「ノナの家」nonahouseは かつこ内親王、かつこ内親王2の続きのブログです。

神様達の名前は、沢山出てきますが、宗教とは全く関係ありません。
mikunenona@gmail.com

北口本宮冨士浅間神社

2019-10-30 07:30:00 | 日記
次に連れて行っていただいたのは、北口本宮冨士浅間神社でしたが、鳥居のところから、そのスケールに圧倒されました。



参道の杉の木も、ド迫力です。







この鳥居は、木造では最大の鳥居らしいですよ。


手水の龍さんに、Iさんが水を掛けていました。
近くで見ていた、中国人?の若い女性が真似ようとして、柄杓から勢いをつけて水を掛けたら、向こう側にいたK会長にしっかり掛かってしまい、sorry!sorry!と慌てていた女性にも、穏和な笑顔で応えていました。

拝殿の横には大きな御神木が、両側にありました。







この位置からが、記念撮影に一番良い場所のようですね。
団体さん用の段々がありました。

ぐるっと廻って最後に行ったのが、諏訪神社でした。

ここで、Iさんが興奮していたのは、ガラスのケースの中に入っている赤い富士山の前にある鳥居の二本の紙垂(しで)が、激しく動いていたことです。




遠くからも見えましたが、私も近くに行って、風が入る場所があるか確認しましたが、それはなくてやっぱり不思議でした。

K会長が、


ねーさん、今。
ズシンとしたんだけど誰かな?
いつもここには来ているけど、初めての感覚なんだ。


と言ったので、振り子で聞いてみると、


タケミナカタだよ。


と読めたので、伝えると何だかとても感動していました。
やっぱり諏訪神社には、タケミナカタなのだということなのですね。


🌟北口本宮冨士浅間神社(きたぐちほんぐうふじせんげんじんじゃ)は、山梨県富士吉田市上吉田にある神社。旧社格は県社で、現在は神社本庁の別表神社。

【祭神 】

木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)
天孫彦火瓊瓊杵命(てんそんひこほのににぎのみこと) ー 夫神
大山祇神(おおやまづみのかみ) ー父神

人皇十二代景行天皇40年(110年)に、日本武尊が東方遠征の折、箱根足柄より甲斐国酒折宮に向かう途次、当地を通過、「大塚丘」に立たれ、親しく富士山の神霊を遥拝され、大鳥居を建てしめ、「富士の神山は北方より登拝せよと」勅され、祠を建てて祀ったのが始まりとされている。

🌟北口本宮冨士浅間神社 摂社 「諏訪神社」

【祭神 】

建御名方神(たけみなかたのかみ)
八坂刀売神(やさかとめのかみ)

勧請年代は不詳であるが古くから当社一帯の森を「諏訪の森」と呼ぶことや、『甲斐国志』巻之七十一神社部第十七上「諏方明神」の記述からも古社であることが伺える。
元々は当地域の氏神であったが明治維新の際に北口本宮の摂社となる。

古来より社中に「諏訪の森」が位置し、諏訪神社の鎮座地に浅間神社を勧請したと伝わる。
現在当社は浅間神社であり祭神も木花開耶姫命を主祭神としているが、当初は諏訪神社であったと考えられている。


元々は、諏訪神社からの始まりだったみたいですね。


その後に行ったのは、上記の文中にある「大塚丘」でした。





流石に、あまり人は来ない場所のようでしたが、女性が二人でカメラを持って訪ねていました。

パワースポットということで、知る人ぞ知る場所なのでしょうね。



K会長は、休憩時間で廻ってくれたので、ここで別れ、Iさんと私は東京へ帰りました。


続きます。
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中秋の名月

2019-10-28 07:30:00 | 日記


Iさんが、中秋の名月の日に儀式をすると言っていました。

🌟中秋の名月で調べてみると、

今年の中秋の名月は、9月13日です。
「中秋の名月」とは、太陰太陽暦の8月15日の夜に見える月のことを指します。中秋の名月は農業の行事と結びつき、「芋名月」と呼ばれることもあります。中秋の名月をめでる習慣は、平安時代に中国から伝わったと言われています。

今年は9月13日が中秋の名月、翌日の9月14日が満月と、中秋の名月と満月の日付が1日ずれています。

太陰太陽暦では、新月(朔)の瞬間を含む日が、その月の朔日(ついたち)になります。今年は8月30日(新月の瞬間は19時37分)が太陰太陽暦の8月1日、9月13日が太陰太陽暦の8月15日となります。一方、天文学的な意味での満月(望)は、地球から見て月と太陽が反対方向になった瞬間の月のことを指します。今回は、9月14日13時33分に満月となります。

今年のように、中秋の名月と満月の日付がずれることは、しばしば起こります。


私は、また初めて知ることでしたが、今年の中秋の名月は、満月の1日前だったようですね。


次の日に富士山の近くにいるK会長のところに、月山のお守りを届けに行くとIさんが言っていたので、私は夕食後に熱海のマンションに向かいました。

空を見ると、雲が沢山で月はなかなか顔を出さず、熱海の駅に着いた時はこんな感じでした。



実際に月がキレイに見えたのは、11時を過ぎていましたが、なんとも妖艶な月ですね。





そして、次の日の朝。




気持ちの良い朝でした。


朝食をゆっくり食べてから、K会長のところには、午後1時くらいに着きました。
ロビーでしばらく待っていると、休憩時間にして、近くの神社に案内してくれることになりました。

K会長は、Iさんの顔を見て、なんだかニコニコしていました。
前日の夜の儀式のことが顔を見てわかったみたいで、何やら二人で話し合っていました。

いつものことですが、私にはよくわからない二人の会話でした。

そして、K会長がまず連れて行ってくれたのは、新屋山(あらや やま)神社でした。





森の中にある感じの神社ですが、結構沢山の人が来ていて、人気があるのですね。
調べると、金運の神社のようでした。

鳥居のところで、K会長が嬉しそうに笑っていたので私が、「何だか嬉しそうだね~。」と言うと、


だって、このメンバーだと神様絶対来るもんね。


と、言っていました。

山神社の拝殿でお参りをして、裏の方にある末社に行くと、感じるIさんが、ここにいるよーと言ってお酒を差し上げていたりして、やっぱり不思議な二人でした。



🌟新屋山神社は、戦国の室町時代後期、後奈良天皇の御時天文3年(西暦1534年)10月17日の創建にして、1727年修復、1890年(明治23年)に弊殿、拝殿の造営、1934年(昭和9年)10月17日に本殿を再建し、末社浅間社 大神社を合祀する。
1973年(昭和48年)に弊殿、拝殿を改築し、社務所を設置して現在に至る。
また富士山2合目に奥宮をもつ。
本宮の御社は水源や森の近くで原生林が繁茂する小高い丘にあり、古くから山を守る神、産業の神として地域の林業、農業に携わる人々から大工さん等の職人さんにまで信仰される。

鎮座地 : 富士吉田市新屋山神河原1230
祭 神 : 大山祇命、天照皇大神、木花開耶姫命
例祭日 : 10月17日


続きます。
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秋田の神様の話の続き

2019-10-27 07:30:00 | 日記
9月7日に話してきたのは、ミクネの神(天之常立神)でした。


ミクネだ。
誕生日は明日か?

はい。

友達が集まってくれるのだな。

はい。ありがたいですね。

変わらない繋がりでいたらいいよ。
未来は少し変わったからな。

もう、地震は起こらないですか?

地震はわからないが、明るくなったということだ。

ミクネの神は、やっぱり駒形神社にいるのですか?

私は駒形神社にいるよ。
寝に帰るだけだけどね。

岩木山神社にはどなたがいるのですか?

岩木山神社にいるのは、変わらないミナカヌシだったり、カミムスビだったりかな?
森が深いところが居やすいからな。
ソワカになるな。M子と話していると。。。
ずっと変わらないからだろうな。
変わらないというのは、難しいのだぞ。
大体は欲に走るからな。


何度も出てくる話ですが、私の話の中で一貫している神様達のいる場所です。

🌟別天津神(ことあまつかみ)の五柱

★天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)-イラタの神(縄の神)-奈良県桜井市桜の井

★高御産巣日神(たかみむすひのかみ)-ツサトの神-アメリカ・インディアンの神(ココペリ)

★神産巣日神(かみむすひのかみ)-ノラタの神-奈良県明日香村キトラ古墳

★宇摩志阿斯訶備比古遅神(うましあしかびひこぢのかみ)-タセツの神-奈良県明日香村キトラ古墳

★天之常立神(あめのとこたちのかみ)-ミクネの神-岩手県駒形神社

🌟神世七代(かみのよななよ)の初めの二柱

★国之常立神(くにのとこたちのかみ)-ナセの神-奈良県春日大社

★豊雲野神(とよぐもぬのかみ)-ハセの神-愛知県名古屋城、熱田神宮

🐶ココペリ?



その後に話してきたのは、私の松果体を磨いてくれているらしい、ノラタの神(神産巣日神)でした。


ノラタの神だ。

ノラタの神様は、東北にいたことはありますか?

東北にはいないよ。
私は奈良から出たことはない。
全国に祭っている神社はあるので、たまに行くけどね。
キトラ古墳にタセツの神(宇摩志阿斯訶備比古遅神)といた方が楽しいのだよ。
ココペリ(高御産巣日神)の代わりもしないといけないからな。
令和になって、罪穢れが祓われたのだよ。
ゼロという意味もあるからな。
昭和、平成は辛い時代だったからな。
戦争は何もかも破壊していったからな。
M子は昭和で30年、平成で30年だから、令和でも30年がんばってくれよ。
松果体磨いてあげるからね。
フィジー水はいいと思うよ。


ノラタの神が言っていた高御産巣日神は、ミクネの神のお兄さんですが、日本が辛くてアメリカに行ってしまってココペリになったので、ノラタの神が兼務していると、何度も聞いていました。
やっぱり、変わらないのだと思いました。
神様達は、私に昭和で30年、平成で30年、令和で30年がんばれと言います。
ここも変わらないですね。


私は、ココペリを呼んでみました。


ココペリだ。

今はどこにいるのですか?

今はコロラドの山の上にいるよ。
コロラドはあまり人がいないのだよ。
日本にいた時は、東北にいたからな。
秋田の男鹿半島にオジカの神がいるだろう。
赤神と言われていたよ。
私は黒神と言われていたが、伝説とはちょっと違うのだよ。
私が十和田の女神を拐った訳ではないよ。
十和田湖の龍神が狙っていたから助けたのだよ。
でも、知らない場所に来たから泣いてばかりいた。
赤神は、十和田湖に返した方がいいと、連れて行ってしまった。
だから、戦ったのだよ。
女神は「三人で仲良くしましょう」と言って戻って来てくれた。
だから、その後は仲良く暮らしたのだよ。
私は、赤神と話したかったから、最近繋がって嬉しかったよ。


まさかの、黒神がココペリだった話になってしまいました。
色が黒かったから、ネイティブインディアンの神様の方がしっくりしたのでしょうか。


赤神が、その後に黒神と話が出来てありがとうと言っていました。
そして、話してきたのは、十和田の女神でした。


十和田の女神です。
龍神は二ついたのです。
怖い龍神と優しい龍神ですね。
怖い龍神は、黒神が退治してくれました。
アワのようになって消えたので、秋田に行ったのですが、子供がいたので泣いていたのです。
子供は、優しい龍神が見てくれることになったので、三人で仲良く暮らしました。
ずいぶん前の話です。
わかってくれてありがとう。
夏に、きなこ餅もありがとうございました。
私も就いていいですか?

はい。

ありがとう。


十和田の女神が話してくれたので、真相がわかりました。

いくちゃんに就いているのは、優しい龍神なのでしょうね。

少し前に男鹿半島の赤神神社と十和田神社に行って下さった金沢在住のM川さんご一家のお陰様で赤神と黒神がまた仲良くなって良かったです。

黒神がココペリになってしまった高御産巣日神だったとは、、、
どこにも出ていない話ですけどね。

十和田の女神は、私の226番目の神様となりました。

秋田の神様の話が完結して良かったです。


🐶 秋田の神様 その3








画像は、M川さんが撮った十和田湖。

繋いでいただいて、ありがとうございました。

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イネハポさんの話 その2

2019-10-26 07:30:00 | 日記
9月1日に栲機千々姫(タクハタチヂヒメ)がいきなり話してきて、イネハポさんは自分の分け御霊だと言ってきたので、私はすぐにお電話で伝えました。

彼女はとても驚いていましたが、何か、腑に落ちる感じでもあったようです。


🌟栲機千々姫の名前の解説としては、

「栲」は楮(コウゾ)の繊維または白膠木(ヌルデ)、「ハタ」は「機(はた)」のことである。
「チヂ」は縮むの意とも、たくさんあるの意ともいい、前者であれば織地が縮んだ色鮮やかで美しい上質の織物のこととなり、後者であれば機織がさかんな様子を表す。
いずれにしても機織や織物に関係のある名前ということになる。
織物の神として信仰される他、安産、子宝等の神徳をもつとされる。


とのことですが、私の話の中では、ニギハヤヒのお母さんとなっています。
あくまでも私の聞いている話で、wikipediaに載っている関係性とは全然違います。


9月2日に、栲機千々姫がまた話してきました。


栲機千々姫です。
イネハポに、言ってくれてありがとうございます。
済んだことですが、時を越えて何代も機織りをしていましたよ。
記憶に残っているのは、岩手の骨寺村のことです。
辛い過去のことですね。
坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)に助けられました。
坂上田村麻呂は、変わらない愛が伝わる人でした。
私の息子のニギハヤヒの分け御霊だったので、私とも話が出来たのです。
田村麻呂は、血生臭い戦いは終わりにしたいと思っていました。
魂は変わらないのです。
魂の系譜はずっと変わらないので、また会ったりするのですね。
M子さんは、骨寺村の巫でした。
イネハポは、M子さんの妹でした。
(プレアデスの)タイゲタ星の魂ですよ。
だから引き合うのです。
Iさんがそうだったように、どんどん繋がっていくでしょう。


私はやっぱり驚いていました。
ずっと言われていたことは、私は阿弖流為(アテルイ)の友達の母礼(モレ)だったという話です。
モレは、巫だったのかもしれませんね。

Iさんは、坂上田村麻呂だった記憶があるので、この時にも会っていたのかということですね。


9月3日に話してきたのは、坂上田村麻呂でした。


坂上田村麻呂だ。

昔、助けた子供のことは、覚えていますか?

巫の妹だったな。

どこに預けたのですか?

サンカの夫婦に預けたよ。
小さかったからな。
問題はなかったよ。
サンカの人達は、住んでいる場所が変わるからな。
その後のことはわからない。
罪が深いことだったな。
時を越えて魂は会うということだな。


昔、イエスの話の時にもサンカに預けたという話がありました。
イネハポさんの記憶の家はサンカの家だったのでしょうか。
ジブリの「かぐや姫」の中にも、山で暮らす民達のことが出ていましたが、縄文の頃の暮らしだったのかもしれませんね。


9月6日にも、坂上田村麻呂が話してきました。


坂上田村麻呂だ。
イネハポに伝えて欲しい。

何をですか?

弱くならないようにして欲しい。

何がですか?

魂の話は、私が伝えていたよ。
時を越えて伝えているので、わかってくれて嬉しかった。

先日聞いた子供の話は、その後どうなったのですか?

子供は、サンカに預けたが、私は京都から出ることはなかったから、その後のことはわからない。
幸せになっているといいがと、ずっと思っていた。
アテルイやモレには、悪いことをしたと、今でも悔やんでいる。
朝廷の狙いは私だったのだと、気がつかなかったということだな。
富があると欲がでるのは、変わらないということだ。
しーーーーそん(子孫)が大事なのだがな。
子供は宝だと気がつかないと、国家は滅ぶよ。
誰でも唯一の魂だからな。


田村麻呂が、朝廷の狙いと言ったのは、3年前に言った筑波山の近くの神社でのことと同じでした。

2016,7,26の記事を抜粋すると、


ふーーーーーーーかーーーーーくーーーーだーーーーっーーーーたーーーー。


不覚だった。


になったので、次を聞くと、


アテルイとモレに悪いことをした。
大和朝廷の狙いは、私だったのだ。
不覚だった。
坂上田村麻呂だ。

坂上田村麻呂様は、今は神様なのですか?

私は、五階層の神になっているよ。
話したかった。聞いてくれてありがとう。

この人は、前世が田村麻呂さんの人ですよ。

歌を作っている人だろう。いつも、聞いているよ。


私は、神社の所でこの話をしていました。
この人とは、Iさんのことですね。

「不覚だった。」の後の言葉で、また涙がボタボタ出てしまいました。

その後に観た、歌舞伎「阿弖流為」でも描かれていたように、人徳があり人気もある、坂上田村麻呂が、邪魔者だったので、まさに、暗殺を企てる朝廷側の裏表のある顔を、右大臣藤原稀継(ふじわらのまれつぐ)が、演じていました。


私は、ずっと、泣いている訳ではなくて、その時の感情が、入り込んでくるので、涙が出てしまうようです。

抜粋終わり


🐶筑波山の話 その4



坂上田村麻呂が私に伝えてくることは、やっぱり一貫していると思います。
イネハポさんのブログの全部を読んでいる訳ではないのですが、彼女はとにかく、坂上田村麻呂が大好きで、「マロ」とずっと呼んでいるそうです。

やっぱり、彼女に伝えていたのは、坂上田村麻呂だったのかと思えました。





画像は、3年前に霧が急に晴れて見えた筑波山と帰りに見た彩雲。

Iさんの7年前の記事

🐷 アテルイ 3


しばらくして続きます。
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イネハポさんの話

2019-10-24 07:30:00 | 日記
昨年の8月の夏休みのことですが、たまたまMIHOさんと電話で話していて、上野の国立博物館で「縄文展」が開催していることがわかり、MIHOさんのお仲間の中に混じり、一緒に観覧をして、そのまま夕食をご一緒させていただいたことがありました。

そのことは、2018,10,17の記事にあり、一部抜粋すると、


MIHOさんのお友達が10人くらい各地からいらしていて、なぜか私も混じらせていただいて、初対面の方々と一緒に夕食をすることになるとは思いませんでした。

皆様の中には私のブログを読んで下さっている方もいらして、そして私が気になっていたブログを書いている方にもお会いすることが出来ました。

ご縁はやっぱり不思議ですね。


抜粋終わり


この時に書いていた、私が気になっていた人がinehapo(イネハポ)さんでした。
何で気になったのかというと、彼女のブログの見出し写真がプレアデス(昴)だったからです。



私は、そのことがずっと気になっていたので、直接ご本人に聞くことが出来ると思い、質問してみましたが、特にあまり意味はなかったようです。

彼女の文章はかなり難解で、ものスゴく調べていることも解りましたし、いろいろな場所に行っていて、その上、頭に浮かんでいる言葉もあるようですよ。

今年、たまたま彼女の記事に目がいったのは、私達(Iさん、みこちゃん、いくちゃん、私)が東北グループ(まーさん、あくえりさん、ミワンちゃん)と行った岩手県のあのマニアックな骨寺村を記事にしていたからです。

✨骨寺村荘園遺跡とクシフル



私は、MIHOさんにお願いして、なんとか連絡先を調べていただき、イネハポさんとお電話で話すことにしました。

その時に彼女は、前世の記憶があるらしく、「機織り」に興味があるという話をしていました。
丁度、その時に彼女が記事にしようとしていた足利の織姫神社の話の中にそのことが書いてありました。
記事の抜粋をすると、



実は、私がこのブログを書き始めた頃から、ある昔の風景とストーリーが 何度も浮かんでいました。

エミシのことを書くようになってからです。

いつの時代か不明ですが、 両親を敵に殺され家や村を焼きはらわれた少女がいます。

その少女は家の中の掘りか穴かどこかに隠れていたので生き残り、

敵陣の一人の男性が、その女の子を見つけて救うのです。

人里離れたところに少女を馬にのせて、ある一軒の家にあずけます。

その家が養蚕をやっている機織の家なんです。

離れに小屋がありそこで織っています。

家はそんなに大きくないけど、天井は高いです。

老夫婦が住んでいて子はいない家っぽい。

庭というか、小川が流れ小山があり、あまりみたことない 不思議な植物を育てて?いて、そんなに貧しい感じはしない。

たぶん、薬草なのかな?

でも植物はみんな高く育っているので、なんとも言えない。

その救った男性は朝廷側の人らしく、助かった少女は朝廷とは敵、 と考えれば、東北のどこかなのかもしれません。

養蚕の家は、かつては都にいた家らしいけれど、アイヌ人が住むような 先住民の住む村に逃れて住んでいるらしく、

周りの村人との関わりを絶って、機織りをしているような家なのです。

その家は、先住民の人も知っているけど、あえて触れないみたいな。

少女はそこにあずけられて、機織りをして生きていく。

そんなストーリーなんだけど、その少女は大きくなってどうなったのか。

続きが気になるのだけど、まだその先のことは、わからないのです。


✨ 足利の織姫神社


この話を読んでいた次の日の9月1日に話してきたのが、栲機千々姫(タクハタチヂヒメ)だったのです。
栲機千々姫は、滅多に話して来ないので、始めは誰だかわかりませんでした。


イネハポには私が就いていますよ。

え?どなたですか?

栲機千々姫です。
私の分け御霊ですよ。
機織りのことが気になるのは、そういうことです。


私は、やっぱり驚いてしまいました。
彼女が気になるのは、そういうことだったのか?と、イネハポさんにお電話してお話ししました。


🐶 岩手の旅 その6




骨寺村に行った時のIさんと私ですが、鼻血が出てボロボロだった私は朝廷側に連行されている蝦夷(えみし)のように見えます。


続きます。
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