あの車両を訪ねて

全国の保存・放置車両を訪ねています。

のと鉄道NT100形NT102/蛸島駅付近

2016-10-03 | 石川県
さて、長らく続いた北陸遠征の記事も、今回が最後となります。
そして、恐らく今回の遠征で、最も衝撃的な姿をした車両でした。



能登線の終点、蛸島駅。同駅の現況は先日ご紹介しましたが、その蛸島駅から数百m離れた築堤上に、ポツンと残された車両がありました。



ホーム上からも確認することができるこの車両。近づいてみると、その正体が明らかになりました。



NT100形NT102。前回、前々回に引き続きご紹介する、NT100形です。しかしながら、その状態は3両の中で最も悪いと言っても過言ではないでしょう。
能登線の廃止時、単身で蛸島へと回送された同車。廃止から数年はNPO法人の手によって動態保存され、幸運な余生を過ごしていた…筈でした。しかしながらそれも長くは続かず、少なくとも5年以上は放置されている様です。

草の生い茂る時期に行ってしまったのも失敗だったかとは思いますが、それが無くても状態は本当に酷いものでした。トップ画像でも分かるとおり、サイドミラーを始め脱落している部品がとても多い…。



最後は下から。藤波駅付近のNT123もそうですが、形のある内に答えを出してもらいたいと、そう願わずにはいられません。

〈物件情報〉
設置場所:石川県珠洲市 蛸島駅付近

撮影データ:2016年6月12日17時頃


のと鉄道NT100形NT123/藤波駅付近

2016-09-18 | 石川県
廃線になる路線では、当然ながら、そこで使われていた車両の処遇も問題となってきます。他線区やに転用されたり、他社に譲渡されたり、はたまたイベント用に改造されたり。そうして長生きする車両もいれば、路線と運命を共にする車両も少なからず存在します。
今回ご紹介するのは、そうして運命を共にした挙句、現在もその行先が定まらない、まさに「不遇な」車両です。



以前能登線の廃駅巡りの記事をアップした際、線路が残っているとご紹介した藤波駅付近。草ばかりの同駅から波並駅の間の跨線橋の下に、現在も眠り続けている車両がいることをご存知でしょうか。



こちらは、NT100形NT123…能登線の路線廃止と共に廃車となったNT100形の内の1両です。ウィキによると、廃止直後は宇出津駅跡に留置されていたそうですが、同駅のレール撤去に伴い、レールの残る当駅付近へと移動されて来たとか。
跨線橋の下に停められているため、思ったより状態は良い様に見えました。



側面に回り込んでみると、能登空港開港をアピールする車体広告が。書かれている日付が10年以上前のものであることに、月日の流れを感じます。。。



跨線橋の下とは言え、車両全体が覆われている訳ではなく、穴水側の前頭部から数mは完全に露天に晒されています。車両の目前まで樹木が迫っており、こちら側の前頭部をちゃんと記録することは不可能でした。



遠景。

車両自体は残っているものの、設置当時の思惑はいざ知らず、現在もここに残されている意義はあるのか無いのかと言った状態である同車。個人的には綺麗に整備して展示してもらえたらと思いますが、現実は厳しいでしょうね。
道なき道を歩きながらの訪問となりますので、行かれる方はどうぞお気をつけて。

〈物件データ〉
設置場所:石川県能登町 旧藤浪駅付近

撮影データ:2016年6月12日13時頃







のと鉄道NT100形NT127、NT800形NT801, 802/穴水駅

2016-09-07 | 石川県
北陸遠征から3ヶ月も経っているのに、まだ巡った物件のうち半分程度しか紹介することが出来ていません…いい加減焦らないと、と思う今日この頃。
と言う訳で、今回も北陸遠征で出会った車両をご紹介したいと思います。



現在はのと鉄道の終着駅となっている穴水駅。広大な駅構内には、車両基地も備えています。七尾線の穴水~輪島間、そして能登線が廃止されるまでは、両線の分岐するターミナルとして機能していた当駅ですが、当日は人も少なく、寂しげな改札口が印象的でした。
そんな穴水駅の現在は使われていない0番線に、今回ご紹介する車両たちは、静かに佇んでいます。



入場券を購入し、改札口を抜け、1番線を進むこと数十m、頭端式のホームが見えてきます。そしてそこには、3両の車両が連なっています。
まず手前側の2両、見た目からしてデラックスなこの編成は、急行「のと恋路号」に使用されていたNT800形NT801, 802です。
1988年の転換時から運行を開始した「のと恋路号」の専用車として2両が製造されましたが、2002年に「のと恋路号」が廃止となったために団体専用車両へと転用され、2005年の能登線廃止と共に廃車となり、現在は当地にて保存されています。
どうやら待合室としても利用されている様で、訪問時は車内に立ち入ることができ、冷房も効いていました。



続いて3両目、こちらはかつて主力として活躍したNT100形の残党、NT127です。能登線、そして七尾線の転換時に合わせて26両が製造されたNT100形ですが、エンジンが稼働する状態で残っているのは同車のみだとか。
このNT127は1998年に車内が畳敷きへと改装されており、「やすらぎ」と言う愛称も付けられています。現在は団体客用の待合室となっている様でした。

3両共前回整備時に塗装が現役時よりも明るいものへと変更されました。色味を見るに、現在活躍しているNT200形に使われる塗料を使った…と言ったところでしょうか。

ホームからだと上手く全体を記録できないため、改札を出て駅外からも撮影。



こうして見てみると、現在でも綺麗に維持されていることがよく分かります。しかしながら、固定された室外機が、この車両が既に役目を終えていると言う事実を無言で突きつけて来ました。。。



エンジンが稼働状態にあるNT127も、状態は良さそうでした。稼動状態にある同車、果たして今後動く機会はあるのか。

列車が到着すると、たまにホームの片隅のこれらの車両たちに会いに来る人たちがおり、余生を過ごす車両たちと共に、ゆったりとした時間を送っている様でした。

〈物件データ〉
設置場所:石川県穴水町 のと鉄道七尾線穴水駅構内
公開時間:駅の営業時間と同じ(車内開放時間は不明)

撮影データ:2016年6月12日11時半頃

大井川鉄道6010系モハ6011、クハ6061/道の駅山中温泉ゆけむり健康村

2016-08-06 | 石川県
引き続き、北陸遠征で訪れた保存車両をご紹介します。



福井県との県境を目前に控えた、加賀市の山間。温泉地の少し外れに位置する「道の駅山中温泉ゆけむり健康村」の片隅に、ひっそりと置かれた銀色の車両…大井川鉄道で活躍した、6010系「しらさぎ号」です。



この6010系、大井川鉄道で活躍した、と前述しましたが、何故静岡から遠く離れた石川の地で保存されているかと言うと、実はこの車両、北陸鉄道が製造したものなんです。

1963年に、6000系6001Fの増備車として登場した当編成。旧型車から機器を流用したため、6000系と同じ鋼製車体だと重すぎると判断され、日本で2番目となるアルミ車体が採用されました。
登場後は現在は廃止となった加南線で山中温泉への行楽輸送に従事しましたが、1971年に同線が廃止となったため、大井川鉄道へと譲渡され、1990年代後半まで活躍しました。

廃車後しばらくは千頭駅構内に留置されていましたが、2005年に山中町が保存を申し出たため、里帰りが実現。以降現在に至るまで、縁の地で余生を過ごしています。



山中温泉へと鉄路が伸びていたことを無言で伝える6010系。ゆったりと温泉に浸かりにくるついでに、ぶらりと会いに行ってみては。

〈物件データ〉
設置場所:石川県加賀市 道の駅山中温泉ゆけむり健康村内
公開時間:9時~18時

撮影データ:2016年6月11日19時頃

北陸鉄道モハ3760形モハ3761/能美市立博物館

2016-07-28 | 石川県
さて、ここからは前記事で予告した通り、石川県保存車巡りの旅にて訪問した物件をご紹介して行きたいと思います。

まず始めは、こんな車両から。



金沢駅の近辺で車を借り、そこから内陸方面に向けて南下すると、能美市に入ります。そして更に走ること十数分、目的地である「能美市立博物館」へと無事到着。
こちらで保存されているのは、北陸鉄道石川線で活躍したモハ3760形モハ3761です。



このモハ3761、かつて手取川の対岸に位置する鶴来から北陸本線寺井(現:能美根上)までを結び、1980年に廃止となった能美線でも活躍していた経歴があるそうで、2006年の廃車後はその縁で当地へと保存されました。



見ての通り非常に良好な保存状態を保っています。脇に設置されているホームからは、車内へと自由に出入りすることができ、撮影時も親子が戯れていました。

さて、このモハ3761ですが、他ではあまり例の無い、非常に興味深い展示方法がされています。それは…?



なんと、各扉を自由に開閉することが出来るのです。
この画像では前面の貫通扉のみが開いていますが、乗務員扉や、ホーム側の乗降扉、更には運転室仕切りも自由に開閉することができ、我々も慎重に扱いつつ楽しませて頂きました。

北陸鉄道の古き良き時代を垣間見ることの出来る、古めかしい電車。今日も子どもたちの歓声と共に、ゆっくり余生を送っています。

〈物件データ〉
設置場所:石川県能美市 能美市立博物館内「のみでん広場」
公開時間:9時~16時半(月曜日除く)

撮影データ:2016年6月11日16時半頃