「ノナの家」nonahouseは かつこ内親王、かつこ内親王2の続きのブログです。

神様達の名前は、沢山出てきますが、宗教とは全く関係ありません。
mikunenona@gmail.com

福岡のSさんの話 その2

2022-07-31 07:30:00 | 日記
前回のSさんの📩の続きです。
山道を滑落して、激しい痛みの中を日曜日だったので、次の日に病院に行ったところからですね。


私は骨が折れたとは思ってなくて、手首から指先は、なんとか動いていたので、腱がきれたくらいかなと思っていたら、「骨頭(こっとう)」がぽろりと折れて、粉砕骨折とのことでした。

その場で入院即、緊急手術となりました。
折れた骨頭が筋肉や筋に絡まって、取り出すのにも時間がかかり、「これは大怪我の部類だよー」と言われました。
麻酔を含めて3時間たっぷりかかったそうです。
「首でも折っていたら、命がなかったね」とか、「骨のかけらが肺まで入ったら、大変でした」とか、後で聞かされてゾッとしました。

骨頭部分が折れたら、6時間以内に手術をしないと、うまくくっつかないことが多いそうですが、私は26時間も経ってからの手術だったにもかかわらず、幸い壊死することもなく、非常に順調に回復しております。

リハビリは足よりずっと時間がかかるだろうということでした。
でも、大難を小難にしていただき、本当に感謝しております。

いろんな人に迷惑をかけてしまいましたが、二度と愚かな行動はしないように心してまだまだ生きていきたいと思います。

これからもよろしくお願いします。


Sさんに詳しくお聞きすると、まさかの大怪我だった訳ですが、最初にお電話で話した時の6月8日に私は振り子を持って、誰が助けてくれたのか聞いていました。


Sさんを助けてくれた神様は、どなたですか?

Sを助けたのは、あたしよ。

クシナダヒメ様ですか?

そうよ。
よく、わかったわね。

話し方でわかりますよ。

Sは、大変だったわね。
かなり落ちたから、助からなかったかもしれないわ。
前に来てくれたでしょう?

はい。

次はないと言っておいて。
あまり、無理な登山はしないで慎重にとね。

登山はしてもいいのですよね。

登山は、止めなくてもいいけど、自分の体とよく相談してね。
夫も妻のありがたみがわかったと思うわ。


Sさんは、病院に行って即入院手術となり、2週間ほどの入院生活になったそうです。
ご主人とは、二人三脚で自営業をされているので、その間家事もしなければならなかった訳で、かなり大変なことになっていたと思います。

Sさんとお電話でお話しした時に、もう登山は出来ないと思っていたけれど、やっぱり治ったらやりたいとおっしゃっていたので、クシナダヒメに聞いていました。

クシナダヒメが前に来てくれたというのは、今年の2月のSさんの📩からの話なので遡ります。


Sさんの📩

実は、今更なんですが、私の産土神社が佐賀県小城町の須賀神社だったとわかりました。
スサノオ様とクシナダヒメ様の二柱が祀られており、そうかー、私が「かつこ内親王」のブログにたどり着いたのも、必然だったんだなぁ、と一人感激しておりました。

今年お正月に参ってきましたが、山道の階段を上がった本殿の中はなんと空っぽでした。
麓の方に社務所があるので、宮司さん、足が悪いのかなあ、と思いつつ…
で、その時は御神酒を御供物を持って行きましたが、次に伺う時は、クシナダヒメ様にも何かお持ちしたいのですが、何がお好きでしたっけ?
ブログ探しても見つかりませんでした。
お暇な時でいいですので、ちらっと教えていただけたら嬉しいです。


私はすぐに、クシナダヒメに聞いてみました。


クシナダよ。

クシナダヒメ様の好きな物を教えてください。

私が好きなのは、とんこつラーメンよ。

とんこつラーメンですか?

マスラオが好きなので、一緒に食べていたら好きになったの。

他にありますか?

海苔巻いたお餅でもいいわ。


私はすぐにSさんに伝えました。
マスラオがとんこつラーメンと言っていた話は、以前に伊豆山神社に行った時に出てきた話です。
その時は、熱海銀座にあるとんこつラーメンの「福ヤ」さんに行ったのですね。
金沢在住のM川さんに聞かれた時は、「金沢おでん」と言っていましたが、その土地その土地で違うのかもしれませんね。
クシナダヒメらしい気がします。


🐶 伊豆山神社の話



そして、Sさんご夫妻はすぐにとんこつラーメンを用意してお供えに行ってくださいました。(笑)


Sさんの📩

夜分に失礼いたします。
明日、須賀神社に行って、豚骨ラーメンを奉納してきます。
ラーメン屋さんで持ち帰りラーメンゲットしてきました。


続きます。

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福岡のSさんの話

2022-07-29 07:30:00 | 日記
福岡在住のSご夫妻は「魂の会」の常連さんになっていただいていますが、初めてお会いしたのは、前回まで記事にしていた荒熊神社の2019年2月3日の節分祭に行った時のことでした。


🐶 荒熊神社の節分祭 その2



神様好きのSさんご夫妻は、その後福岡の「令和」の元となった「坂本八幡宮」の話や「唐津神社」の話で記事にさせていただきました。


🐶 坂本八幡宮の話



🐶 唐津神社


坂本八幡宮には、「ムース」を作って持って行ってくれて、唐津神社には、「たい焼き」を持って行ってくださいましたね。

そのSさんの奥さんが、最近大怪我をしていたことがわかりました。

私が6月の始め頃に「塩の効用」のことをブログの記事にしましたが、Sさんから塩を送って欲しいという📩がきた時に、そのことがわかったので、ビックリしてすぐお電話をしたのです。

Sご夫妻が、5月15日に登山をしていた時に、奥さんが山道でスマホの入ったポシェットを拾おうとして20メートルくらい滑落して、右肩の「骨頭」を骨折してしまったそうです。

その時の様子を📩していただきましたので、使わせていただきます。


5月15日、福岡県の英彦山(ひこさん)山系の岳滅鬼岳(がくめつきだけ)に行こうということになり、夫と私と友人と3人で登ったのですが、山頂でお昼を食べての帰り道、歩くのが遅い私が最後になってしまい、二人とは離れてしまいました。

尾根筋を外れた片斜面のところで、スマホの入った小さなポシェットをコロコロと、5メートルくらい下に落としてしまい、これは拾わないと、と取りに行こうと一歩踏み出した途端、落ち葉で滑って、ザザーと滑落に近い落ち方をしてしまいました。

かなり急斜面でしたが、落ち葉がたっぷり積もっていて柔らかい地面を、右側を下にして滑りながら、2度、かた〜い岩か何かにガン、ガン、と肩の付け根を強打し、やっと止まった時には、肩が痛くて、一ミリでも腕を動かすと激痛が起き、まったく立ち上がることもできませんでした。

ポシェットは、はるか上の方で止まっていて、とにかくなんとか体を動かそうとしても、まったく動けません。 
肩が使えないと、なかなか立ち上がれないんですねぇ。
夫と友人の私を呼ぶ声が聞こえてきて、やっと私がどこにいるかを探し当ててくれました。

二次災害の危険を犯し、私のところまで降りて来てくれた夫も、流石に私を担ぐことは無理なので、手やストックで引っ張ったり、足場を誘導したりして、なんとか1時間ぐらいかけて、尾根道まで戻ることができました。
見通しの悪い木の繁ったところだったの「こんなところじゃ、ヘリも来てくれんぞ!」とか「痛くても、歩かんと帰れんぞ!」
とか、ゲキを飛ばされながら、必死で足に力を入れました。

でも、肩が使えないと、びっくりするくらい、足にも力が入らないんですねぇ。
もう、斜面をよじのぼるのが、生きていて一番痛くて辛い時間だったかもしれませんでした。

その後も普通でも2時間はかかる下りの道を、私の荷物は二人で交代で持ってもらい、私は左手でストックをついて、右手はポシェットと布で三角巾のように固定して、とにかく降りました。
一歩足を踏み出す度に、肩に激痛が走り、
「痛い、痛い、痛い、痛い」と口にするのが自分でもうんざりするけど、言わずにはおれない状態でした。
聞かされる方もたまったもんじゃなかったでしょう。
初めは、なんでこんな目に、、、と正直、恨めしい気持ちもあったのですが、歩いているうちに、もしも足をやられていたら、それこそ歩いて帰れないし、頭を打っていたら、命に関わることだってあったし、怪我した場所も、もう少し上の方だったら、急斜面すぎて、自分の足で降りられなかった。

どなたかは知らねど、大難を小難にしていただいたんだ!
と気づき、それからは、「痛い」の代わりに「ありがとう、ありがとう」と一歩踏み出すたびに、唱えながら降りて行きました。
するとなんということでしょう!
痛みが、和らいできたんですよ。
感謝の気持ちと、言霊のパワー、
ほんとに実感しました。
「ありがとう」のおかげでどうにか駐車場まで辿り着きまして、家まで帰り着き、疼く肩に眠れないまま朝を迎え、病院にかけこみました。


この日は、日曜日だったので、病院には次の日に行かれたのですが、まさか骨折をしているとは思ってなかったそうですよ。



画像は、つい最近Sさんからいただいた「唐津くんち」の11番目の曳山(ひきやま)酒呑童子が上にいる源頼光(みなもとらいこう)の兜のグッズ。

ありがたいことですね。


続きます。


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荒熊神社の清水宮司様の話 その3

2022-07-27 07:30:00 | 日記
緒畑稲荷神社の金龍が、オバタの神が話したいと言っていると伝えてきたので、呼んでみました。


オバタの神だ。

何か清水宮司様に伝えることがあるのですか?

緒畑神社のことは、キレイにしてくれて喜んでいる。
ただ、私がいる場所がないのだ。

どうすればいいですか?

戸ーーーーは、作れないだろうから、御簾(みす)の内側に「オバタ大明神」と札に書いて置いてほしい。
それだけでいい。
清水には悪いことをしたと思っている。
知らせたかったのだと、伝えてくれ。

字は、どのように書いたらいいですか?

字は、「小」さいに「俣」だよ。
「小俣」は、伊勢に繋がっているからな。
小俣大明神」と札に書いて置いてくれればいい。


私は、緒畑稲荷神社を調べていて、この神社の由緒の中に、伊勢神宮の外宮の「小俣神社」から勧請(かんじょう)したとあったので、確かめてみました。

たまたま「オバタ」と読むことは一緒だったのですが、「緒畑」ではなく「小俣」だったのですね。
緒畑稲荷神社には、依り代が無くなってしまったのでしょうか。



画像はお借りしましたが、伊勢外宮の摂社の小俣神社です。


次に話してきたのは、緒畑稲荷神社にいる伏見のキツネのお母さんでした。
実は、このお母さんの子供が兄妹で、荒熊神社にいることは、以前から聞いていました。

記事を探すと、2021,6,24にその話があったので、少し抜粋します。


荒熊神社には、伏見稲荷の兄妹のキツネさんがいて、Iさんが当初からそれを感じていたのですが、緒畑稲荷神社のキツネさんは、その兄妹のお母さんのようでした。


私は伏見のキツネです。
荒熊神社にいるのは、私の子供です。

お母さんですか?

母ですね。
Rさんが、言ってくれたので、荒熊神社の人達がキレイにしてくれました。
ホッとしました。
話せたからですね。
繋がりは、大事ですから信じてくれる人がいるだけで嬉しいです。


抜粋終わり。

🐶 「蒼いとびら」について



ということで、伏見のキツネのお母さんが話してきました。


緒畑神社のキツネです。
以前は、金龍がいたので良かったのですが、今は私だけなので、力不足でした。
清水宮司に伝えるために、私の子供達がいろいろしていたことは、謝ります。
オバタの神を忘れて欲しくないので、お願いします。


私は荒熊神社の清水宮司様にお電話をして、この話を伝えました。

宮司様は、すぐに聞いてくださって、伝わって良かったです。


そして、次の日にオバタの神が話してきました。


オバタの神だ。
清水に伝えてくれて、ありがとう。
私は伊勢神宮の外宮にある小俣神社の神だ。
あの場所に来て久しいが、しばらくの間かなり荒れ果てていた。
守りがいないと、神社も寺も荒れてしまうな。

そうですね。

豊川の金龍は、いなくなってしまった。
伏見のキツネだけでは、手に余ってのだろうな。
昨日言った通り、札を置いてくれればいいよ。

オバタの神様は、何階層の神様ですか?

私は四階層の神だ。
就いてもいいか?

はい。

助かったよ。
清水は、頑張っているからな。
悪かったと思う。
豊川の金龍が話したいそうだ。


ということで、オバタの神は私の259番目の神様になりました。

そして、豊川の金龍が話してきました。


豊川の金龍です。
すまないことをしましたね。
神社をキレイにしてくれたのですが、時が経ちすぎてしまったので、豊川稲荷の近くの川に戻りました。
だから伝えてくれてありがとうございます。
伏見のキツネが話したいそうです。


伏見のキツネの母です。
オバタの神が気の毒で、子供達が頼んでいろいろして、申し訳なかったです。
本当に伝えてくれて、ありがとうございます。


清水宮司様も、その後お元気になられたようで、お伝えすることが出来て本当に良かったです。

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荒熊神社の清水宮司様の話 その2

2022-07-24 07:30:00 | 日記
6月7日に清水宮司様からお電話がありました。
最近、何かいろいろ身に起こっていて、それについてわかることがあれば教えて欲しいということでした。
とても気になっているのは、名古屋にある緒畑稲荷神社のところにいた金龍がいなくなってしまったのはなぜか?ということでした。

緒畑稲荷神社は、もちろん私は行ったことがないのですが、何年か前から聞いたことのある神社だったので、とりあえずわかるのであれば聞いてみようと思いました。

宮司様が私なぞにお聞きになるのは、余程のことだろうと思ったからですね。

緒畑稲荷神社をなぜ知っていたかというと、「魂の会」に以前からいらしてくれていた、きびのさんのお家のご近所らしく、ずいぶん前に写真を送って下さったことがありましたし、一昨年の11月4日の大祭に行った時にその話をしてくれた方がいらしたので、関わりが深い神社ということはわかっていました。


🐶 荒熊神社に行きました。



その時にお会いした方にお聞きしたのは、緒畑稲荷神社の現在の土地の持ち主の方は、神社とは関係があまりなく、かなり荒れてしまっていて、近所にあるので心配だということを清水宮司様に話すと、荒熊神社の信者さん達で、掃除に行かれたということでした。

前回の記事で、清水宮司様が踏切のところに立っているのを見て、近所の方に

鳴海に『荒熊大神』という不思議なお力を持ったとても素晴らしい神様がいらっしゃるので、おすがりしてみたらどうですか?
悩み苦しんだ人が、最後の最後にたどり着く神様なのですよ。

と教えてもらい、行かれた場所が名古屋市緑区鳴海町のまさに緒畑稲荷神社で、ここにいらした方が清水宮司様の師匠の「島田覚正先生」だったのです。

清水宮司様のご本の始めの方に「島田覚正先生」のことが書いてあったので、抜粋させていただきます。


島田先生は、緒畑神社の長男として生まれました。
十歳の時、ある日突然行方不明になってしまいました。
どこを探しても見当たりませんでした。
それから八年後、髪の毛が足下まで伸び、若者ではあるが仙人のような風貌をしてみんなの前に姿を現しました。
行方不明になった後、天竜川の上流で大蛇や山椒魚と一緒に寝起きしていたということでした。
猿が木の実を取って来てくれて、それを石でつぶして粉にして、水で溶いて食事としていたそうです。
緒畑神社に戻ってくると今度は、鞍馬の山に七、八年修行のためにお籠りをしました。
御嶽山では、霊神と法力のかけ比べをして力を磨いたのです。
そして、厳しい修行の末、神様から偉大な力を授けられた修験者になったのだそうです。


十歳の時に、まさに神隠しのようにいなくなってしまったのは、現代ではあまり考えにくい話ですが、清水宮司様に由ると、島田先生は宙に浮くことも出来たそうです。
清水宮司様は、どんなに修行してもそんなことは出来なかったとおっしゃっていたので、島田先生は本当に仙人になっていたのかもしれませんね。

宮司様のご本には緒畑神社と書いてあるので、島田先生がいらした時は、稲荷神社ではなかったのでしょうか。

6月7日のお電話をいただいてから、私は宮司様が金龍さんがいなくなってしまったのが、気になるとのことだったので、まずは金龍さんを呼んで聞いてみることにしました。


緒畑神社にいた金龍です。

何が起こっているのですか?

緒畑神社にいましたが、荒れてしまったので、今は豊川稲荷のところにいます。

清水宮司様に何かしましたか?

私ではありません。
オバタの神が、知らせたいことがあるみたいです。

オバタの神と呼べばいいですか?

オバタの神と呼んでみてください。


私はオバタの神を呼んでみました。





画像は、緒畑稲荷神社。
お借りしました。


続きます。
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荒熊神社の清水宮司様の話

2022-07-22 07:30:00 | 日記
私とIさんが、知多半島の荒熊神社に初めて行ったのは、2016,10,1のことなので、もう6年くらい前になります。

当時の記事を読み返してみると、その年の7月くらいから行って欲しいと言われていたのだと思いました。
10月1日に初めて荒熊神社に行った時の記事を少し抜粋します。


(清水)宮司様が話されたことですが、

私は今は、91才になるけれど、36才の時に、死にかける大病をして、医者も見放したのだけど、荒熊の神様が助けてくれたのです。
それで、行者になって、55年間お仕えしています。


という話で、私達はきちんと聞かないといけないなと思っていました。


そこへ、先ほどの女性が箱に入った鈴を2つ持ってきて、紙に氏名と住所を書くように言われて、私達は素直に書いていました。


宮司様は、

ほーーっ。東京からねー。

【中略】

荒熊神社の神様は、猿田彦の繋がりとは聞いていたとおっしゃるので、またIさんが、


猿田彦様の、お子さんですよ。


と言って、私も


来てほしいと言われたから、来ました。


と、言うと、


今年、東から来る人に助けられると、ずっと言われていたのです。


とおっしゃったので、やっぱり神様達が、言っていたことは、伝わっていたのだと思いました。


抜粋終わり


🐶 知多半島の話 その4



清水宮司様とは、この時からのお付き合いになりますが、私とIさんがブログの記事にしたことで、読んでいただいた方達が荒熊神社に行かれて、ずいぶん人が集まるようになったと言っていただいていて、少しはお役に立ったのかと思っています。

そして、私の還暦の記念には鳥居を建てさせていただきました。

今回、改めて宮司様のご本を読み返しているのは、6月7日の朝にお電話をいただいたからです。



清水宮司様は、大正15年3月1日にお生まれになったので、今年96才になられました。

上記にあるように、医者が見放すほどの大病の前に、ご主人が肝硬変の一歩手前になり、毎日背中が痛いと苦しみ、生まれたばかりのご長男が病弱で肺炎を起こしたりして疲れきってしまった宮司様は、電車の踏切の前に立っていたそうです。
1週間そのような感じでいた時に、近くに住んでいる方に

鳴海に『荒熊大神』という不思議なお力を持ったとても素晴らしい神様がいらっしゃるので、おすがりしてみたらどうですか?
悩み苦しんだ人が、最後の最後にたどり着く神様なのですよ。


と言われて、宮司様は言われる通り荒熊神社に月2回参拝して半年後にはご長男の健康状態はよくなり、ご主人は全然信じていなかったのが、毎日祈り続けると、7ヶ月後には背中の痛みが消えたそうで、

俺は、神様なんかおらんと思っとったけど、神様って本当におるんだなあ。

と、信じてくれるようになりました。

その後にご自身も多分過労からだと思いますが、胃と十二指腸に激痛が襲い医者には、すぐ手術が必要だと言われたそうですが、宮司様は神様に祈り続け、75日目に痛みが突然無くなり、はっきりと荒熊大神の声が聞こえたそうです。


親からもらったおまえの命は、今日までのことと思え。
今日からのおまえの命は、大神がおまえに授けたものである。
荒熊神社をおまえの力で守ってくれ。

と言われ宮司様は、

わかりました。
命のある限り荒熊大神にお仕えします。

と答えたのですね。

そこから、壮絶な修行が始まるのですが、当時は、修験の山は女人禁制だったので、人目を忍んで「けもの道」を夜中に歩き通したりの、死ぬ思いでの修行だったそうです。
修行は、20年間続きその間温かい布団で寝ることはなかったとのことで、今は荒熊神社の禰宜さんの英勝さんも、子供の頃は近くにいてもらえず、かなり淋しい思いをしていたようです。

写真のご本は、50周年記念ということで、平成22年にまとめられた物ですが、その時からもう12年経っている訳で、清水宮司様のお姿を拝見する度に、その体力と気力に驚かされます。

その宮司様から、6月7日の朝にお電話が掛かってきて、そんなことは今までなかったので、私は驚いていました。

少し前に体調を崩してご入院されていたのもお聞きしていたのですが、荒熊神社によく行かれる釣り師のOさんから、ずいぶん回復されている様子は聞いていましたので、良かったと思っていたのですね。


続きます。

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