ることができるかは分かりません。

気になる方は、是非早めに沿線へと足を運び、変わりゆく高千穂線の今の姿を目に焼き付けて頂けたらと思います。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。