暖冬の予想がはずれたようで、今年は雪が多いようです。
東京でもそんなに積りはしませんが、昨日も雪が舞い、今日もまた雪の予報。
窓の外のちらつく雪を見ていて、思い出した歌。
雪が降ってきた ほんの少しだけど
私の胸の中に 積もりそうな雪だった・・・・
そのあとは忘れましたが、題名はたしか「白い思い出」、若かりし頃の歌です。
処によって3メートルを超える大雪、ともなると、そんな抒情もどこへやら、でしょうが。
ちらつく雪、降りしきる雪・・・・それぞれにまつわる昔のことなど思い出すひと時でした。
昨日は運よく何の予定もなかったので、一日、家に閉じこもっていました。
巷に雨の降るごとくわが心にも涙ふる・・・・
雪や雨が降るのは、あるいは涙も、どうして胸とか心なのでしょう?
実際は頭で考えていることなのに、胸に積もったり心に降ったりします。
風もそうですね、風が冷たく心を吹き抜けていった・・・・。
心こそが人間の中心である、というふうに昔は考えられていたからでしょうか。
胸に手を当ててよく考えてみてください・・・・そう、考えるのも胸だったのですね。
それでは、あんまり頭が可哀そうではないのか、と思うのは心? 頭?
というふうに心と頭を分けてしまうのは、たぶん、近世になってからのことなのでしょう。
科学や技術は分けることで成り立っています。
分けて分けて分けて、結果、人体はアミノ酸になり、宇宙は素粒子になりました。
でも、分けたものをすべて合わせまとめても人体になり、宇宙にはなりません。
デジタルの権化のようなパソコンに向かいながら、そんなことを考えている。
思えばヘンな話です。ただ、そのヘンさ?が今の時代の閉塞感とどこかでつながっていないか。
ついついそんなふうに思ってしまう、いや、心に感じてしまうのです。