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今治タオルについて

2014-06-05 14:36:31 | 日記
 先日から、妙に教会に縁があったので、いろいろ見ていたら、どうも、タオルの歴史

にかぶってしまいまして、いい機会になりましたので、今治タオルについて、調べてし

まいました。自分なりに、なるほど?のアウトラインがうかびましたので、ちょこっと

書いてみます。



①正倉院に、伊予の越智郡からの絹織物の献納あり。


②8世紀終わり頃、崑崙人たる者が三河に漂着し、綿花の種を持ち込み、温暖な西日本

 に広がり、伊予でも栽培され始めた。
       ↓

③江戸時代には、今治で綿花栽培が盛んになり、「綿替木綿」(商人が仕入れた実付き 
 
綿花を農家に渡し、農家は織った白木綿の半分を商人に渡すというもの)が定着し、 
 
今治藩が推奨した。
       ↓
       
④明治時代になり、柳瀬義富が、実家の木綿商を継ぎ綿業の基礎を築いた。
       ↓
     
⑤しかし、その後輸入品や播州の優良低廉な商品に押され、今治の白木綿は衰退してい

 った。
       ↓   

⑥柳瀬義富の甥の矢野七三郎が、紀州にて修行し、伊予綿ネルを開発した。
       ↓

⑦阿部平助が、綿ネルの機会を改造して、タオルの製造を開始した。
       ↓

⑧麓常三郎が、タオルを同時に2列織ることができる二挺バッタンを発明した。
       ↓

⑨大正元年、中村忠左右衛門が、タオルを織る前に原糸を晒す、単糸先晒縞タオルの生 
 産を始めた。
       ↓

⑩大正10年、愛媛県立工業講習所の菅原利(としはる)が、ジャガード機を開発し 
 
た。これによって、複雑な幾何学模様、華麗な色彩のタオルを織ることや、均一した 
 
製品の生産が可能になった。


こんな感じかな、と思います。どう?
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