内閣支持率が下降気味、福島では20%台の数字も。
3人の学者が発言した、戦争法案は違憲である、の影響がいちばん大きかったのでしょう。
学者ごときの意見で政治は左右されない、などと強がっても、世間はそうは見ません。
専門家の発言にはそれなりの権威があるものです。(ない人もいますが)
よくわからないけれど、胡散くさいなあ、と感じていた人たちも少なからずいたと思います。
たぶん、そういう人たちが、専門家がそう言うのなら、と不支持に回ったのでしょう。
学者の力で思い出したのが、昨年亡くなられた経済学者の宇沢氏の「社会的共通資本」。
これは、それがなければ共同体が存続できないもので、3つのカテゴリーがあります。
1つ目は大気、海、山、河川などの自然環境。
2つ目が電力・ガス・水道・交通・通信など、社会的インフラと呼ばれるもの。
そして3つ目が司法、行政、教育、医療などの社会制度。
なるほど、これらなくしてわたしたちは生活してゆくことができません。
でも、大事なことはここから。
「これらは国家の統治機構の一部として官僚的に管理されてはならない。
また、利潤追求の対象として市場的な条件によって左右されてはならない」
「これらは職業的専門家により、専門的知見に基づき、職業的規範に従って管理・維持されなければならない」
これを学者の理想論だと片づけるのは簡単でしょう。
でも、原発、基地問題などで社会的共通資本がガタガタになっていっているのが現実です。
恣意的な政治家の信条、企業の刹那的な利益追求がそれらを浸食しているわけですから。
監視するのは好きだけど、監視されるのは嫌い、そういう人たちが政治家、官僚には多い。
だから、専門家には、かれらへの監視人の役目をぜひやって欲しいものです。
盗聴法、マイナンバーなど、国民を監視する法制度改悪も進みつつあります。
1984年国家にならないためにも、潮目が変わることを期待しましょう。