「ノナの家」nonahouseは かつこ内親王、かつこ内親王2の続きのブログです。

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「志方弥公(しかたみさと)」さんとの出会い その2

2018-04-30 07:30:00 | 日記
前回のミサトさんからのメールは、長いもので、続きがありました。
彼女が、西宮に住んでいるという話の後に、須磨の話が出てきたのです。

須磨の話は、「かつこ内親王」にもちょっと出てきたことがありました。
そして、Iさんも若い頃に、須磨の海にのみこまれてしまいそうになったことがあったようなのです。


ミサトさんの📩の続き


気になったのが、M子さんが須磨の方にまだ行ってないことです。
神功皇后がお出ましになられたのなら、明石・須磨の方にも呼ばれるはずなのですが(この辺最重要なので)あまり話に上がらないということは、やっぱり禍々しいものがあるからかな、と思いました。
というのも、私の母方のご先祖が垂水にある「海神社」の氏子総代の家系だからです。

海神社

日本書紀によると、伊弉諾さんが日向の檍原(アオキハラ)で禊をした時に生まれたのが住吉三神と綿津見三神で、海神社の御祭神が綿津見三神です。
私の母方の血族の氏神であり、古代から続いているだろうと思われます。
瀬戸内海は荒い海であり、熟知していないと漁業は出来ません。
母方の祖父の家は、昔から沢山の漁師を束ね、瀬戸内海を支配した網元です。
古代までさかのぼれば、「明石国造」に行き着きますが、記録がないため不明です。


2月21日に話してきたのは、スサノオノミコトでしたが、いきなりでした。


変わらない愛の弟の話だよ。

どなたですか?

スサノオノミコトだ。
新たな人が来ていたな。

ミサトさんですか?

ミサトは、神功皇后の分け御霊だよ。
須磨の氏神になっている、海神社の末裔だ。
Iは、須磨の海で死のうとしたことがあるな。
須磨の海は、暗い禍(まが)があるからだよ。
明石海峡から、須磨にかけては昔の海軍の戦った場所だからな。
Iは、ひかれてしまったのだろう。
まだ、若かったからな。
あと少しで、命はなかったよ。
セナの神(ニギハヤヒ)だったから、大丈夫だったけどな。
会わないといけないよ。
M子は、ミサトと会ったらいい。
疑いのない、うわついていない、からみのない人だからな。
良かったな。
また、見つかって。
死ななくて良かったと、Iに伝えてくれ。


その後に話してきたのは、アメノウズメでした。


三鷹のアメノウズメです。
Iさんは、新潟のスキー場で死んでいたのですよ。
私が助けなければ溺れていました。
須磨の海でも、溺れる寸前でしたよ。
だから、何度も助かった命なのです。
M子さんと会わなければ、死んでしまうようなことが、沢山ありましたよ。
今は、強くなりましたね。
私も、ホッとします。
連日忙しいようですが、釣り師(Oさん)とは、会ってくださいね。


この話は、2月のことなので、平将門の首塚にはまだ行っていなかったからOさんのことを言われていましたね。


私は、以前にIさんには須磨の海の話を少し聞いていたので、この話をすぐにIさんにはしましたが、彼はちょっと笑って、


海に入ろうとしたらさ。
波が足にチャポンと掛かって、冷た、、、と思って引き返したんだよね。


と、言っていました。
だから、アメノウズメの言っていたのは、大げさだったようですが、冷たい海水のお陰で我に返ったのかもしれませんね。


という訳で、スサノオノミコトにも会うように言われていたのもあり、私は仕事が早目に終わる3月7日にお会いすることを約束しました。

そして当日の夜に、横浜の喫茶店で、いくちゃんとミサトさんと、三人でお会いしました。

この日は、とても寒い日でした。

彼女は、背の高い素敵な30代の女性で、横浜に壁画のために来た訳ですから、昼間は仕事をして待ち合わせに来てくれたのですね。

私は、彼女と普通に話が出来るのかどうかわからなかったのですが、いくちゃんと私の口の動きで、大体は理解出来ることがわかり、意外と問題なく話せました。

ミサトさんが、自分で人生を切り開いてきたのは、やっぱり素晴らしいと思います。




続きます。














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