あの車両を訪ねて

全国の保存・放置車両を訪ねています。

JR東日本キハ40形キハ40 1002,1005,1007/那珂川清流鉄道保存会

2017-10-08 | 栃木県


JR烏山線の終点、烏山駅からバスに揺られること15分。那珂川脇の道沿いに突如現れる幾つもの鉄道車両…。初訪問の際にこんな光景に驚かれた方は、このブログをご覧の方なら多いかもしれません。
今となっては多くの保存車ファンから知られる存在となった、「那珂川清流鉄道保存会」。今回は、今年の5月に新しく仲間入りした、キハ40形3両をご紹介します。



2017年3月改正にてEV-E301系「ACCUM」へと置き換えられ勇退した、烏山線のキハ40形。現役当時は8両が配置されていましたが、この内キハ40 1009は山口県の錦川鉄道へと譲渡され、運行を開始したのは記憶に新しい所です。
そして残る7両の内、1002、1005、1007が5月下旬に当地へと陸送され、無事保存されることとなりました。



3両はそれぞれ異なるカラーの車両が選定され、この1002は烏山線色となっています。烏山線では国鉄時代からこの塗装が採用されており、実に30年もの間烏山線色の車両が走り続けて来ました。そのため、同線のキハ40形は全車が首都圏色よりもこの烏山線色を纏っていた期間が圧倒的に長いと言うのは特筆すべきポイントかと思います。当地に移動後に屋根が設置され、多少窮屈そうではありますが、綺麗に保存されている様子でした。



1002の隣には、国鉄気動車標準色となった1007が据え付けられました。ご存知の通り、キハ40形にはこの塗装が施されたことはありませんでしたが、2010年頃にこの1007と1003が標準色へと塗り替えられました。その後はJR東海やJR西日本も同様の塗装を施しており、そのはしりとなったと言えますね。必ずしも似合っているとは思いませんが、この色の車両も保存されたのはありがたい限りです。



1002と1007が格納されている建屋とは線路を数本挟んだ所に、首都圏色の1005が鎮座しています。キハ40形と言えばこの塗装を思い浮かべると言う方も多いのではないかと思いますが、先述の通り烏山線ではあまり長く見られたものではありませんでした。こちらの1005は2013年に首都圏色に塗り替えられ、3月の引退を迎えています。

この那珂川清流鉄道保存会では非常に近くで車両を見ることが出来るので、現役時には撮影することのできなかったカットなども撮影することができるかも。
他にも多くの車両がいますので、気になる方は是非訪れてみてください。

〈物件データ〉
設置場所:栃木県那須烏山市 那珂川清流鉄道保存会内
公開時間:当日の担当者様の都合によるとのことなので、訪問時は事前に問い合わせを。

撮影データ:2017年8月28日13時半頃








岡山電気軌道3000形3010/チロリン村

2016-04-16 | 栃木県
更新間隔が空き気味で申し訳ありません。最近あまり鉄道趣味に時間を割けていませんが、マイペースに更新をしていこうかと思うので、どうか気長にお待ち頂けると幸いです。

さて、今回ご紹介するのは、山の中でひっそりと余生を送る、こんな車両です。



栃木県の観光地、日光から県道169号線、通称「霧降高原道路」に入り、しばらく走ると、突如左手に色鮮やかな路面電車が姿を現します。



都会で出来ない様々な遊びを体験することができる「日光霧降高原チロリン村」、その中でも一番手前に構えるショップの脇に鎮座するその車両は、岡山電気軌道3000形3010号です。
なぜ岡山の車両が日光の山奥に?と思われる方もいらっしゃるかもしれません。実はこの車両、元を辿れば東武日光軌道線の100形と呼ばれる車両でした。

1968年まで日光の街をコトコトと走っていた日光軌道線の最後の新造車として、連接構造の200形と共に活躍した100形。同線の廃止後は岡山電気軌道に全車が移籍し、現在も2両が活躍を続けています。



3010号は東武時代は100形109号を名乗っていました。引退を記念して日光軌道色へと復元され、2013年4月に引退。その後、当地に運ばれ、以来保存されています。

ささやかなホームも設けられ、訪れる人々の注目の的となっていました。

〈物件データ〉
設置場所:栃木県日光市 日光霧降高原チロリン村内
公開時間:9時~16時(車内非公開)

撮影データ:2015年8月12日17時頃





東京都交通局170形175、国鉄D51形D51 947/三和テッキ 宇都宮事業所

2015-08-25 | 栃木県
東京都に於いて、都バスや都営地下鉄、日暮里・舎人ライナーの運行を行っている事業者が、ご存知「東京都交通局」です。
この東京都交通局、以前は都電と呼ばれる路面電車の路線網を23区を中心に運行していたことは周知の事実かと思います。現在も早稲田~三ノ輪橋間で荒川線が残っており、生活の足として活躍しています。
そんな都電の車両は、引退した後も多くの車両が保存されています。今回の記事からは、そんな都電の保存車両達をしばらく特集してみたいと思います。



栃木県の中心地、宇都宮市の郊外。工業地帯の一角に、主に架線部品などを製造している(株)三和テッキの宇都宮事業所があります。
そして今回ご紹介する車両は、その敷地内にある「鉄道広場」にて大切に保存されています。



都電170形175。同形は他に保存例はなく、数ある都電の保存車両の中でもかなり古参格の車両です。
元々は王子電軌220として1927年に製造され、その後路線が東京都に買収された際に170形175へと改称されました。その後は1967年まで運用を続け、引退後は同年に開所した三和鉄軌工業(当時)宇都宮事業所へと保存されたそうです。
引退時は黄色に赤帯のスタイルでしたが、その後の補修工事でクリームにえんじの帯へと復元。更に2011年には荒川車庫にて保存されている6000形6086の復元にも携わった業者に依頼し、現役最末期の姿へと徹底的に復元したんだとか。



復元後は専用の建屋に収められ、とても大切にされています。

なお、同じ敷地内には、箱根から運び込まれたD51 947も保存されています。



箱根にて保存されていたものの、処分されることになったところを同社が引き取り、2012年から展示しているそうです。こちらもコンディションは抜群であり、希望者には組立・搬入を記録した映像の上映もあります。

これらの車両は、月に一度予約制の一般公開を行われています。係の方が懇切丁寧に説明をしてくださるので、都合を合わせて一度行ってみてはいかがでしょうか。

〈物件データ〉
設置場所:栃木県宇都宮市 (株)三和テッキ 宇都宮事業所内「鉄道広場」
公開日時:毎月第二金曜日

撮影:2015年8月7日午後2時頃