おだわらぐらし

縁あって引っ越した 相模の国_小田原
一杯見て 一杯歩いて 一杯味わった三年半の思い出

まちあるき検定(その三)いよいよ試験です

2008-10-27 19:53:54 | 小田原-イベント
商工会議所に行くと、ホールに入る前に 「多"留満(だるま)」さんの特製弁当を渡されました。

↑おにぎり三種とお漬物と鯵のつみれ入り味噌汁
「このお弁当からも問題が出ますー。」
そう聞くと簡単に「ぱく おいし^^」なんて食べられず、具材は何かな?なんて思いながら つついたり ほぐしたりしてしまいました^^;

食後は多"留満の総料理長さんから「料理の秘訣」を伺いました。
(食材にあった調理をしましょう_例えば 鯵は大きさによって 揚げ物 たたき 焼き物 と変えるんです・・・ なんてお話に「なるほどー」)

そしていよいよ待ちに待った(???)
検定試験。
いやー むつかしかったーっ
今回numabeは50問中45問正解で「弥次喜多級」(←平たく言うと「並」^^)でした。
素晴らしいことに、ネット友人『あやちゃんのぶらり宝探し』のあやこさんのお母様が 47問正解で「二宮尊徳級」(←最高級!)だったんですよ。
(48問正解のお二方と47問正解のお二方が「二宮尊徳級」、46問正解の四名が「白秋級」、そして45点以下の37名が「弥次喜多級」でした。以上 『あやちゃんのぶらし宝探し』から頂いた情報でございますー^^;)
もひとつオマケで!
試験の後 お楽しみのお土産抽選会があったのですが、ここであやこさんに「籠清の珍味セット」(←5人にしか当たらない「特賞」ですよ!)が当たったんです。

↑後で見せて頂いたのよ
おめでとー おめでとー ほんとうに おめでとー
やんや やんや!

時に_あやこさんはnumabeと同点で「弥次喜多級」。二人で「次回は1ランク上を目指しましょうね」と誓い合ったのでしたとさ^^

おっといけない、私が頂いたお土産もお見せしなきゃ

籠常さんの鰹節と多"留満さんの・・・

鯵の干物

お土産が入ってた袋も立派。エコバッグです。



__一方その頃 おじいちゃんと亭主は「親子水入らず」で^^ お昼は「小田原駅開通88周年」の記念弁当を食べたそうです。

↑八の字づくしのお目出度いお弁当。

めでたし めでたし^^

■よだん■
そうそ、昼食からの出題は 「第50問 お昼のおにぎりは、一つはゆかり、一つはアジの一夜干しと焼き海苔、さてもう一つは、こんにゃく、にんじん、しいたけと、小田原の練り製品が入っていましたが、それは何でしょうか? 1.かまぼこ 2.ちくわ 3.さつま揚げ」 でした。(答えは2.ちくわ)
numabeは「おにぎりバラバラ作戦」でこの問題は正解だったのですが、あやちゃんママはこの問題を落とされたんです。(ちくわの少ないところが当たったのかしら?)
「えー? そんなところを落とされたんですかー?もったいなーい」 だったのでした。 おしまい。

まちあるき検定(その二)西海子小路近辺

2008-10-27 01:27:20 | 小田原-イベント
続いて 荒久(あらく)界隈を歩きました。

荒久地区(早川の河口以北の海辺)は 昔は政財界人の別荘や旅館が多かったそうで、今でも「どこまで続くの?」な石垣や塀が見られます。

早川の河口で採れる玉石を積んだ石垣

 (荒久の石は、丸くて大きさが揃っていて白っぽいのが特徴、だそうです)

レンガ塀: 平井さんの研究で 三越本店を作った時の残りのレンガが使われていた事がわかったそうです って_撮る角度が悪かったのかな 全然レンガ塀に見えませんねー(すみません)



桜並木で有名な西海子(さいかち)小路にも「へ~っ」が一杯ありました。
↓ただの空き地と思っていた場所が 岸田國士さんが晩年借りてた家の跡だったり
 
 空き地に門?なんて思ってました
 
 門の住所表示に「十字」の文字。今この辺りは「南町」ですが以前は「十字」という地名だったのですね
・・・この門に「岸田」という表札がかかっていたのかしら?

↓そも西海子(さいかち)小路のサイカチって何?と思ったら 木の名前だったり

↑幹から魚の骨の様なトゲが出てます
(Gladitsia Japonica マメ科 サイカチ属)

↓小田原文学館のスペイン風洋館を建てた建築家が 新宿の旧小笠原伯爵邸(同じくスパニッシュ様式の建物として有名)も建てた曽禰達蔵だったり

↑館入り口横にはエンギ担ぎに「ナギの木」というのが植えられていたり
(ナギの木は 針葉樹なのに平べったい葉をしていて その葉はなかなか横に切れないそうです。ここから「縁が切れにくい」→エンギがよい、となったようです)


↑文学館の和館は小田原市が管理するようになる以前はかの財界人某さんの物で 地下にはワインセラーがある とか・・・ コレにはnumabe「満へ~っ」でした!(でも確認をとろうと検索かけてるのですがヒットしません。聞き違ったかなー?)



諸白小路(モロハクコウジ、モロハッコウジとも)を行くと__
赤い屋根の 聖公会のチャーチが見えてきます。
 

↑この日は幼稚園のバザーの日でした
こちらの付属幼稚園「花園幼稚園」には 白秋が息子を通わせていたそうで 「雨降り(♪あめあめふれふれ 母さんがー)」はこの場所が舞台、なんだとか。

そのハス向かいには「ヨハネ玩具商会」がありますが、
ここには以前 三好達治の家が建っていたそうです。

(↑「このお店自体も古そうですよねー」「今は『喫茶フォーユー』みたいよ」etc.)

国道一号線を渡って
 

銅葺きの屋根の形がお洒落な「古田商店」さんの前を通り
(平井さんから伺いましたが、この建物 林望先生も大絶賛なさったそうですね)

教団系プロテスタント教会を眺め

平井さんが教会を指しながら「僕 あの教会の付属のめぐみ幼稚園に行ってたんです。その幼稚園 もうないんですけどねー」とおっしゃる。 それは「まちあるき検定」には関係ないようでいてー・・・/// 多分私はこの先 あの白い教会を見ると「めぐみ幼稚園っていう幼稚園があったのよねー」って思うんじゃないかな? そしてそれは まちかど検定の目的の一つ(と私が勝手に思ってるだけかもしれないけど) _参加した人が小田原を好きになって この素敵な街を もっと素敵にして 子供達にバトンタッチしていこう って思う事_ には合致してるのよねー...なぞと思いました、です

お城を抜けて、試験会場である商工会議所へ向かったのでしたー。

こんな一見何のヘンテツもない道も 平井さんの「今歩いてるのは土塁の上です。左側には弁天池という池があったそうですよ」という解説を聞きながらだと 目に見えてる景色とは違う世界が見えてくるんですよねー。


という訳で いよいよ試験!です^^;
                  つづくー



オマケ:
「青空文庫」で岸田國士の『暖地の冬から山国の春へ』という文章が読めます。
小田原に借りた家の周辺の事が書かれていて 面白かった。
http://www.aozora.gr.jp/cards/001154/files/43593_17335.html

第4回 小田原まちあるき検定に参加しました(その一)早川あたり

2008-10-27 01:17:49 | 小田原-イベント
危ぶまれたお天気も なんとか持ちこたえてくれた26日(日)
numabeは 「小田原まちあるき検定」に参加して参りました。

10時JR早川駅集合

 私は「3班」。引率者は社会学の研究者、平井太郎さん。(というのは帰ってから知りましたが)

同じ班には「FM湘南」のレポーターさんも。

まず向かった小田原漁港__

ここも今日は「うお市場まつり」で賑わっていました

__ので、私たちは場外で漁港についてレクチャーを受けました^^;
(獲れる魚が 時代とともに変わっていった話など 興味深かった / って、申し訳なくも漁港の専務さんの写真は撮り忘れました。上でお話下さってるのは平井さんです。平井さんからは この漁港が 小田原と熱海を結ぶ街道を横切って作られている事や、 ご自分が小さい頃 漁港内で網で魚をすくって獲っていた話などを伺いました)

続いて 早川口の遺構「二重戸張(ふたえとばり)」の見学_ 
ここは 以前一人で来た時は、どういう構造なのかわからなかった場所。
(↓知らずに来ると公園にしか見えないかも?)

二重戸張、というのは 外側に堀を配した二重の土塁_だそうです。
平井さんの案内で左の高い土塁(城内側)と右の低い土塁(城外側)の間の「空堀(からぼり)」を歩いてみました。

面白い事に「行き止まり」としか見えなかった空堀が、平井さんと一緒だと「通り抜け可」となるのです!

(ここは平井さんの「遊び場」だったそうです^^)

城外側の土塁の上から外の堀側へピョンと降りる。
これぞフィールドワーク!
土塁の大きさを体で測りました^^
「地元っ子の平井さんに案内して頂けてラッキー」って思いました。

↑飛び降りた先_遺構の外側の堀の跡。ほんの数年前までコンクリートの蓋はなく 用水の水が流れる「現役の堀」だったそうです。

海辺の砲台跡地も歩きました。

今は公園です。

今は西湘バイパスしか見えないけれど、江戸時代には海に向かって大砲が並んでいたのでしょうね。

時に__私はこういう「子供の絵」が大好き^^


大胆で愉快!

おーっと 長くなっちゃった。
ここで一旦 切りますね。
(あいかわらず適当で スミマセン) つづく__