おだわらぐらし

縁あって引っ越した 相模の国_小田原
一杯見て 一杯歩いて 一杯味わった三年半の思い出

まちあるき検定(その二)西海子小路近辺

2008-10-27 01:27:20 | 小田原-イベント
続いて 荒久(あらく)界隈を歩きました。

荒久地区(早川の河口以北の海辺)は 昔は政財界人の別荘や旅館が多かったそうで、今でも「どこまで続くの?」な石垣や塀が見られます。

早川の河口で採れる玉石を積んだ石垣

 (荒久の石は、丸くて大きさが揃っていて白っぽいのが特徴、だそうです)

レンガ塀: 平井さんの研究で 三越本店を作った時の残りのレンガが使われていた事がわかったそうです って_撮る角度が悪かったのかな 全然レンガ塀に見えませんねー(すみません)



桜並木で有名な西海子(さいかち)小路にも「へ~っ」が一杯ありました。
↓ただの空き地と思っていた場所が 岸田國士さんが晩年借りてた家の跡だったり
 
 空き地に門?なんて思ってました
 
 門の住所表示に「十字」の文字。今この辺りは「南町」ですが以前は「十字」という地名だったのですね
・・・この門に「岸田」という表札がかかっていたのかしら?

↓そも西海子(さいかち)小路のサイカチって何?と思ったら 木の名前だったり

↑幹から魚の骨の様なトゲが出てます
(Gladitsia Japonica マメ科 サイカチ属)

↓小田原文学館のスペイン風洋館を建てた建築家が 新宿の旧小笠原伯爵邸(同じくスパニッシュ様式の建物として有名)も建てた曽禰達蔵だったり

↑館入り口横にはエンギ担ぎに「ナギの木」というのが植えられていたり
(ナギの木は 針葉樹なのに平べったい葉をしていて その葉はなかなか横に切れないそうです。ここから「縁が切れにくい」→エンギがよい、となったようです)


↑文学館の和館は小田原市が管理するようになる以前はかの財界人某さんの物で 地下にはワインセラーがある とか・・・ コレにはnumabe「満へ~っ」でした!(でも確認をとろうと検索かけてるのですがヒットしません。聞き違ったかなー?)



諸白小路(モロハクコウジ、モロハッコウジとも)を行くと__
赤い屋根の 聖公会のチャーチが見えてきます。
 

↑この日は幼稚園のバザーの日でした
こちらの付属幼稚園「花園幼稚園」には 白秋が息子を通わせていたそうで 「雨降り(♪あめあめふれふれ 母さんがー)」はこの場所が舞台、なんだとか。

そのハス向かいには「ヨハネ玩具商会」がありますが、
ここには以前 三好達治の家が建っていたそうです。

(↑「このお店自体も古そうですよねー」「今は『喫茶フォーユー』みたいよ」etc.)

国道一号線を渡って
 

銅葺きの屋根の形がお洒落な「古田商店」さんの前を通り
(平井さんから伺いましたが、この建物 林望先生も大絶賛なさったそうですね)

教団系プロテスタント教会を眺め

平井さんが教会を指しながら「僕 あの教会の付属のめぐみ幼稚園に行ってたんです。その幼稚園 もうないんですけどねー」とおっしゃる。 それは「まちあるき検定」には関係ないようでいてー・・・/// 多分私はこの先 あの白い教会を見ると「めぐみ幼稚園っていう幼稚園があったのよねー」って思うんじゃないかな? そしてそれは まちかど検定の目的の一つ(と私が勝手に思ってるだけかもしれないけど) _参加した人が小田原を好きになって この素敵な街を もっと素敵にして 子供達にバトンタッチしていこう って思う事_ には合致してるのよねー...なぞと思いました、です

お城を抜けて、試験会場である商工会議所へ向かったのでしたー。

こんな一見何のヘンテツもない道も 平井さんの「今歩いてるのは土塁の上です。左側には弁天池という池があったそうですよ」という解説を聞きながらだと 目に見えてる景色とは違う世界が見えてくるんですよねー。


という訳で いよいよ試験!です^^;
                  つづくー



オマケ:
「青空文庫」で岸田國士の『暖地の冬から山国の春へ』という文章が読めます。
小田原に借りた家の周辺の事が書かれていて 面白かった。
http://www.aozora.gr.jp/cards/001154/files/43593_17335.html

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