見習い百姓のつぶやき

宮仕えも一段落、半農半Ⅹを本格化。農的暮らしとさまざまなⅩを悩んで、楽しんで一歩づつ。

まさか自分が、、、~それ、国家戦略?

2017-12-30 20:45:32 | 教育

 「まさか自分が…」年末年始に突然、路上生活を強いられる人々”というネット記事、現代ビジネスの配信ですが、凄まじいコメントの嵐。
 明日は我が身、それがそこに見えそうなご時世を肌身で感じている故なんでしょうね。
 松江に住んでいると、そこまでの切迫感を感じることができないのですが、ひょっとしたら、今の時期、交差点の連絡地下道で段ボールと毛布で過ごしている人はほぼないにしても、これだけ空き家が広がっていますから、ちゃっかり住みついている人もあるかもしれません。

 いやあ、スゴイ時代だなあ。
 それにしても、明日は我が身かもという切迫感を持ちながら都会に住み続ける意味は?

 田舎の大都市・松江でさえ山ほどの空き家があり、同じく耕作放棄地も山ほどあるうえ、海にも山にも近く、その気になれば山海の恵みは無尽蔵とも思えるほどにあります。
 自然の山海の恵みは、添加物や農薬・化学肥料の心配がない上、ミネラル分も豊富ですから、工夫次第でこれらの食べ物だけでも自給は可能かもしれませんし、耕作放棄地が借りれれば、お野菜もたっぷり。
 家族7人、お野菜の自家消費分は完全自給、とまではいきませんが、百姓見習いの僕でさえ、例えば、今年の大豆は4~50キロは収穫できそうですので、味噌だけ作るのであれば、200キロものお味噌が出来上がることになりますから、作付け計画をきちんとすれば完全自給は〇です。

 松江でさえこうですから、島根の隅々を見たら、もう、やたらめったらです。
 という具合に日本の国土を眺めると、どこでも生活できそうなのに、なぜ、路上生活をしてまで都会や便利そうに見える生活に執着するのか?
 僕から見れば、完全に目が曇っていると思えるのですが、そんなことさえ思い浮かばせない教育だったり、社会環境を整えているのは、経済最優先だと、国民の多くが田舎に移り住んでも困るからという国家戦略ですかねえ(^^;;

 ついつい穿って見ちゃいますね。

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2 コメント

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都会から地方への移住は大変ですョ (梶川 勇)
2017-12-30 23:09:31
たびたび反論をしているようですみません、12月21日で生まれ育った大阪から島根へ来て31年になりましたが、その間何度大阪へ帰ろうと思ったことか!(今は住むところも何も無くなりましたが)私の場合は国家戦略とかは無関係でありますが三島さんだったら勿論のこと、30年を過ぎた私でも多少は空家の状況をはじめ島根での生活手段も分かるでしょうが、都会からは見えませんし、もし空家、耕作放棄地が有ってもそれだけでは生きていけませんですが・・
時々、どうしたら江津でホームレス生活が出来るだろうかと考えるのですが都会以上に難しそうです。島根へ来て「脳出血」「C型肝炎」「胆のう破裂」「膀胱癌」そして今は「心房細動・心筋症」との戦いですが、諸天善神に守られた日々です。私にはこれしか・・・
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田舎には何もない? (管理者)
2017-12-30 23:36:51
コメントありがとうございます。

年金を貰い、炬燵に当たりながらこんなことを書くって甘すぎるかもしれませんね。

ただ、田舎には何もない、という刷り込みを教育も社会もこぞって、徹底してやってきたわけですから、自然の中で暮らすという発想は簡単には出ないと思います。
まして、直感力・直観力を伸ばすようなこともほとんどなかっただろうと思います。

桜江の反田君が、茨木だったかにいた時、1年間、軽のワゴン車で生活しながら、自力で養鶏経営を立ち上げた夫婦の話をしていました。
本来、人はこんな凄い力を持っていると思いますが、そんな力を不要とする社会を作り上げました。
今の農業後継者育成施策も、正反対で、至れり尽くせりで育つ力を削いでいるように思います。
一見、豊かで便利で温かそうな社会ですが、裏を返すと“明日は我が身”の使い捨て社会でもあります。

今、本当の“生きる力”が必要な時であり、時代が大きく変われるかどうかという時ではないかと思っています。
そんな時に、自分に何ができるか、楽しみながら挑戦していきたいものだと思っています。
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