【祈りの家で楽しませる】
わたしの祈りの家で彼らを楽しませる。
イザヤ書56章7節
全ての人に開かれた救い…冒頭の御言葉にある「彼ら」とは、「異国の民」(イザヤ56章3、6節)であり、「宦官」(イザヤ書56章3、4節)です。旧約聖書においても、主を愛してその教えに聞き従うならば、どのような生い立ちや生き様をしてきた者でも救われることが、明確に示されています。
そして、天の父である神の愛は今も全ての人に注がれ、御子である救い主イエス・キリストを信じる者は誰でも救われて、神の子どもとなる特権が与えられるのです。
安息日を守る喜び…「幸いなことよ。安息日を守って、これを汚さず」(イザヤ56章2節)に始まり、イザヤ書56章1~8節には安息日を守る大切さが3回繰り返されています(2、4、6節)。
創造主である神は、天地万物を創造された後の7日目に休みました(創世記2章1~2節)。神のかたちとして創造された私たち人間(創世記1章26~27節)もまた、身体を休ませることはもちろんのこと、心とたましいのメンテナンスと養いのため神の前に出て静まるため、礼拝や日々の生活の中での静聴のとき(聖書の御言葉に触れ、祈りを介して神と交わる)を獲得することが大切です。
神の前に安息を得る人は、心に生ける水の川の源である御聖霊が宿り、神に似ていきいきと明るく創造的な生き方をします。
祈りの家で神との交わりを楽しむ…なぜ神は「わたしの家はあらゆる民の祈りの家」(イザヤ56章7節)と語られたのでしょうか。それは祈りは神と交わる手段であるからです。 そして、神との交わりほど私たちのたましいを潤し、心を楽しませることはありません。平安も希望も喜びも慰めも全て、神との交わりにあります。