前回は、12月初めに行った清洲城の話でしたが、先に暮れに話したことを記事にしようと思います。
今年は、夫と別居したこともあり、テレビも自分の好きな番組を観ることが出来ていました。
そして、たまに記事にしていましたが、NHKの大河ドラマ「青天を衝け」をで観ることが日曜日の夜のルーティンになっていました。
見逃した時は、NHK+で観たりしていて、最終回まで観て、渋沢栄一さんという人について、知ることが出来て本当に良かったと思います。
渋沢さんが生きていた時代は、幕末から明治、大正、昭和の変革の時期で、知り合いの方達が、暗殺されたりで命を失う中、91歳までのご長寿でドラマの最終回では、亡くなる少し前までラジオで隣国の危機を助けるために演説していた姿に、誰だかわからない涙がボロボロ出てしまいました。
一貫して、みんなが幸せになるには、お金を稼ぐには何が必要なのかを考えていらしたように思うのは、渋沢さんが作ったり関わった会社が今も沢山あることと、慈善事業をして、子供達を助けていたことで、やっぱり神界から遣わされていた人生だったのかと思います。
2021,7,23と7,26の記事の「えいいちの神」が話していたことを抜粋してみます。
深谷は、江戸と近かったのだよ。
川があったからな。
だから、私は江戸に行ってみたかった。
江戸で勝負したかったのだ。
だから、運がいいと思っている。
やっぱり、人の繋がりが大事だと思う。
(平岡)円四郎様は、本当に無念だったよ。
切られてしまうとは思わなかった。
私は命の儚さを知った。
私は生き残ってやると、誓ったのだ。
長生きでしたね。
長生き出来たのは、回りの人のお陰だよ。
何度も病気になったからな。
齢(よわい)を重ねないと、わからないことは沢山あるよ。
若い時は、回りが見えないからな。
今、思っても大変な世の中だったと思うよ。
理解できる人は、いなかったからな。
私はイギリスやフランスに行けたから、良かったと思っている。
日本の中にいたら、想像もつかないことばかりだったからな。
ラーーーースーーーートーーーーの年にならないように、神達は動いているよ。
私もがんばるよ。
渋沢栄一だったえいいちの神だよ。
らーーーーん(乱)だったからな。
私が生きていた時は。
冷酷な時代だったと思うよ。
つまり、人は武士にならなければ「人でなし」だったからな。
友達の好き嫌いで悩んだりするのは、生きているから仕方ないのだよ。
死んでしまったら、何も出来ないからな。
私は、さーーーー(差)が嫌いだった。
生まれとかで、判断されるというのは、本人はどうすることも出来ないからな。
貧しい人達の中にも、優秀な人は沢山いたのだよ。
だから、私は会社を作ったのだ。
気概のある人達に任せてきたから、それぞれが発展したと思っている。
私は(平岡)円四郎様が早く死んでしまった
ので、とても残念だったよ。
円四郎様の考えを踏襲しただけだったからな。
円四郎様がいなければ、私はずっと百姓のままだったから、死んでも死にきれなかったと思うよ。
(徳川)慶喜様も素晴らしい人だったからな。
いつも、大変な目に合っていたけどな。
私は友達が大事だと思う。
自分一人では出来ないことが、友達のお陰で、沢山出来たからな。
楽しかったよ。
いろいろあったけど、生きている時は楽しかった。
繋がりは、菩薩界に来ても、神界に来ても変わらないのだよ。
神界で出来た友達も沢山になったからな。
今は何階層の神様なのですか?
七階層から六階層にしてもらったよ。
「論語と算盤」のお陰だな。
今、読んでくれる人が増えたからだな。
🐶 渋沢栄一の話
🐶 渋沢栄一の話 その2
神様のシステムは、生まれ変わって神界に戻ると、一つ上の階層になるという話だったので、戻って七階層からまた一段上になっていたようですね。
そして、「青天を衝け」の最終回を観た次の日に、渋沢栄一だった「えいいちの神」が話してきました。
渋沢栄一だ。
昨日は、「青天を衝け」の最終回を感動して観ていました。
ドラマは終わったな。
あんなにカッコよくはなかったが、人が幸せになって欲しいと思っていたことが、伝えられていたと思う。
そうですね。
岩崎(弥太郎)さんと話したことも、大隈(重信)さんと話したことも、伊藤(博文)さんと話したことも、私にとっては宝だったよ。
平岡(円四郎)様や、上様(徳川慶喜)に出会ってなければ、私はただの百姓で終わっていた。
人は出会いが大切なのだと、今も思っている。
利他の心でいることは、ずっと豊かにしていくと思って欲しい。
神はいつも見ているということだな。
三菱財閥の創始者の岩崎弥太郎さんは胃ガンで50才で亡くなっているようです。
渋沢栄一とは、思想が違うという感じでしたが、孫同士で結婚しているので、仲はそれほど悪くはなかったのかと思います。
早稲田大学の創始者でもある大隈重信さんは、かなり精力的に83才まで生きてがんばっていたのですね。
私は知らなかったのですが、襲撃事件で右足を失い、義足になっていたそうです。
初代の内閣総理大臣になった、伊藤博文さんは中国に行っていた時に68才で暗殺されてしまいました。
そして、15代将軍の徳川慶喜さんは、徳川家の将軍の中では一番の長命の76才で亡くなりました。
将軍だったのは、たった一年で、後は忘れ去られた存在だったのを、渋沢栄一さんが伝記を作っています。
渋沢栄一さんは、昭和の初期まで生きたので、それぞれの死に立ち合うことになり、沢山の思い出があったのでしょうね。
今年は今日で終わります。
コロナの一年でしたね。
来年は、普通の生活に戻って欲しいと祈ります。
良いお年をお迎えください。
画像は、昨日の朝の伊豆稲取の海。