「ノナの家」nonahouseは かつこ内親王、かつこ内親王2の続きのブログです。

神様達の名前は、沢山出てきますが、宗教とは全く関係ありません。
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暮れに話したこと

2021-12-31 07:30:00 | 日記
前回は、12月初めに行った清洲城の話でしたが、先に暮れに話したことを記事にしようと思います。

今年は、夫と別居したこともあり、テレビも自分の好きな番組を観ることが出来ていました。

そして、たまに記事にしていましたが、NHKの大河ドラマ「青天を衝け」をで観ることが日曜日の夜のルーティンになっていました。



見逃した時は、NHK+で観たりしていて、最終回まで観て、渋沢栄一さんという人について、知ることが出来て本当に良かったと思います。

渋沢さんが生きていた時代は、幕末から明治、大正、昭和の変革の時期で、知り合いの方達が、暗殺されたりで命を失う中、91歳までのご長寿でドラマの最終回では、亡くなる少し前までラジオで隣国の危機を助けるために演説していた姿に、誰だかわからない涙がボロボロ出てしまいました。

一貫して、みんなが幸せになるには、お金を稼ぐには何が必要なのかを考えていらしたように思うのは、渋沢さんが作ったり関わった会社が今も沢山あることと、慈善事業をして、子供達を助けていたことで、やっぱり神界から遣わされていた人生だったのかと思います。

2021,7,23と7,26の記事の「えいいちの神」が話していたことを抜粋してみます。


深谷は、江戸と近かったのだよ。
川があったからな。
だから、私は江戸に行ってみたかった。
江戸で勝負したかったのだ。
だから、運がいいと思っている。
やっぱり、人の繋がりが大事だと思う。
(平岡)円四郎様は、本当に無念だったよ。
切られてしまうとは思わなかった。
私は命の儚さを知った。
私は生き残ってやると、誓ったのだ。

長生きでしたね。

長生き出来たのは、回りの人のお陰だよ。
何度も病気になったからな。
齢(よわい)を重ねないと、わからないことは沢山あるよ。
若い時は、回りが見えないからな。
今、思っても大変な世の中だったと思うよ。
理解できる人は、いなかったからな。
私はイギリスやフランスに行けたから、良かったと思っている。
日本の中にいたら、想像もつかないことばかりだったからな。
ラーーーースーーーートーーーーの年にならないように、神達は動いているよ。
私もがんばるよ。


渋沢栄一だったえいいちの神だよ。
らーーーーん(乱)だったからな。
私が生きていた時は。
冷酷な時代だったと思うよ。
つまり、人は武士にならなければ「人でなし」だったからな。
友達の好き嫌いで悩んだりするのは、生きているから仕方ないのだよ。
死んでしまったら、何も出来ないからな。
私は、さーーーー(差)が嫌いだった。
生まれとかで、判断されるというのは、本人はどうすることも出来ないからな。
貧しい人達の中にも、優秀な人は沢山いたのだよ。
だから、私は会社を作ったのだ。
気概のある人達に任せてきたから、それぞれが発展したと思っている。
私は(平岡)円四郎様が早く死んでしまった
ので、とても残念だったよ。
円四郎様の考えを踏襲しただけだったからな。
円四郎様がいなければ、私はずっと百姓のままだったから、死んでも死にきれなかったと思うよ。
(徳川)慶喜様も素晴らしい人だったからな。
いつも、大変な目に合っていたけどな。
私は友達が大事だと思う。
自分一人では出来ないことが、友達のお陰で、沢山出来たからな。
楽しかったよ。
いろいろあったけど、生きている時は楽しかった。
繋がりは、菩薩界に来ても、神界に来ても変わらないのだよ。
神界で出来た友達も沢山になったからな。

今は何階層の神様なのですか?

七階層から六階層にしてもらったよ。
「論語と算盤」のお陰だな。
今、読んでくれる人が増えたからだな。


🐶 渋沢栄一の話


🐶 渋沢栄一の話 その2


神様のシステムは、生まれ変わって神界に戻ると、一つ上の階層になるという話だったので、戻って七階層からまた一段上になっていたようですね。

そして、「青天を衝け」の最終回を観た次の日に、渋沢栄一だった「えいいちの神」が話してきました。


渋沢栄一だ。

昨日は、「青天を衝け」の最終回を感動して観ていました。

ドラマは終わったな。
あんなにカッコよくはなかったが、人が幸せになって欲しいと思っていたことが、伝えられていたと思う。

そうですね。

岩崎(弥太郎)さんと話したことも、大隈(重信)さんと話したことも、伊藤(博文)さんと話したことも、私にとっては宝だったよ。
平岡(円四郎)様や、上様(徳川慶喜)に出会ってなければ、私はただの百姓で終わっていた。
人は出会いが大切なのだと、今も思っている。
利他の心でいることは、ずっと豊かにしていくと思って欲しい。
神はいつも見ているということだな。


三菱財閥の創始者の岩崎弥太郎さんは胃ガンで50才で亡くなっているようです。
渋沢栄一とは、思想が違うという感じでしたが、孫同士で結婚しているので、仲はそれほど悪くはなかったのかと思います。

早稲田大学の創始者でもある大隈重信さんは、かなり精力的に83才まで生きてがんばっていたのですね。
私は知らなかったのですが、襲撃事件で右足を失い、義足になっていたそうです。

初代の内閣総理大臣になった、伊藤博文さんは中国に行っていた時に68才で暗殺されてしまいました。

そして、15代将軍の徳川慶喜さんは、徳川家の将軍の中では一番の長命の76才で亡くなりました。
将軍だったのは、たった一年で、後は忘れ去られた存在だったのを、渋沢栄一さんが伝記を作っています。

渋沢栄一さんは、昭和の初期まで生きたので、それぞれの死に立ち合うことになり、沢山の思い出があったのでしょうね。

今年は今日で終わります。
コロナの一年でしたね。
来年は、普通の生活に戻って欲しいと祈ります。

良いお年をお迎えください。



画像は、昨日の朝の伊豆稲取の海。
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清洲城

2021-12-28 07:30:00 | 日記
11月16日に、いきなり話してきた神様がいました。


ちーーーーたーーーー(知多)半島の荒熊神社に行ってくれないか?

どなたですか?

とーーーーきーーーー(時)の扉が開いている間がいいのだよ。
猿田彦だ。
清須に行って欲しいと言われていただろう。

はい。

清須に行って、荒熊神社がいいと思うよ。

荒熊神社の石の話ですか?

石はまだいいけど、荒熊神社の宮司が会いたがっているのだよ。


清須に行って欲しいという話は、ちょこちょこ出ていました。

自分のブログを検索してみると、9月25日にサン(スサノオノミコト)が言っていたことがわかりました。
2021,10,30の記事を抜粋してみます。


9月25日にいきなり話してきたのは、サン(スサノオノミコト)でした。


お疲れ様だったな。

どなたですか?

サンだよ。
七面山の山頂に、K(会長)が行ってくれて良かったよ。
あの御来光は、なかなか見られないと思うよ。
前日には、ゼウスが雷を落としていたしな。
利他の心で行ってくれたから、「オス!おら悟空」のところにも、行って欲しいよ。

清須城ですか?

清須城だな。清須の城に行ったら、面白いと思うよ。


🐶 七面山の旅の後に



約、2ヶ月後にまた行って欲しいと言われた訳ですね。
猿田彦の次に話してきたのは、荒熊の神でした。


荒熊の神だ。
父が言っていた通りだ。
Iにも、頼んだよ。


私は、今は毎日が日曜日のような生活なのでいいのですが、Iさんは忙しいので、一応このことは📩で伝えておきました。


彼も気になっていたようで、日にちを出してと言っていたので、まずは先方の荒熊神社の宮司さんのご都合はいかがかと、息子さんの禰宜(ねぎ)さんの英勝さんにお電話して聞いてみると、12月19日以外は大丈夫という話でした。
Iさんに伝えると神様に聞いて決めて欲しいとのことで、次の日にまた猿田彦を呼んで聞いてみました。


猿田彦だ。

清須と荒熊神社は、いつ行ったらいいですか?

M子とIの都合でいいが、12月の初めに行ったらいいよ。
K(会長)とみこも、行けたら行ったらいい。


次に話してきたのは、荒熊の神でした。


荒熊の神だ。
12月の初めがいいな。
あまり後だと、神も忙しくなるからな。


11月22日に、話してきたのは、9月に清須に行って欲しいと言っていたサン(スサノオノミコト)でしたが、初めは誰かわかりませんでした。
私の質問に答える感じだったからです。


私)清須のどこに行けばいいのですか?

清洲城に行って欲しい。

どなたですか?

サンだよ。スサノオノミコトとも言う。

何かすることがありますか?

城の庭に石があるので、そこに酒を掛けてくれ。

お酒の銘柄はありますか?

酒は「剣菱」がいいな。
織田信長が、話したいそうだ。


そして、織田信長が話してきました。


信長だ。
清洲城に、行ってくれるのか?

はい。

ありがとう。
清洲城は、大事な城だった。
他にはない、中心があったのだ。

何の中心ですか?

地盤の中心があったので、私はそこで考えていた。
今はわからないだろうな。
城の中ではない庭にあったからな。
こーーーーども(子供)だった時に、わかっていたのだ。


ずいぶん前の記事に、織田信長も神界から生まれ変わってきた話がありました。
神界に戻ると、階層は一段上がるという話もあり、今の階層は五階層のようです。

少し前にカラツの神が言っていましたが、武将は五階層より上にはなれない話もあり、そこのトップは坂上田村麻呂
(さかのうえたむらまろ)らしいです。

織田信長という人も、飛び抜けた才覚があったのは、子供の時から感じることが出来たのかと、何となく思いました。

清洲城は「清洲会議」で有名ですが、元々あった場所は「古城公園」になっていて、今は少し離れたところに再現されたお城が建っていることが調べてわかりました。



画像は、12月初めに行った清洲城。


続きます。
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コロボックルの話

2021-12-26 07:30:00 | 日記
10月半ばに、北海道のOご夫妻が「蒼いとびら」のセッションに来てくださいました。
今は暮れですが、毎日花火のお仕事で、活躍しているようです。

息子さんも、一緒に仕事をするようになり、ドローンとのコラボなどもしているのを、最近始めたインスタグラムで、私も見せてもらっています。(hanabiya_oki)


さて、セッションの時に、奥様のひろみさんが、帯広のご実家の庭に小さな石がゴロゴロしているという話をしていました。

それが、お母様に因るとなんだか湧いてきているように見えるようで、あれは何でしょう?という質問がありました。

私がミクネの神(天之常立之神)に聞いてみると、


石は、コロボックルが運んでいるんだよ。


と言ったので、思わず笑ってしまいました。
ひろみさんも、目を丸くして驚きながら、笑っていました。


コロボックルの話は、ずいぶん前に記事にしたことがありました。
コロボックルは、アイヌの伝承にあるので、確かに北海道の話ですね。

佐藤さとるさんの描いていたコロボックルは、とても小さな妖精のような感じです。

私が記事にしたのは、2014,3,8のことで沖縄のキジムナーと仲良くなったという話でした。

アイヌ語の「蕗(ふき)の下の人」という意味でもあるらしいのですが、水木しげるさんもそのように表現していますね。
境港の水木しげるロードにいるようです。



私は以前に北海道の羅臼で見た蕗が、ものスゴく大きかったので、元々はそんなに小さな人ではなかったのかと思いました。
K会長とIさんが歩いている右側に蕗がありますね。




🐶 キジムナーとコロボックルの話



ひろみさんのご実家にゴロゴロと湧いてきているように見える石は、黒曜石のようなのです。



と、いうことで、コロボックルが話してきました。


石を運んでいるコロボックルです。

あの石は、黒曜石ですか?

黒曜石ですよ。

もらってもいいのですか?

いいですよ。
また、運びますから。
私達も、内地に行ってみたいのです。
黒曜石について行けますからね。
楽しみです。


北海道では、本州のことを「内地」と言うので、コロボックルも言っていました。

ひろみさんにこの話をすると、箱に詰めてみこちゃんの美容室Aringoに、送ってくださいました。

私は、グループのみんなに渡す石とガシュマルの根元に置く石をもらってきました。





そして、私の家にしばらく置いておくと、コロボックルの石も、塩と同じようにパワーが上がるのもわかりました。

パワーはプラス80まで上がったので、丁度お会いした方には渡すと、なんだか、暖かいと言われたりしています。

実際調べてみると、大雪山の活動から出来た「十勝石」というようですが、コロボックルは、内地に憧れていたようなので、旅に出て楽しいのかもしれませんね。

ガシュマル達も、とても元気です。



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神様の会議の話 2021 その4

2021-12-24 07:30:00 | 日記
11月9日、10日で、湯西川温泉の旅に行った次の日に、話してきた神様がいました。
初めての神様で、タンスの神と言っていました。


タンスの神だ。
栗山東照宮の横のところにも来てくれて、ありがとう。

「タンス」は、濁点はないのですか?

濁点はないよ。

今は、神様達は会議ですよね。

私は眷属なので、留守番していたのだよ。

あの神社には、どの神様がいるのですか?

スサノオノミコトの神社だったよ。
今は、隣で徳川家康を祭っているが、栗山に東照宮があるとは、知らない人も多いと思うよ。

そうですね。
栃木県が実家の方も知らなかったみたいです。

りーーーーたーーーー(利他)の心の人だと、眷属の会議で聞いたよ。

あぁ、奈良のツチヤさんにですか?

四国の剣山(つるぎさん)に行ったと聞いている。
奈良のツチヤが話してくれたよ。
道に、葉っぱが沢山落ちただろう。

はい。

みんなで落としたよ。
ありがとう。


やっぱり、奈良のツチヤさんが言っていた通りみたいでしたね。

私は、Iさんと会ってからですが、あり得ないくらい沢山の葉っぱが落ちてくるのを見たことが何度かあります。
この日も栗山東照宮の門のところまでの間、沢山の葉っぱが紙吹雪のように降ってきていて、タンスの神が言ってきたので、やっぱりそうだったのだと思いました。

栃木県に実家があるきょんぴいさんから、記事にした時にコメントをいただいて、いろいろ話したのですが、近くは通ったことはあるけど、行ったことはなかったそうです。
この地区も平家の落人(おちゅうど)の里なので、本当に平家の人達は、各地に散らばって生きていたのですね。


🐶 神様の会議の話 2021 その2



次に、ミクネの神(天之常立之神)が話してきました。


ミクネだ。

会議はどういう状態なのですか?

会議は大体終わったよ。
昔に比べて早くなって良かったよ。
今年、神になったのも多かったからな。
なったばかりの神は、まだ20日くらいまで研修があるよ。
空海とカラツの神が、しっかりやってくれているからな。
来年は、また増えるだろうな。
道が二者択一になったからな。


そして、話に出てきたカラツの神が11月14日に話してきました。


カラツの神です。

会議はまだまだですか?

会議は、もう終わりに近づいています。
去年、神になった神達が中心ですからね。
水戸光圀もいますよ。
静御前もね。

今年、神様になった方は沢山いるのですか?

今年は、多かったですね。
菩薩界は楽しいけど、退屈なのです。
私も、菩薩界は物足りないと思いますよ。
ボランティアするくらいですからね。
M子さんのお父さんとお母さんは、仲良くボランティアしていましたよ。

そうでしたか。良かったです。

神界に行くと、毎年テストがあるので、大変なのです。
私は何度も生まれ変わったので、大丈夫でしたが。。。
五階層に上がるのは、至難の技なのですよ。
武士は、四階層に上がれないと言っていたでしょう。

はい。

みんな殺しをしていたりしますからね。
でも、仕方ない時代だったと思います。
今のように毎日ご飯が食べられる訳でもなく、みんな飢えていましたからね。
世界は、少し良くなったと思うと、また悪くなるの繰り返しです。
日本は、これから中心になって欲しいので、M子さんの友達を増やしてくださいね。


確かに、武将は神様になっていたりしていますが、五階層より上になっているのは聞いたことはないと思いました。

四階層以上の神様は、大体が宇宙から来たか、イランから来た感じが多いですね。

カラツの神が、思い掛けなく父と母のことを言っていました。
仲良くしているなら本当に良かったですね。


この日の富士山は、傘雲が宇宙船のようで、K会長から写真が送られてきました。



Sさんからも。





みゆきちゃんは、海にいたみたいでした。



私は家にいましたが、マンションの階段で、不思議な雲を見つけて、どんどん上に昇って撮っていました。

二階の階段から。



三階。



四階。



クジラみたいですね。

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川俣ダム、瀬戸合峡、龍王峡

2021-12-22 07:30:00 | 日記
栗山東照宮の後には、Hさんが行きたいと言っていた瀬戸合峡(せとあいきょう)に行きました。

妹は、いつもミステリーツアーに行っていた訳ですが、Hさんは登山を趣味としていたのもあり、険しい道が好きみたいです。

そして妹は、場所にあまり興味がなく、以前に「なんだか、滝ばかり行くけど、どこの何という滝かもわからない」と言っていました。

私もブログをしていなければ、同じようだったかもしれませんね。

瀬戸合峡の駐車場で、地元の人に話を聞くと、「もう紅葉のピークは過ぎてるし、かなり遠いから大変だよ」とのことでしたが、とにかく行くことになりました。

階段の道を少し行くと、川俣ダムがありました。


ここから見える吊り橋です。
遠いですね。。。



その後は、ずっと階段の下がったり上がったりの道でした。
私がハァハァと息を弾ませていると、息子のゆうや君が荷物を持ってくれました。

途中の階段から、見える川俣ダムです。
吊り橋を見ていた場所が一番上で、かなりな迫力の放水でした。



という訳で、吊り橋に着いた時は、ヘロヘロでした。



紅葉ピークは、こんな感じらしいです。


この日は、こんな感じでした。





いい天気で良かったですね。
帰り道も、同じ道なので、またヘロヘロに
なりました。
駐車場近くの紅葉。



この後は、龍王峡に行きました。
時間的に2時近かったので、駐車場近くの食堂で、お昼ごはんを食べてから、また、階段の道を行きました。
少し、妹が言っていた意味がわかった姉でした。(笑)


Hさんの好きな滝ですね。
「虹見の滝」というそうです。



滝の近くに神社があり、看板には、五龍王神社と書いてありました。





平日でしたが、かなり混み合っていました。

橋の上から見た、渓谷の景色。
上流。



下流。



虹見の滝が川に落ちていて、岩の上に五龍王神社が見えます。

Hさんは、以前に仕事でこの辺りに来たそうで、景色を見て感動したので、家族に見せたかったと言っていて、妹も一度来たことがあったようです。

ということで、家路に着きましたが、次の日の朝に、NHKを観ていると、前日に行った龍王峡の紅葉が見頃だというニュースをやっていました。



瀬戸合峡よりも、標高が低いので、見頃は少し違うのかもしれませんね。

やっぱり、日本の自然は美しいと思い、妹の旦那さんのHさんのお陰様の旅でした。

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