ニュージーランド移住記録:日記「さいらん日和」

2004年に香港からニュージーランドに移住した西蘭(さいらん)一家。子育て終了、仕事もリタイア。好きに生きる記録です。

映画「ボヘミアン・ラプソディー」

2018-12-26 | 映画・文化
77歳の映画好きの友人に、
「とにかく良かったわよ~。フレディは素晴らしい
私たちはクイーンなんかろくに知らない世代だけど、
本当に良かったし涙が出たわ。絶対観た方がいい。」
と言われていたのが11月。


ちょうどハワイから帰ってドタバタしているところで、
そのうちと思っているうちに、こんなに遅くなってしまいました
でも、友人の言う通り、
絶対に観ておくべき映画でした


クイーンファンどころか特に音楽好きでもない私ですら
思い出せるあの80年代の空気感。


世界中が物質文化の豊かさを謳歌していた時代で、
欲しいものが尽きず、それを手に入れるカネがほしい、
ビッグになりたい
という剥き出しの野心が溢れていた時代でした。


そしてエイズという新しく恐ろしい病気が世に広まり、
それにかかるということは死亡宣告も同然だった時代。


マイケル・ジャクソンがいて、マドンナがいた時代。
デヴィッド・ボウイもいて「戦メリ」も大ヒット。
あの頃の熱い空気が蘇るようで50代は過呼吸気味(笑)


まずフレディ・マーキュリーという彫の深いエキゾチックな
イギリス人が、ザンジバー生まれのインド人というところで
ビックリ仰天
「ザンジバーってどこだっけ?アフリカだよね?」
と思わず思考が持っていかれそうな衝撃でした。


濃ゆい外見からスペインかイタリアのラテン系なのだと
思っていたので、見るからに厳格そうなインド系両親が
登場する家庭のシーンから話がスタートするところに、
コピーバンドによる単なる伝記物語ではないことが
強烈に印象づけられました。


そんな両親との確執があってこその、
Mama Mia Mama Mia, let me go
なわけね


バンドのメンツもドクターや歯科医の卵、電気技師とインテリ
フレディ自身も幼少からインドでピアノを習っていたそうで、
クラッシックの基礎があったよう。


傑作ボヘミアン・ラプソディー誕生の背景には
思い付き企画以前にクラッシックやオペラを解する
フレディの音楽的な深い素養があったようです。


とまれ、バンドの4人は意見の食い違いを克服しつつも
アルバムを作成し、ヒットを飛ばし、ツアーに追われつつ
スターダムを駆け上がっていく


しかし、成功したバンドが必ず直面するように、
フレディの独走で仲間割れが修復不可能なほど進み、
フレディのソロ活動の開始で、バンドは開店休業状態に。


そんな時に舞い込んだ1985年のライブ・エイドへの参加機会。
バンドの起死回生を賭けた奇跡のパフォーマンスの裏には
メンバーだけが分かち合っていた残酷な現実が・・・・


といことで、ご想像どおりその6年後、フレディは
エイズの合併症による肺炎でこの世を去ります。
制御不能なほどの才能と強烈な個性を与えられた、
偉大なる天才が走り抜けた45年。


実は今回、もらった映画券で行きました。

最高のクリスマスプレゼント


77歳はクイーンのベストアルバムを買ったそうですが、
私たちはYouTube観てます~
ウィ・アー・ザ・チャンピオンズ
が頭の中で鳴り響き、今夜寝られるかな






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