【恥に代えて二倍のものを受ける】
あなたがたは恥に代えて、二倍のものを受け、
人々は侮辱に代えて、その分け前に喜び歌う。
イザヤ書61章7節
イザヤ書61章は、イエス・キリストが再び地上に来るとき(「再臨」と言います)、キリストを神と信じる者たちに注がれる恵みが記されています。キリストの再臨の時には、全ての人がその行いによって主の御前で裁かれます。
そこで愛である神は、私たちが滅びることを望まず救いの道を開くために、まず神のひとり子である主イエスを人と同じ姿でこの世に遣わしました。それは、主イエスを救い主として信じる者が一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためなのです。
神は救い主であり、嘆きに代えて慰めを与え、心の傷を癒される(1~3節)…イザヤ書61章の預言は、イエス・キリストが地上に来る七五〇年ほど前に語られました。それゆえ、主イエスご自身が、イザヤ書61章1~3節はご自分を指して語られたものだと宣言しています(ルカの福音書4章16~21節)。
神は私たちが救いを求めるはるか以前から、救いを備えてくださっているのです。
神を信じる者は、神の癒しと祝福を得る(4~9節)…罪と汚れによって荒廃した心であっても、主は立て直すことができます。
なぜなら、主イエスを救い主として信じる者は神の子どもとなり、主の祭司と呼ばれ、主の栄光の光で輝くからです(ペテロの手紙第一2章9~10節)。
主に救われた者は、主にあって大いに楽しみ喜ぶ(10~11節)…主イエスの救いは、私たちの心を恐れや不安から解放し、主にあって生きる楽しみと喜びで満たします。なぜなら、神の御こころは私たちがいつも喜び、絶えず祈り(祈りとは神との交流)、全てを感謝することだからです(テサロニケ人への手紙第一5章16~18節)。