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朝倉と斉明天皇

2019-05-05 13:01:58 | 日記

 ちょっとしたきっかけで、

朝倉の斉明天皇のことを読んでいたら、

大発見!(個人的に)

 

朝倉には、「夏姫物語」という伝説があります。

地方の豪族から、美しいいい子女を朝廷に奉公させる「采女」(うねめ)で、

朝倉から差し出されていた夏姫という娘がいました。

この夏姫は、斉明天皇からとても寵愛されていました。

夏姫は、朝倉の地で伊予の大領越智守興(もりおき)と恋仲になり、

越智守興が出兵した後、子供を身ごもっていることがわかり、

斉明天皇は夏姫の身を案じて、

出産の屋敷や召使いらの屋敷まで造って、

大切にされました。

そして無事男の子を出産しました。

斉明天皇は喜び、その子を小千皇子と呼びご成長を祈願しましたが、

夏姫は産後の日立ちが悪く、亡くなってしまい、

子供も育ちが悪く、後を追うように亡くなってしまったのです。

夏姫を慕っていた里人は、夏姫を子守神社として、

小千皇子を皇子神社としてお祀りしたそうです。

という話です。

ここからです。

斉明天皇の子の天智天皇(中大兄皇子)には、

たくさんの側室がいましたが、

その中に遠智娘(おちのいらつめ)という娘がいました。

この遠智娘は、3人の子供を出産しています。

 大田皇女(おおかのひめみこ)・女・・・・・天武天皇の妃となるが、天皇即位前に亡くなる

 鸕野讃良皇女(うののさららのひめみこ)・女・・・・・天武天皇の后、→持統天皇

 建皇子(たけるのみこ)・男・・・・・あまり育たず口もきけずに亡くなった、 とのこと

どうです?

この建皇子、ひょっとして、夏姫の子だと思われません?

斉明天皇が采女の夏姫をいくらかわいがっていたとはいえ、

地方の大領との子を生むために屋敷を建てたり召使いをつけたり、

その子に皇子の名前をつけたりするでしょうか?

天智天皇との子であったら、そうしますよねえ。

まして、男の子ですから。

そう思いますよねえ。

びっくり発見です。

それと

この遠智娘は、すごいです。

天智天皇の側室で、持統天皇の母なんですから。

皇室の血になっているんです。

さらにこの遠智娘、蘇我遠智娘といい、

蘇我入鹿のいとこの子なんです。

そして、斉明天皇のお墓は、越智崗上陵(おちのおかのえのみささぎ)って言うんです。

早口で、追ってしまったようですが、

斉明天皇と朝倉のつながりは尋常ではなかったことがよくわかります。

朝倉には、斉明天皇のお墓と言われているものもあります。

須賀神社では、斉明天皇を祭神として祀ってます。

朝倉には天皇橋もあり、斉明という地名もあるようです。

斉明天皇から天智天皇・天武天皇・持統天皇・文武天皇と、

この遠智娘は存在感バリバリです。

今治朝倉はすごい!!!!

私が見つけた感動、伝わりました?

つづきます。

 

 

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