小歴小酒小本

周辺の神社、仏閣を探索して、力をもらっています。

今治の条里制 つづき

2013-12-30 11:39:54 | 日記
 条里制の基準地のことですが、唐子山と近見山とを結ぶ線では、とのこと。

昔は今のように高い建物もなく、見晴らしはすごくよかったはずで、動かない基準地としては

最適でしょう。


また、近見山と対比して遠見山(海山城の山)もあったとか。富田地方から近見山は大きいの

で近くに見え、海山城の山は、遠くに見えたのでしょう。

でも富田地方から本当に海山城の山が見えたのでしょうか?


太古の今治は、推測するに、どちらかというと東側の頓田川周辺や、朝倉地方が中心地だった

よう。


 同時期、朝倉には斉明天皇由来のものが、たくさんあります。

万葉集にある熟田津(にぎたつ)は、道後ではなく、今治の朝倉だ!との説もあります。

私は、この方に興味があります。

なんか、おもしろい。
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今治の条里制

2013-12-29 17:17:53 | 日記
 今治の町は、北西から東南にのびる海岸線と、その海岸線に垂直に走る線のきれいな碁盤の

目のようになっているのをご存じでしょうか。

 これは、7,8世紀の条里制のなごりです。


今治は、1400年ほど前に京都と地方の国府を結ぶ太政官道である南海道の伊予の終点でし

た。国府の場所は未だに特定されていませんが、歴史ある立派な町だったのです。

 今、たまたま、JA富田支所の横で発掘調査がされていますが、これは万が一「国府跡」が

でてくるかもとの期待もちょっとはあるのでは、と思います。


 海岸線から垂直に伸びるのは、北東から南西の方向で、北東の海の近くの椿森神社が鬼門、

南東の山にある仙遊寺が裏鬼門を封じているとのこと。



 富田新港から、まるひろ、上徳の湯、を通って鉄道の高架を上がると、お作札山の山頂近く

の仙遊寺が目の前に現れます。

自動車で気にしながら走っていますと、本当に、突然、堂々と目の前に現れます。


今治は、太古の昔からずっと、今も頑張っているような気がします。




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昨日の「たかじんの・・

2013-12-23 10:16:06 | 日記
 昨日の「たかじんのそこまで・・」は、気持ちがよかった。

ここ最近は、よくは見てなかったけれど、さすが年末、きれいにまとめていただいで、いい感じ。

天皇家の玄孫も、穏やかで。まる。

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中島らもさん、まだまだOK

2013-12-15 10:02:38 | 日記
 先々週くらいにブックオフで、中島らもさんの本2冊買って読みました。105円×2。

「お父さんのバックドロップ」と「白いメリーさん」。

「お父さんの・・」は、らもさんの人柄がじんわりでているようで、やさしくてよかった。

「白い・・・」は、なにがなんだか、さっぱりわからないへんな本。このわけのわからない変

な魅力?


 両極端で、おもしろかった。

私がまだ若い頃に、深夜番組で、よもよも、お話ししていたらもさんが、思い出されました。


 それから、ブックオフに行くたびに、らもさんのコーナーのところで、「らも咄」と「明る

い悩み相談室」を立ち読みしています。



らもさんに一言・・

「らもさーん、古本屋で、105円になってしもてるけど、今でも私らを、笑わさせてもらっ

てまーす。らもさん、ええでえ!」
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