あの車両を訪ねて

全国の保存・放置車両を訪ねています。

国鉄ED15 1、ED78 1、JR貨物EF200-901/日立製作所水戸事業所

2018-09-09 | 茨城県


日本が世界に誇る電気機器メーカー、日立製作所。その中でも、鉄道関連事業と昇降機(エレベーターやエスカレーター等)を開発・製造しているのが、ひたちなか市にある水戸事業所です。
そんな水戸事業所の中には、日立製作所で製造された3両の電気機関車が保存されています。今回は、日立に縁の深いこれらの車両をご紹介します。



日立製作所水戸事業所は、当然ながら企業敷地となっており、普段は一般人が立ち入れる所ではありません。しかしながら、毎年6月の第一土曜日に「さつきまつり」と称した一般公開イベントが行われており、私も今年のさつきまつりに参加した上で撮影を行いました。

勝田駅前からシャトルバスに乗り込み、専用線の廃線跡を横目に揺られること10分程。広大な事業所の北東にある門からバスで乗り入れると、機関車たちは分かりやすい所に設置されていました。



まず手前に見えてくるのは、赤い車体が印象的なED78 1。交流専用機として1968年から製造された同形式は、新製された14両(901号機も含む)全てが日立製作所製です。
2015年までは利府駅近くに有る新幹線総合車両センター内に保存(放置の様なものですが)されていましたが、その後当地に移設、修復が行われて綺麗な姿を取り戻しました。
2016年は「あけぼの」、2017年は「かもしか」のHMを掲げて公開された同車、今年は「つがる」のHMを掲げての展示となりました。



ED78 1の後ろには、不遇な運命を辿った形式、EF200形の試作機、901号機が保存されています。
EF200形は、1990年に製造が開始された直流電気機関車です。JR貨物が民営化後に初めて開発・製造した形式であり、東海道・山陽本線の輸送力増強に大きく貢献しました。
ですが、その有り余るパワーは次第に過剰性能として認識される様になり、主要部品の確保も難しくなって来たことから2008年頃から廃車となる車両が出始め、現在は全車が定期運用から外れています。

そんな悲運なハイパワーロコ、EF200形ですが、901号機は2016年に製造元である当事業所へと移送され、旧塗装に戻された上で保存されています。この色、本当に格好良いですね。
事業所内に安住の地を得たこれら2両のカマたち。末永い保存を期待したいですね。

敷地内にはこれら2両とは別の場所に、もう1両、古典機が保存されています。



ED15 1。さすがに古すぎて、私自身も知識がないので受け売り程度に。
ED15形は、国鉄の前身である鉄道省が1924年に登場させた形式です。とは言っても、製造を担当した日立製作所は鉄道省からの注文が無い状態で製造を開始したとか。
何が凄いかと言えば、この形式は日本で初めて民間が設計から製造までを行ったものであること。鉄道省自体はED40形を大宮工場で製造していましたが(これは国産初の電気機関車)、民間が全て行ったのは当形式が初めてだったそうです。日本の鉄道史に残る偉業を、今からおよそ90年も前に成し遂げたメーカー、それが日立製作所なのです。

そんな記念すべき1号機は、水戸事業所の緑多き敷地内の一角に鎮座しています。今までも、そしてこれからも、日本のトップメーカーを見守ってくれることでしょう。

〈物件データ〉
設置場所:茨城県ひたちなか市 日立製作所水戸事業所内
公開時間:毎年6月第一土曜日(公開内容は要確認)

撮影データ:2016年6月2日10時半頃




鹿島鉄道記念館の保存車両群/鹿島鉄道記念館

2017-08-15 | 茨城県


2007年3月末で全線が廃止となった鹿島鉄道線。廃止時に保有していた旅客用車両は9両でしたが、その内6両が廃止後に保存され、現在もその姿を留めています。
今回ご紹介するのは、それらを保存している施設の中でも見学するのが難しい「鹿島鉄道記念館」にて保存されている3両です。



鹿島鉄道記念館は、その名の通り鹿島鉄道で活躍していた車両や部品、それに駅や沿線で実際に使われた施設などを保存している施設です。運営は鹿島鉄道保存会と言う団体が行っており、一般参加者向けの公開は今までに4回しか開催されていないと言う非常に訪問の難しい施設となっています。今回ご紹介する画像は、昨年7月に開催された一般公開で撮影したものとなります。

同館には、キハ431、キハ714、そしてKR501の3両が保存されています。



貸切バスで保存館の前へと到着し、中へとはいると、まず目に入るのがキハ431です。とは言え、車両にぴったりと沿う様に建屋が設置されており、前面や画像と反対側の側面は満足に見ることは出来ません。ですが、車内は綺麗に保たれており、車体の状態もとても良いものでした。

隣接する建物の中に入ると、そこには所狭しと並べられた鹿島鉄道に関する品々が。大きなものだと玉里駅に設置されていた「待合室」があったりと、その膨大な収蔵数にただただ圧倒されました。
そして建物の中程まで進むと、キハ431と共に活躍していたキハ714、KR501の2両が鎮座していました。



キハ714は、元々北海道の夕張鉄道で活躍していた車両です。路線の廃止後にこちらへと入線し、鹿島鉄道線にて二度目の路線廃止を経験します。その後は当館で大切に保存されており、画像の通り前照灯等の灯火類も点灯することができるそうです。



そしてお隣にいるのは、1989年に製造された鹿島鉄道最後の新製形式、KR500形のトップナンバーであるKR501です。新潟鐵工所のNDCシリーズの1つであり、KR501~505の4両(504は欠番)が製造されました。KR501は当館で、またKR505はほっとぱーく鉾田で保存されていますが、502と503は廃止後に解体されています。
KR501もキハ714と同じく灯火類が点灯する状態で保存されており、画像でも行き先表示機が点灯しているのがお分かり頂けるかと思います。

鹿島鉄道は今年で廃止から10年となりましたが、現在でもこうして車両が大切に保存されているのは、それだけ地域から愛された鉄道だった証拠ではないでしょうか。
鹿島鉄道保存館の次回の公開は未定とのことです。見学を希望される方は、同会のフェイスブックページをチェックのこと。

なお、今回ご紹介した画像の掲載は、公開日当日に会員の方から許可を得ております。また、防犯その他の理由により保存館の位置は非公開となっておりますのでご注意ください。

〈物件データ〉
設置場所:鹿島鉄道記念館(詳細は非公開)
公開時間:定期公開日は無し

撮影データ:2016年7月31日10時半頃


鹿島臨海鉄道7000形7001、7002/ザ・ヒロサワ・シティ

2017-05-18 | 茨城県


JR水戸線、関東鉄道常総線、真岡鐵道線の結節点である茨城県は下館駅。そこから車で15分程行ったところにある「ザ・ヒロサワ・シティ」に、ここ数年で多くの車両が集められているのをご存知でしょうか?
今回はその中でも知名度の低いであろう、鹿島臨海鉄道7000形をご紹介します。



鹿島臨海鉄道7000形は、1992年に日本車輌製造にて製造されました。7001、7002の2両1編成のみが製造され、快速「マリンライナーはまなす」として大洗鹿島線のスター的存在となりました。
しかしそれも長くは続かず、1998年には同列車が廃止となり、その後は波動用として在籍。2010年に検査が切れ、約18年でその生涯を閉じました。
2015年に搬出され、安住の地となるザ・ヒロサワ・シティへと到着、現在に至ります。



同地では関東鉄道から来たキハ101、102の後ろ、かつJR東日本のEF81 138+24系の隣に設置され、ホーム上から車内の様子を見ることができます。
車体は搬入した当時のままなので傷みが激しい状態となっていますが、今後整備されて行くとのことなので、期待したいところですね。

〈物件データ〉
設置場所:茨城県筑西市 ザ・ヒロサワ・シティ内
公開時間:不明(ゴルフ場の営業時間に準ずると思われますが、公式サイトに記載無し)

撮影データ:2017年1月28日16時半頃