渡辺ベーカリーでお昼を食べた私達は
(や~温泉シチューパンでお腹一杯になったんですよ)
ここから大平台まで たらたら坂を歩いて下りることにしました。
渡辺ベーカリーのすぐ横にあった 散策マップは
フレーム部分が「ノスタルジック アート」でしたよー。
五匹の かたつむりがついているのですが ほのぼのする可愛らしさでした。
↑さいとう工房作:『ゆっくり』
富士屋ホテル、ピコットの向かいあたり・・・
↓箱根光喜號/ 元「宮ノ下郵便局」。今はアンティーク・ショップです。
↑一瞬「あ、今日はイングランドVS日本戦だったっけ?」と思ったオバカなアタクシ・・・
富士屋ホテル駐車場向かいあたり・・・
↓カフェ・ド・モトナミ
↑この建物は 元々富士屋ホテルのバス待合所だった、んですって。
それがこんなおしゃれなカフェに!ちょっと驚きですよね。
この辺りは 観光客向けの土産物屋の多いところ。
↓小林屋さんもその一軒。
時に__沿道の商店の軒に下がる提灯の中に
緑の「瓢箪」型の物が混じっていることにお気づきでしょうか?
この近く(底倉)には 秀吉が小田原攻めの時に入ったという「太閤 石(イワ)風呂」があり、この地域では「太閤ひょうたん祭」と銘打った夏祭りが開かれるんです。
瓢箪は秀吉のシンボルですね?
↓そんな訳で ほら、歩道にも瓢箪が~^^)
宮ノ下の駅へ続く坂の下の
「宮ノ下ノスタルジック散策路」MAPと「アート」
小川徹也作「縁(エニシ)」↑
アートは全部で五つ_ 私達あと二つ出会えてないのねー^^;
えー 次回は是非「黒河内太郎作 『ケルン』」と「温泉小学校の子ども達作 『大好き箱根』」を見てみたいと思います。
このあと! 本当は富士屋ホテルの創業者 山口仙之助がホテルまで引いた道、の 道銭徴収所跡 の写真を・・・撮ったつもりでしたが 撮れていませんでした。
プレートには 通行料まで載っていて とても興味深く思ったのに・・・。
近く撮り直してこようと思います!
^^)ノシ 追加画像!(7/12)
撮ってきました~ ↓ここが「道銭徴収所跡」
少し奥に石垣が残っているので、多分そこに
小屋のようなものでもあったのでしょう。
↓プレートにはこう書かれています__
「道銭徴収所跡 The site of a tollgate
宮ノ下に外国人専用の富士屋ホテルを創業した山口仙之助は、明治20年(1887)塔ノ澤から宮ノ下まで、約5.7kmの間に、総工事費10,800余円を投じて、有料の人力車道を開通させました。
この付近が、道銭(通行料)を取った番所の跡です。道銭は、徒歩者1銭5厘、人力車1人曳3銭、同2人曳5銭、同3人曳6銭5厘、荷車、駕籠3銭等でした。
これで外国人客は窮屈な駕籠から解放され、物資の輸送も便利になりました。
道銭を取る番人は、月給5円で雇われた老人たちでした。」
↓プレートに添えられている画像。
明治初年の東海道旅行の様子 だそうですが、
明治20年の箱根もこんな感じだったのかな?
宮ノ下 ~ 大平台 の間は
カーブした坂道が続きます。
(ここまでが「追加画像」)
交通量は多いのですが 緑が多くて気持ちのいいルート。
(できたら徒歩旅行者用のレーンが確保されるといいなあー)
ほどなく 大平台に到着~
さ、ここでnumabe夫婦はアジサイを見られる、のか???
(↑文脈読みすると これはハズレっぽい よねー)
(や~温泉シチューパンでお腹一杯になったんですよ)
ここから大平台まで たらたら坂を歩いて下りることにしました。
渡辺ベーカリーのすぐ横にあった 散策マップは
フレーム部分が「ノスタルジック アート」でしたよー。
五匹の かたつむりがついているのですが ほのぼのする可愛らしさでした。
↑さいとう工房作:『ゆっくり』
富士屋ホテル、ピコットの向かいあたり・・・
↓箱根光喜號/ 元「宮ノ下郵便局」。今はアンティーク・ショップです。
↑一瞬「あ、今日はイングランドVS日本戦だったっけ?」と思ったオバカなアタクシ・・・
富士屋ホテル駐車場向かいあたり・・・
↓カフェ・ド・モトナミ
↑この建物は 元々富士屋ホテルのバス待合所だった、んですって。
それがこんなおしゃれなカフェに!ちょっと驚きですよね。
この辺りは 観光客向けの土産物屋の多いところ。
↓小林屋さんもその一軒。
時に__沿道の商店の軒に下がる提灯の中に
緑の「瓢箪」型の物が混じっていることにお気づきでしょうか?
この近く(底倉)には 秀吉が小田原攻めの時に入ったという「太閤 石(イワ)風呂」があり、この地域では「太閤ひょうたん祭」と銘打った夏祭りが開かれるんです。
瓢箪は秀吉のシンボルですね?
↓そんな訳で ほら、歩道にも瓢箪が~^^)
宮ノ下の駅へ続く坂の下の
「宮ノ下ノスタルジック散策路」MAPと「アート」
小川徹也作「縁(エニシ)」↑
アートは全部で五つ_ 私達あと二つ出会えてないのねー^^;
えー 次回は是非「黒河内太郎作 『ケルン』」と「温泉小学校の子ども達作 『大好き箱根』」を見てみたいと思います。
このあと! 本当は富士屋ホテルの創業者 山口仙之助がホテルまで引いた道、の 道銭徴収所跡 の写真を・・・撮ったつもりでしたが 撮れていませんでした。
プレートには 通行料まで載っていて とても興味深く思ったのに・・・。
近く撮り直してこようと思います!
^^)ノシ 追加画像!(7/12)
撮ってきました~ ↓ここが「道銭徴収所跡」
少し奥に石垣が残っているので、多分そこに
小屋のようなものでもあったのでしょう。
↓プレートにはこう書かれています__
「道銭徴収所跡 The site of a tollgate
宮ノ下に外国人専用の富士屋ホテルを創業した山口仙之助は、明治20年(1887)塔ノ澤から宮ノ下まで、約5.7kmの間に、総工事費10,800余円を投じて、有料の人力車道を開通させました。
この付近が、道銭(通行料)を取った番所の跡です。道銭は、徒歩者1銭5厘、人力車1人曳3銭、同2人曳5銭、同3人曳6銭5厘、荷車、駕籠3銭等でした。
これで外国人客は窮屈な駕籠から解放され、物資の輸送も便利になりました。
道銭を取る番人は、月給5円で雇われた老人たちでした。」
↓プレートに添えられている画像。
明治初年の東海道旅行の様子 だそうですが、
明治20年の箱根もこんな感じだったのかな?
宮ノ下 ~ 大平台 の間は
カーブした坂道が続きます。
(ここまでが「追加画像」)
交通量は多いのですが 緑が多くて気持ちのいいルート。
(できたら徒歩旅行者用のレーンが確保されるといいなあー)
ほどなく 大平台に到着~
さ、ここでnumabe夫婦はアジサイを見られる、のか???
(↑文脈読みすると これはハズレっぽい よねー)