沼津シオン・キリスト教会

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今週の御言葉 2015年10月4日

2015-10-05 09:19:34 | 今週の御言葉

そこで、天の御国は、たとえて言えば、それぞれがともしびを
持って、花婿を出迎える十人の娘のようです。
                    マタイの福音書25章1節

 「たとえて言えば」(1節)と主イエスは語ります。主は人々を
裁くためではなく、聞く者が救いと神の恵みにあずかるため、神
の国の奥義をたとえで語ったのです。ですから、主のたとえに接
するときは、尊大さや自己卑下、他者を見下す心ではなく、謙虚
に我が身を律し、主の恵みを深め感謝の心で受けとめるべきです。

 花婿が遅れる(5節)…マタイ25章1~13節の十人の娘のたとえ
で、花婿は主イエス・キリスト、花嫁は教会、十人の娘はキリス
ト者、ともしびは信仰、油は御聖霊、婚礼の祝宴は主の再臨をあ
らわします。「花婿が来るのが遅れ」(5節)なかったら、愚かな
娘たちも婚礼の祝宴に入れたのです。しかし、花婿が遅れたので、
娘たちの実質が明らかにされました。主の再臨は思いがけず(マ
タイ24・44、50)、それでなくとも人生の思わぬ出来事を通して
信仰や実質が明らかにされます。それゆえに、信仰においても地
道に賢く歩む者は幸いです(マタイ24・45~57)。

 分けてあげるにはとうてい足りません(9節)…厳粛な事実と
して、信仰とは他者の分まで持つことはできません。『誰も、自
分のために十分なホーリネス(きよめ)以上のものを持っていない』
(ジョン・ウェスレー)のです。だからこそ、互いに御聖霊を失う
ことのないよう祈り励ましあいましょう(エペソ5・15~21)。

 目をさましていなさい(13節)…花婿を待ちくたびれ寝てしまっ
たのは賢い娘も同じですが、彼女たちは予備の油を準備していま
した(4節)。人は誰もが「うとうとして眠り始め」(5節)てしま
う弱さがあります。だからこそ、礼拝や諸集会に出席し、日々の
の静聴(ディボーション)を通し絶えず聖霊の満たしを得て、信仰
のともしびを整えることが大切なのです。

コメント
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