有名な監督なのに、何故か山田洋次監督の作品は一度もちゃんと見たことがなかった。今回初めて監督の作品を見て抱いた感想としては、「なんて映画のことを分かっている人なんだろう」ということ。見た目から真面目で冗談なんて言わない人という印象が強かったのだけれど、「武士の一分」ではユーモアに溢れ、劇中何度も笑ってしまった。そういえば、前に三谷幸喜のエッセイで映画賞授賞式で監督との会話した際のエピソードがあり、実は面白い人なのかな、という印象を受けたことがある。
主演・木村拓哉はというと、SMAPだったりドラマでも「木村拓哉」というイメージがあり、純粋にその役としてみることが中々難しい役者という印象があった。今回も序盤の雰囲気はそういう印象もあったけれど、視力が失われた辺りから、生きる希望を失い、周りの者に当たったりで、いつも知っている彼とは一気に違う人になってしまった。目が見えないことに慣れるにつれ、冗談を言ったりということが戻ってくるのだけれど、その頃には「木村拓哉」ではなく、あえて言うならば「水曜どうでしょう」の「愚痴ばかり言う大泉洋」のようにも思えて来た。あと、食事をするシーンが多いのだけど、毒味役としてお勤めをしている三村新之丞(木村拓哉)の所作は美しく、また普段の質素な食事も所作だけ見ているだけで満足な気分になる。自分も妻・かよの作る芋の煮物(?)を食べてみたいと思った。
時代劇とは言っても、時代設定とかあまりややこしくなく、噂好きで喋り好きな叔母さん(桃井かおり)や主人にも文句を言う使用人(笹野高史)だったりの登場人物がとても身近で親しみ深く、彼らの会話に何度も笑ってしまう。盲目になってしまった夫を献身的に支える妻を演じる檀れいが画面に登場するととても華やぎ、周りの人が彼女の外見やしぐさの美しさに惹かれるように、観客である自分も魅了されていくのがわかった。
夫婦の愛を描いた作品で、江戸という時代、今よりも情報が発達していない中、人と人との繋がりが社会を繋ぎ、簡単に断ち切れないという世界なのだけど、それがとても羨ましく思わせ、全く知らない人達が集まっている現代の映画館という空間の中で、一緒に見て笑って、時には泣くというのを、とても心地よくさせた映画だった。
主演・木村拓哉はというと、SMAPだったりドラマでも「木村拓哉」というイメージがあり、純粋にその役としてみることが中々難しい役者という印象があった。今回も序盤の雰囲気はそういう印象もあったけれど、視力が失われた辺りから、生きる希望を失い、周りの者に当たったりで、いつも知っている彼とは一気に違う人になってしまった。目が見えないことに慣れるにつれ、冗談を言ったりということが戻ってくるのだけれど、その頃には「木村拓哉」ではなく、あえて言うならば「水曜どうでしょう」の「愚痴ばかり言う大泉洋」のようにも思えて来た。あと、食事をするシーンが多いのだけど、毒味役としてお勤めをしている三村新之丞(木村拓哉)の所作は美しく、また普段の質素な食事も所作だけ見ているだけで満足な気分になる。自分も妻・かよの作る芋の煮物(?)を食べてみたいと思った。
時代劇とは言っても、時代設定とかあまりややこしくなく、噂好きで喋り好きな叔母さん(桃井かおり)や主人にも文句を言う使用人(笹野高史)だったりの登場人物がとても身近で親しみ深く、彼らの会話に何度も笑ってしまう。盲目になってしまった夫を献身的に支える妻を演じる檀れいが画面に登場するととても華やぎ、周りの人が彼女の外見やしぐさの美しさに惹かれるように、観客である自分も魅了されていくのがわかった。
夫婦の愛を描いた作品で、江戸という時代、今よりも情報が発達していない中、人と人との繋がりが社会を繋ぎ、簡単に断ち切れないという世界なのだけど、それがとても羨ましく思わせ、全く知らない人達が集まっている現代の映画館という空間の中で、一緒に見て笑って、時には泣くというのを、とても心地よくさせた映画だった。