観察 Observation

研究室メンバーによる自然についてのエッセー

解剖での黙祷

2014-02-15 16:15:52 | 14
3年 中川知己

 野生動物学研究室に入室してから一年がたとうとしている。思い返してみるとずいぶんたくさんの動物の解剖をした。リスに始まり、サル、キリン、ゾウ、トラ…とさまざまな動物を解剖してきた。今もアライグマを解剖している途中だ。
 私はトウキョウサンショウウオの調査をしているが、その一環として神奈川県でアライグマがトウキョウサンショウウオを食べている可能性があることを知り、アライグマの消化管内容物を分析したいと思った。同県内で駆除されたアライグマは日本獣医生命科学大学に保管されており、高槻先生の紹介でそのサンプルを分析させてもらえることになった。そこで、一月に同大学の解剖に参加することになった。
 学外での解剖は初めての経験であり、解剖の作業体制や技術的なことなど学ぶものがたくさんあった。なかでも、学内でおこなっている解剖と決定的に違うことがあった。それは動物への黙祷である。解剖が終わったあと円を組み、動物たちへ一分間の黙祷を捧げた。同大学の方々は黙祷することが習慣となっているようだった。皆さんの真剣な態度をみて、とても大切なことだと思った。そして、自分が研究室で解剖をおこなっても黙祷をしたことはなかったことを思い、この差は何によるものだろうかと考えた。
 解剖後の黙祷は命への敬意の表れだと思う。私たちが食事のあとにいう「ごちそうさま」もその類だと思う。日本人はこうした命への敬意を習慣化した結果、慣習として定着させたのだろう。私たちが普段何気なくやっている行動のなかにも慣習となったものが少なくない。普段何気なくやっているために、その行動のもともとの意味を理解していないことがあると思う。
 解剖後の黙祷についても、黙祷をするという慣習を機械的にやることに意味はなく、命への敬意を捧げるという気持ちを持つことによってはじめて意味があるものになるはずだ。今回の一件で、私は今までに解剖してきた動物たちに好奇心以外の意思を持ってこなかったことに気付かされた。これからは心から命への敬意を捧げたい。


戦後の子供の本

2014-02-15 03:26:10 | 14


 ご高齢の知人が、自分が持っているより、と言って動物についての子供向けの古い本を二冊譲ってくださった。一冊は松山義雄という人の「猿・鹿・熊」で副題に「日本にすむ野生動物の生活」とあり、その前には「ぼくたちの研究室」とあって、これがシリーズものであることがわかる。内容はハンターからの聞き取りや体験を記録したものだが、あとがきに次のように書いてある。
 「皆さんも、野外に出ましたときには、これら獣類といわず鳥類や昆虫類にいたるまで、こまかに観察して、その結果を克明にノートに書きとどめておいてください。」そして「物ごとを、科学的に考える第一歩は、実にこうした、ささいなところから始められてゆくものであります。」
 続けて
「もう一つ、僕たちの研究室で大切なことは、観察する人の態度の問題であります。とくに、生命あるものを研究する場合には、その対象物、動物たちに対して、深い愛情をもって、つねに接することが、根本的な条件であります。」「やがて、皆さんは、動物を愛することは、人類がたがいに愛し合うことに通じていることを、皆さんの観察や研究を通じて学ぶにちがいありません。」
 これは昭和26年、1951年の発行だから、戦争が終わって6年経ったときのものである。終戦時には旧かな使いをしていたのが、その後数年にあいだに新しい体系に変化し、文字使いや表現が改められて間もない頃だから、文体が今は使わないもので、違和感がある。私の親は今日は「けふ」、蝶は「てふ」と書かないとおかしいと言っていたのを覚えている。
 もう一冊も同じ「ぼくたちの研究室」のシリーズで、新村太朗著の「蝿・蚕・紋白蝶」で副題は「自然観察の方法」となっている。
 この本の序は印象的なので、少し長いが紹介しよう。
「中学校や小学校で勉強していられる皆さん、私は、みなさんに、かぎりない望みをかけている一人です。そして大変うらやましくも感じています。私達、今の大人が育って来た暗い日本、これからの明るい日本、暗い時代に育ってきた私達には、明るい日本を建設していくことが仲々むずかしいことです。明るい平和な日本をきずきあげる人は皆さん方のほかにないと思います。できることなら、私も、もう一度皆さんといっしょに勉強をしなおしたいと思っているくらいです。」
そして、すこし記述があったあと、「自然がはなしかけている言葉をすなおにききとるには、どうしたらよいかということをかきました。その言葉をすなおにききとり、正しい考え方を身につけることが、日本をいよいよ明るく平和にする上で大切なことです。」
 そして昆虫の生活誌が書かれ、それまでの昆虫調査といえば採集して標本にすることばかりだったが、生きている動物をよくみないといけないということが実例とともに記述されている。本書にはあとがきはないが、それに代わるように、ファーブルのことばが載せされている。
「自然界のどんなささやかな問題でも、たとえそれば、思いようによっては子供じみた問題に見えるものでも、けっして馬鹿にしてはいけない。
 科学は多くの場合、子供じみたことがらから生まれるのだ。琥珀の一片をそで口でこすり、その琥珀が小さなわらくずを引きつけることを初めて知った人は、今日の電気の発展など夢にも思わなかったでしょう。子供のように彼はうれしがっていただけだろう。
 いろいろな方法によってくりかえされ、研究されて、その子供じみたあそびは世界の一つの大きな勢力となったのだ。
 観察する物は何でもゆるがせにしてはいけない。もっと小さなことから、何がでてくるかは誰にもわかったものではないのだから。」

 こちらも同じ昭和26年に出版されている。




 私は昭和24年生まれだから、この本が出版されたのは、まだ物心つく前のことで、自分がこういう本を読むようになるのは昭和30年をすこし過ぎてからになる。その頃になると、紙質等もかなりよくなっていた。自分が読んだものは手元にないので、記憶だけでいうしかないが、私達が読んだこの種の本にはこの二冊にあるような平和への希求の強さが書いてあったとは思わない。少なくともそういう印象はない。
 これらを読んで私が感じたのは、著者には、子供に聞いてもらいたいことそのものと同時に、そう語りながら自分の思いを表出したいというところがあるということだ。とくに、新村氏の「まえがき」にはその思いがすなおに表現されている。かりにこの人が40歳代だとすると、育つあいだずっと皇国史観の教育を受け、お国のために自己犠牲すべしという空気が日本社会を覆っていたはずである。著者はそれを「暗い時代」と表現している。
 松山氏にも共通であるが、当時の大人は、さあ新しい明るい日本になった、これからは平和なよい時代がくるのだという強烈な期待をもっていたようだ。自分の子供の頃を思いかえしても、確かに大人は夢をもちながら一生懸命働いたように思う。実際に生活が年々豊かになって、うれしそうだった。地縁社会であり、皆が顔見知りで、のんびりとおしゃべりをし、町でなにか問題でもあれば、みんなで解決していた。子供にむずかしい問題があれば、よその子でもいっしょに悩んだり、老人に知恵を借りたりといった情景があった。
 こうした新しい時代への平和の希求と関係するが、随所に見られるのは、科学に対する期待である。「ぼくたちの研究室」シリーズはそうした科学への期待と、それを子供たちに教育したいという気持ちから始められたようだ。そのことは私にも思い当たるふしがある。私達は発明発見物語という類いの本をよく読んだ。そこには非科学的な戦争で敗戦したことへの反省があったのだろう。思えば、鉄腕アトムや鉄人28号などもロボットという科学機器への期待をまんがという形で表現したものなのかもしれない。それらにも科学の発展によって明るい日本の未来が約束される、あるいはしてもらいたいという気持ちがあったように思う。
 時代のもつ高揚感は、まさに社会の変革をもとめる思想書や社会科学系の本には当然書かれたであろうが、いわばそれらと無関係のような動物についての科学読み物にまでも、平和な日本のために科学的な態度をもつことを子供に期待していことが読み取れるのはおもしろい。
 平和への希求ということと連動していると思うが、もうひとつ読み取れるのは、小さいものへの関心と動物へのやさしさである。これも「もうあの戦争の時代はおわったんだ」という喜びに由来するのだろう。戦時中は「強くあるべし」と連呼され、弱腰な物は卑怯だとされた。戦争が他国民に不幸をもたらし、動物の命も顧みられなかったというつらく、哀しい記憶が、反動のような形で、小さきもの、弱きものをいたわろうではないかと語らせているように感じる。私自身の研究もシカやクマから、タヌキや昆虫や種子などに移ってきたが、小さい生き物の中に見い出されるたくましさや美しさを知ると、「こんなに小さいものもいっしょうけんめい生きていて、こんなにすばらしいんだよ」と、それを知らない人に伝えたいという思いを強く持つようになってきた。当時の大人は小さく弱いものにやさしくしてもいい時代が来たということを喜びをもって受け入れたのではないだろうか。

 紙質も悪く、日にやけて茶色くなっていて、学校の図書室などからはとうの昔に消えてしまったに違いない。だが、古い本のもつ独特の香りなども感じながらこうして手にしてみると、こういう本は大切に保管されてほしいと思った。科学的な内容は古くなっていても、まえがきやあとがきに書かれた著者の思いや、当時の社会がもっていた雰囲気を読み取ることができ、価値があると思った。


モンシロショウについての章の写真。当時のようすが偲ばれる。