ユニコムかつしかつれづれ日記

NPO法人ユニコムかつしかのパソコン教室活動などのよしなしごとを、そこはかとなくゆるりと書きしるしてまいります

おとなになるとは?

2015-11-12 | 日記

 

昨日、わたしに必要なのは若返りメークだと書きました。

もちろん、冗談、そんなメークをするつもりは死んでもありません。

歳をとるのは自然なこと、あえて自然に逆らっても、どのみち負けるのです。

 

それに、歳をとるというのも、考えようによってはなかなか楽しい経験でもあります。

もともと中高生くらいの頃から、早くおとなになることに憧れていました。

親兄弟や親戚や他人から、子どもなんだから、子どものくせに、とか言われる。

 

それがたまらなくイヤだっただけなのですが、今思うとヒネたガキと思われたかもしれません。

中には、まだ青二才なのに、とか若造のくせにとか、露骨に侮蔑する人も。

そういうオトナだって、単にトシを食っただけの子どもみたいな人がずいぶんいました。

 

青二才の青は、未熟ということですが、二才は単に二才ということではないだろうな。

そう思って調べたら、若者をあらわす新背(にいせ)が変化して二才になったとか。

稚魚を二才という、青は前髪をそり落とした跡が青いことから、そんな説明もありました。

 

さて、おとなに憧れたわたし、おとなになれているのでしょうか?

自問してみると、まだまだまだ・・・が続いて、どうやら死ぬまでおとなになれない感じ。

というか、わたしの中には、明確なおとな像というものがないことに、改めて気がついたのです。

 

おとなとはどういう人間のことを言うのか?

それがわからないかぎり自分がおとなかどうかはわかりません。

70歳を過ぎて、おとなになっていないなんて、キモチ悪いよなあ、と自分でも思います。

 

でも、事実だから今さらカッコつけてもしかたがありません。

とはいえ、おとなになれないまま死んでゆくのもシャクなので、あれこれと考えてみています。

うまく言葉で言い表せないのですが、いま思いつくのは「多様性」ということ。

 

ふつう多様性というと、色々な人、物が存在することに対して使われます。

それを外にではなく内にあてはめ、自分の中に多様性を抱え込んでいる人がおとなではないか。

すなわち、事実は単純でなく複雑、一筋縄でいくようなものではないこと、がわかっているひと。

 

おとな像についても同じことが言えて、軽々しくわかるものではない。

ということは、わからないことがわかった、というソクラテスに辿り着くことがおとなの終着点?

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