ニュージーランド移住記録:日記「さいらん日和」

2004年に香港からニュージーランドに移住した西蘭(さいらん)一家。子育て終了、仕事もリタイア。好きに生きる記録です。

一生もの

2006-12-19 | 私事・リタイア・人生
大人だけの静かな時間はあと30時間~(号泣)
と、泣き崩れた昨日。このまま1ヵ月半の夏休みに突入してしまうのは、あんまりにもあんまりなので、夫とふたり手に手を取って(?)、授業をフケる不良(死語?)よろしく、買い物へ。

と言っても、仕事をサボって行っているのでさほど楽しくもなく、お目当てだった夫のジーンズを1本買っただけで、そそくさと帰ってきました。ついでにその辺のブティックを速攻でサ~っと見てきましたが、
欲しいモノ・・・ゼロ┐(  ̄ー ̄)┌
ホントにな~んにも目に留まるものがありませんでした。
(これが香港だったらさすがに話は違いますけどね~ *´ー`*)

ここまで無欲なのは、心底好きなブランドがニュージーランドには
ナイという現実的な理由もありますが、それよりもなによりも、
大人になったってことでしょうか。コホン。
まっ、44歳、年が明けたら45歳、四捨五入したら50歳@▽@
ですからね~、「これで大人じゃなかったらなんなんだ?」
という論議もあるでしょうが・・・´▽`v

今では自分が心から好きなもの、本当に必要なものがわかります。なのでそこまで達しないものには財布を開かなくなりました。
おぉ~!大っ人~ (自画自賛´▽`ゞ)

「値段もまあまあだし、とりあえず買っとこう。」
「せっかく来たから何か買おう。」
「色違いでもう1枚・・・」   (ベストは絶対に1枚のはず)
(でもこれは最近でも失敗してます>_<; コチラが証拠写真)
と買いの根拠が希薄なものは、持ち帰らないようになりました。

これは服や靴といった身に着けるものに留まらず、「出会った時が買い時」と、気に入れば後先考えずに買うことを長い間自分に許してきた、食器、本、CDに対しても同じです。
「この本なら図書館で借りられる。」
「この深さのボールは手持ちのものと重ねて収納できない。」
と、まー冷静なこと、冷静なこと。大人になったなぁ~(感動)

小さな「一生もの」
9・11の深い深い傷がまったく癒えていなかった2001年の、スタバのクリスマスカップ。犠牲者への哀悼と、きな臭さへの懸念と、複雑な思いで手にした小さなアメリカ。

オフィスビル内の、閉店間際の明るくも物哀しかった店内の様子まで思い出されます)


逆に「これは!」と頭の中で、
キンコンカンコン、キンコンカンコン、キンコンカぁ~ン
と「のど自慢」の鐘が鳴り響いてしまうものは、即買いです。その典型がアンティークというよりもズバリ古道具とか、家とか。(ちょっと前までは債券とかニュージーランド・ドルっていうのもこのカテゴリーでした)

ここまで来たのも、20代、30代の大いなる消費の賜物です。
今では呆れるような、ほとんど何も我慢しなかったあの消費には、それなりに意味があったようです。しかし、やはりもっと賢くお金を遣い、生涯を通じて愛でることができるものを手元に残すべきでした。今からでも遅くはないでしょう。消耗品以外、本当の「一生もの」だけを家に入れるようにします。時間の経過でゴミになるものには、環境のためにも、もうお金を遣いません。大人ですからぁ~´▽`/

で、クリスマス・プレゼント・・・
さんざん考えても思い浮かぶのは、コレしかない!
私:ヘッジ・トリマー   (垣根のトリミング用電動ノコギリ)
夫:ハシゴ       (これは私もほし~!)
キタっ! いきなり、かなりの「一生もの」ですよ~´m`;

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする