見習い百姓のつぶやき

宮仕えも一段落、半農半Ⅹを本格化。農的暮らしとさまざまなⅩを悩んで、楽しんで一歩づつ。

“~宇宙の響き~カタカムナ” コンサート

2017-11-01 20:37:05 | 日記

 自然の空気感は、まさに“天高く馬肥ゆる秋”ですね~
 ただ、馬肥ゆる秋のもともとの故事はそんなに悠長なものではなく、夏草をたくさん食べた匈奴の馬たちが攻め込んでくるぞ!という警告メッセージなんだそうです。
 それはどうでもよくて、澄んだ秋晴れの空に不思議雲が浮かぶ、そんなイメージですね。


 さて、今日は、カタカムナ研究家・芳賀俊一&シンセサイザー奏者・キム・シンによる“~宇宙の響き~カタカムナ”コンサートのご案内です。

 平和で安定しているかのように見える現代社会は、非常に脆弱で様々な問題をはらみ、危機に瀕しているのではないかと思いますが、自然とともに暮らしていた上古代の人たちは、奥深い知恵を持ち平和に暮らしていました。
 今、そんな上古代の人たちの生き方に学び、改めて私たちの社会を見直す時に来ているのではないか、そんなメッセージを受け取れるコンサートではないかと思います。
 私たちの暮らしぶりを考えてみる機会にしてみませんか。

 カタカムナ、それ何?と思っていらっしゃる方が大半だと思いますので、芳賀俊一氏監修の「カタカムナへの道しるべ」の“はじめに”にとても分かりやすく書かれていましたので、ブログの最後に転載しておきます。

◇◆◇◆ “~宇宙の響き~カタカムナ”コンサート ◇◆◇◆

 カタカムナ研究の第一人者である芳賀俊一氏と、作曲家でありシンセサイザー奏者であるキム・シン氏が織り成す、心と身体に調和する奇跡の響き。
 わかりやすいカタカムナ解説と、そのハーモニーをぜひ体験してみてください!!
 前日にはオプショナルツアーとして、出雲探検ツアーもあります。

 ◇日 時: 2017年11月12日(日) 13:00 開場 13:30 開演
 ◇場 所: 松江城 興雲閣
 ◇参加費: 前売り 3,000円 、 当日 3,500円
 ◇お申込: かならずメールでご連絡ください。
   haruko_kin124★yahoo.co.jp(★を@に代えて送信ください)

【オプショナルツアー】 出雲探検ツアー
 出雲大社のエネルギーの源流に案内していただきます。
 ◇集 合: 11月11日(土) 12:30 松江駅/13:00 出雲空港
 ◇会 費: 10,000円予定 (ツアー、夕食・宿泊費)+レンタカー代割り勘


カタカムナとは(「カタカムナへの道しるべ」の“はじめに”より)
 カタカムナは、今から一万二千年から一万三千年ほど前、縄文時代あるいはそれ以前の上古代と呼ばれる時代にあったとされる文明です。カタカムナの時代の人々が使った文字は図形文字で、カタカムナ文字といいます。そして、彼らの言葉が、現在の私たちの日本語のもとになりました。
 ものを数えるとき、1、2、3……と数えますが、ひとつ、ふたつ、みっつ・・・とも数えます。この、「ひとつ」から始まる数え方は、カタカムナ人の言葉が今もそのまま使われていることをあらわしています。
 縄文の時代から言葉はもちろん、文字もあったことになりますから、教科書に書かれている歴史とは違ってきます。
 さらに驚くべきことは、カタカムナ文明は単に日本の古代文明というだけではなく、現代人が思いもよらぬほどに高度な文明であり、カタカムナが示す物理(潜象物理と言います)は、現代物理学を凌駕し、カタカムナのサトリは現在の宗教、哲学の根幹を成す普遍性をもっていることです。
 縄文時代やそれ以前に、現代よりも進んだ文明があったという説は、荒唐無稽もしくは非科学的と断ぜられることがほとんどです。しかし、それは私たちの受けた教育による思い込みのためとは言えないでしょうか。
 例えば、ギザのピラミッドや南米マチユピチユの空中都市、ナスカの地上絵などは、未だにその建築方法等が解明されず謎のままです。これらの遺跡を見て、私たちが暮らしている今よりもはるかに高度な文明が過去にあったかもしれない、という視点を持つことは、むしろ科学的と言えるのではないでしょうか。カタカムナを学んでいくと、その疑問がやがて確信へと変わっていくことでしょう。と同時に、平和で安定しているかのように見える現代社会が非常に脆弱で様々な問題をはらみ、危機に瀕していることや、その理由に気付いていくこととなるでしょう。
 カタカムナの時代、人々は群れで暮らし、互いに補い合い、協力して、共に生きていました。長(おさ)はいましたが、ひとりの長が治めるのではなく、知識と経験を積んだ者たちがひとつにまとまって、それぞれの役割を果たし、仲間で長となり、若者や幼子を導いていました。このようなカタカムナの使い手になった人たちを「アシアトウアン」と呼びます。得たものは惜しみなく後世にも伝え、私利私欲にはしることなく、仲良く暮らしていました。
 長い歴史の中でカタカムナは表舞台から消え、図形の文字も姿を消しました。しかしながら言語として言葉はそのまま残り、変遷を重ね現在の日本語に至っています。
 カタカムナは、日本語の音で綴られた八十首のカタカムナ ウタヒとして残され、楢崎皐月によってウタヒ八十首の読みつけや解読が進められました。
・・・(後略)・・・
コメント
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