「ノナの家」nonahouseは かつこ内親王、かつこ内親王2の続きのブログです。

神様達の名前は、沢山出てきますが、宗教とは全く関係ありません。
mikunenona@gmail.com

阿弥陀如来と法然

2024-08-25 07:30:00 | 日記
Iさんは、国立博物館の「法然と極楽浄土」特別展へ、行っていました。



夜に何か、大きな神様?を感じたからだと言っていましたが、みゆきちゃんからも、


ここ何日か、めちゃ大きな神様?いますよね。
タケミナカタさんとは違う、、、


と、📩も来ていたので私はミクネの神(天之常立之神)に聞いてみました。


私)Iさんやみゆきちゃんのところに行ったのは、誰ですか?

昨日の夜に行ったのは、阿弥陀如来だよ。
この前、法然のところに行って良かったな。
昔、M子に「南無阿弥陀仏」と言ったらいいという話をしていただろう。

はい。そうでしたね。

「南無阿弥陀仏」は、それほど強い言葉なのだよ。
法然は、悟ったということだな。
「南無阿弥陀仏」と唱えたらいいと、Iに伝えたらいいよ。

わかりました。

阿弥陀如来が話したいそうだ。


ということで、阿弥陀如来が話してきました。


阿弥陀如来です。
昨日、Iさんのところに行きましたよ。
M子さんと、会って良かったですね。
「阿弥陀仏」は、明るい言葉なのです。
「南無」が付くと、「私は明るくなります」の意味です。
法然は、わかってくれたのですよ。
空海も親鸞もわかっていたと思います。
理解はしなくていいのですよ。
「南無阿弥陀仏」と唱えてくださいね。
余計なことは考えずに。。。


Iさんは、「法然と極楽浄土」展に行って、阿弥陀如来像の少し大きいのを買い求めたようです。


そして、📩がきました。


また、太陽の力を感じて、1時間ぐらい倒れていたんだけど、、
さっき、喉がなって、
その後、口の左奥の方から石が出てきた。
噛み潰した。
その黒い石が出てきて、体が突然よくなってきたんだけど、、
なんなんだろう。
夕方から阿弥陀如来さんを感じていて、そこから倒れた。


倒れていたけれど、その後体の調子が良くなったらしいです。


次の日の5月18日に、また阿弥陀如来が話してきました。


阿弥陀如来です。
Iさんが、新しい体になったと言っていたでしょう。

はい。

太陽フレアは、人体に影響しないと言われていますが、一部の人には影響しています。
Iさんもそのひとりですね。

私はどうなのでしょうか。

M子さんは、もう既に出来上がっているのです。
この部屋に置いてある塩がパワーを上げているのは、M子さんから出ている電磁波のようなものからですよ。

そうですか。

M子さんが、手を当てて治ったりするのもそのせいです。

ありがとうございます。

これからも、人に対して使ってくださいね。

わかりました。

Iさんの黒い石は炭です。

炭ですか?

悪い気が太陽フレアで炭になったのです。
だから、良かったですね。

「法然と極楽浄土」展に行って、良かったです。

法然は、「南無阿弥陀仏」を確立しました。
神になっているので、話したらいいですよ。

わかりました。


私は、法然を呼んでみました。


法然だ。
先日は「法然」展に来てくれて、ありがとう。

法然様は、神様なのですか?

私は、元々神界から行ったので、戻ったという感じだな。

何階層の神様なのですか?

今は四階層の神だな。
三階層に空海様がいるので、よく話しているよ。
「南無阿弥陀仏」は、パワーのある言葉だ。
私は今は知恩院の奥にいたりするよ。


太陽フレアについては、三鷹の国立天文台の記事になっていました。

🌟2024年5月11日の夜から12日の明け方にかけて、日本各地でオーロラが観測されるという珍しい現象がありました。

この一連の現象は、太陽表面で連続して発生した爆発現象「太陽フレア」に起因するものでした。

太陽活動の周期はおよそ11年で、現在は極大期に向かってその活動が活発になってきています。

国立天文台 太陽観測科学プロジェクトは、太陽観測衛星「ひので」をはじめ、地上からは三鷹の太陽フレア望遠鏡、野辺山の強度偏波計といった観測施設を駆使して、太陽の定常観測を続けています。



私は、特に感じていませんが、体調の悪くなる人は、もしかすると太陽フレアのせいなのかもしれませんね。 

私は行ったことのない京都の知恩院については、Iさんがずいぶん前に記事にしていました。


★知恩院徒然 



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「法然と極楽浄土」展に行きました その2

2024-08-22 07:30:00 | 日記
私達は、ゾロゾロと国立博物館の特別展「法然と極楽浄土」を観に行きました。
 
私は、法然のことはよく知らなかったのですが、「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」という念仏は、さすがに知っていました。

それで、思い出したことがあったのです。
私がまだ勤めていた時なので、10年くらい前のことだったのですが、ある日ノドが痛くなり、このままだったら風邪を引いてしまうなと思った時に、会社を休むことが出来ないかったので、ミクネの神(天之常立之神)に相談すると、「なむあみだぶつと、100回唱えればいいよ」と言われたので、確か駅のホームだったと思いますが、ずっと唱えていると、ノドの痛みが無くなって、結局風邪は引かないで済んだのですね。

私はその時、多分絶対会社を休めない状態だったので、必死だったのだと思います。
実際、その時だけの話ですからその後はずっと忘れていました。

ただ、子供の時から聞いたことのある「南無阿弥陀仏」という言葉にはパワーがあるのだと感じた出来事でした。

法然は、浄土宗の宗祖で、平たく言えば「南無阿弥陀仏」を唱えれば全ての人は極楽浄土に行けるという教えだったようですね。

特別展での法然の回りには、沢山の僧侶が取り囲んている絵が多くて、大きな影響力のあるカリスマだったのかと思いました。

朝廷(後鳥羽上皇)というより、他の寺院にとっての脅威になっていたのか、法然も弟子の親鸞も流罪になっていたということも、やっぱりいつの時代も排斥をする権力側がいるのだと思いました。

その時の絵巻もあり、僧侶達の悲しみの表情も良く描けていたと思いました。

法然は四国に、親鸞は新潟に流罪になっていたとのことで、法然が亡くなった時に親鸞は駆けつけることが出来なかったそうです。

親鸞を調べると、

法然を師と仰いでから生涯に亘り、「法然によって明らかにされた浄土往生を説く真実の教え」を継承し、さらに高めて行く事に力を注いだ。
自らが開宗する意志は無かったと考えられる。
独自の寺院を持つ事はせず、各地に簡素な念仏道場を設けて教化する形をとる。
親鸞の念仏集団の隆盛が、既成の仏教教団や浄土宗他派からの攻撃を受けるなどする中で、宗派としての教義の相違が明確となり、親鸞の没後に宗旨として確立される事になる。

とのことで、没後に「浄土真宗」は生まれたようですね。

法然も、寺院を持たなかったそうですが、親鸞はその辺も同じようにしていたのですね。

特別展の一番最後の場所は、撮影OKの高松の法然寺の仏像群でした。
仏像だけではなく、動物や架空の動物も沢山あって、圧巻でした。






猫だけが、こっちを向いています。





私は、売店のところで小さな阿弥陀如来と麒麟を買い求めました。
せっかくなので、Iさんにも麒麟を求めました。


ミクネの神に聞くと、阿弥陀如来は、両親と夫のガラスで作成したモニュメントのところに、麒麟は鳥取県在住のFさんからいただいた麒麟獅子の横にと言われたので、その通りに置きました。





Iさんは、何か大きな物を感じて、私が行った少し後に、国立博物館に行っていて、写真が送られてきました。


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「法然と極楽浄土」展に行きました

2024-08-18 07:30:00 | 日記
5月14日は、以前からお誘いをいただいて国立博物館で開催されていた、「法然と極楽浄土」特別展に行っていました。

そもそもは、「魂の会」の常連のトーマスさんがご実家の青森に帰るとのことで、何人かの方をお誘いいただいたことから始まります。

彼女は、ずっと東京で働いてきたのですが、今年のお正月休みでご実家に帰ったタイミングでお母様が倒れられたりして、しばらくリモートで仕事をしていたのです。
という訳で、契約更新の時期を見て、7月1日からご実家に帰ることを決めたそうです。

ある程度の年齢になると、親の介護問題は必然的になりますよね。

私の両親は、三浦にある施設で暮らすようになりましたが、それは父がある日突然、脊椎梗塞(せきついこうそく)になってしまったからでした。

最近、元体操のお兄さんの佐藤弘道さんが、突然下半身不随になってしまったニュースがありましたが、それと同じ病気です。

私は当時勤めていたし、夫も病気だったので、母は実家に置いていても何も出来なくなっていたのですが、引き取るのは無理でした。
それで、妹の家にしばらくいたのですが、妹の家族が母のために崩壊しそうになってしまったのと、妹も乳がんになったばかりで、かなり負担を掛けてしまい、施設を探すのは急務になったことを思い出します。

年齢を考えると、トーマスさんと同じ頃のことだと思いました。

待ち合わせは、昼食の場所だったので、それより少し前にきょんぴいさんとのぶえさんと待ち合わせして、上野の辺りを少し歩きました。

まずは、有名な西郷隆盛像を見に行きました。


とても良い天気で、修学旅行の学生さんが、グループに分かれて動いていました。

不忍池に行こうと思っていたので、清水観音堂を通って行くと、ここから不忍池弁天堂は、松の枝の丸の中に収まっていることがわかりました。



後ろを振り返ると、日輪が。





私達は、弁天堂に向かって歩いて行きました。

不忍池弁天堂は、江戸城を作った天海が琵琶湖の竹生島(ちくぶじま)を模して作ったそうですよ。





お参りをしてから、不忍池を見ていました。





清水観音堂の松の丸から見えていた、緑の屋根ですね。  

私達は、のんびり不忍池を巡って、待ち合わせのお店に行くと、皆様早目にいらしていたので、すぐに食事になりました。





皆様で、美味しく食事をして、メインの国立博物館に向いました。

国立博物館に行くのも、久しぶりのことでしたが、この話を行きの電車でIさんとみゆきちゃんとのグループラインで話していると、みゆきちゃんから日輪の写真が送られてきました。





ポスターの写真と似ているので、Iさんは、行かなくてはと、思ったようですよ。


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タケミナカタとマセノラの神の話

2024-08-15 07:30:00 | 日記
5月11日に、みゆきちゃんからIさんとのグループラインに📩がきました。


あの、、、
家に足元だけ見える大きな巨人のような神様?がいるのですが、、、
こちらを向いている感じなので、何か伝えたいのかな?という感じです。


いつものことですが、みゆきちゃんは見えるタイプなので、どんな世界を生きているのかと思いますね。
Iさんは、見えるというより感じるタイプで、この時は

タケミカヅチさんかな?

と、返していました。


私の話では、タケミカヅチとタケミナカタが巨人で、仲良く競いあっていたらしいのですが、神話ではちょっと違うようになっていますね。

私は、全然見えないし感じないので、いつも二人の会話に驚いています。

この時は、ちょっと忙しかったので、ミクネの神(天之常立之神)に一言だけ聞いてみると、


タケミナカタだよ。
諏訪から来たよ。


とのことだったので、それだけを伝えていて、次の日の朝に、タケミナカタと話してみました。


タケミナカタだ。

みゆきちゃんのところに行きましたか?

みゆきのところに行ったよ。

なぜですか?

後少しで、肩の荷が下りるよ。
母のことだ。
よく、がんばったな。
だから、行ったのだ。


みゆきちゃんは、この頃一番大変
だったと思います。
お母様は、ご病気になっていて、病院の転院などで、動いていましたからね。
それを心配して、タケミナカタが来ていたのかと思いますが、部屋の中に足の踵(かかと)までが見えていたようですよ。

私は少し前のケルベロスのことを思い出していました。


☆ケルベロスとアトランティスの神様



丁度、同じ頃に青森在住のまーさんから写真が送られてきました。



今、嫁さんのお友達が来ていて
この写真を見せてくれました。
5月5日、八戸の蕪嶋(かぶしま)神社上空だそうです。
どちらの神様か分かるでしょうか。

私も誰だろうとミクネの神に聞いてみると


これは、スカイウェイで来た、ガルーダに乗ったビシュヌ神だよ。


と、言われたのです。
ビシュヌ神は、私の話ではマセノラの神と言っていて、初期の頃から話していましたが、久しぶりなことでした。

そして、次の日に話してみました。


マセノラの神だ。

お久しぶりです。
青森に行っていましたか?

青森に行ったら、寒くて風邪をひいたよ。
もう、帰ったよ。


マセノラの神は、普段タイにいると言っているので、やっぱり5月の青森は、寒かったみたいですね。

☆アストラの実の話 その後


マセノラの神は、私に癌をなおしてくれる「アストラの実」をくれた神様ですが、いつも楽しい感じです。


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「草薙の剣」の話

2024-08-10 07:30:00 | 日記
瀬織津姫の話を聞いた後に、「草薙の剣」について、話していました。

私の「かつこ内親王」のブログからのことになりますが、熱田神宮にはハセの神がずっといることになっています。

ハセの神は、私とはなかなか話してくれませんでした。
神様達に由ると、ずっと引き籠もりのようになっていたとのことでした。

イラタの神は、日本の神様の中では一番古くからいる天之御中主之神(あめのみなかぬしのかみ)ですが、日本に来た頃にヤマタノオロチが淀川から上がって来て、暴れていたので、ハセの神に退治を頼んだのですね。

その時に使った剣は、「天叢雲剣」(あめのむらくものつるぎ)だったのですが、退治に失敗して剣は飲み込まれてしまったそうです。

大事な剣を飲み込まれてしまったのて、落ち込みも激しく、イラタの神との間に溝も出来てしまったようですよ。

イラタの神は、困って当時はまだイランにいたスサノオノミコトを呼び寄せて、ヤマタノオロチの退治をお願いしたのですね。

スサノオノミコトは、いつもライオンと戦っていたので、ヤマタノオロチを退治することが出来て、尾の中から、飲み込まれてしまった「天叢雲剣」を発見しました。

相当錆びついてしまっていたので、マンガン山に住んでいた刀鍛冶に頼んで直してもらったのですが、8年掛かって直した「天叢雲剣」を天照大御神のところに持って行くと、弟だということにされて、困ったと言っていました。


この話は、初期の頃に聞いていた話でしたが、今回話したハセの神がやっぱり同じ話をしていたので、概略を記してみました。

ハセの神は、豊雲野(とよくもの)の神なのですが、調べてもよくわからない神様ですね。


5月11日


ハセの神だ。

お久しぶりです。

久しぶりだな。

ハセの神様は、熱田神宮にいるのですか?

熱田神宮か名古屋城にはいるよ。

「草薙の剣」は、熱田神宮にあるのですか?

「草薙の剣」は、熱田神宮にあるよ。
私が守っているからな。

天叢雲剣」とは、同じ物ですか?

天叢雲剣」とは、同じ物ではないよ。

では、どこにあるのですか?

「天叢雲剣」は、壇ノ浦に沈んでしまったよ。
元々は、ヤマタノオロチの尻尾に入っていた物だったからな。
私が退治に失敗してしまったから、いけなかったのだが、スサノオノミコトが刀鍛冶に直してもらって、ナシタの神(天照大御神)のところに持って行ってもらった物だ。
ヤマトタケルの話は、もっと後の話だからな。
ミヤズ姫が熱田神宮に持って来たが、信じて貰えなかったのだよ。
「草薙の剣」は、「天叢雲剣」とは別の物だが、今はそれしかないからな。
とにかく、いろいろな人の思惑が「三種の神器」にはあるので、面倒くさくなるのだよ。
人は、権威が好きだからな。
権威を守ろうとすることが、国家の安寧だと思われていたからな。
日本だけではないよ。
残念だが、争うのが普通の姿だからな。


ハセの神の話は、なかなか深いですね。
天叢雲剣」は、壇ノ浦にやっぱり沈んでしまったのでしょうか。
時代は、ずいぶん違うように思いますが、熱田神宮にあるらしい「草薙の剣」は、国家として大事にされて行くのでしょう。

ハセの神も、しっかり守ってくれていますからね。






画像は、3月に行った熱田神宮。


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